「警察からKちゃんの持ち物が全部戻されたときに、あたしも見せてもらったんです。その中にあの娘が最後に写っているという写真があったんです。それが気味悪いのよ。笹やぶの中にボォーッと立ってるんだけど。脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下のほうが切れてるの。それに表情も生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった・・・」
(画像は実物ではなく、イメージ。文章部分は、『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』〈宝島社〉より引用)
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この霧積の事件を語るとき、
必ずと言っていいほど持ち出されてくるのが、
冒頭のような(?)イメージの、ある一枚の写真のことなのですが、
それがこの事件をことさらに異色な、
オカルトじみたものにしている原因の一つでもあると思うので、
今回、その写真にまつわる件についても取り上げてみるとすると、
まず先述の通り、遺体が発見された作業小屋からは
Kさんの遺留品のカメラも(同じ8畳間の北側西隅から)発見されたわけですが、
(遺留品のカメラ等は、8畳間の北側西隅に、板をかぶせられ隠されていた)
そのカメラに残されていたフィルムを調べたところ、
合計5コマが撮影されていたと、
しかも、それは殺害当日(1972年8月13日)に撮影されており、
最初の2コマは、金湯館をチェックアウトする前の午前9時ごろ、
旅館前の水車を背景に、アルバイトの学生(当時21)に頼んでシャッターを押してもらったものだった、
とのことなのですが、
(遺留品のカメラに残されていた最初の2コマのイメージ)
問題は続く3つのコマ(3~5コマ目)で、そこにはいずれもKさん本人が写っており、
また、そこに写った景色などからして、旅館を午前10時ごろにチェックアウトして徒歩で下山する途中で誰かにシャッターを押してもらったものであることは明らかであったと。
警察としては、この撮影者を割り出すべく世間に呼び掛けようと考えたものか、
それらの写真の一部を、県内最大のシェアを誇る地元新聞社(上毛新聞)にリークし、
それを受けて上毛新聞が、
「誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ」
等の見出しで、
8月19日(土)~20日(日)に掲載したのが、下の写真(白黒の部分)なのですが、
(向かって左側の白黒の部分が、上毛新聞に掲載されたもの。8月19日付で、まずAの写真1枚のみが掲載され、翌20日にはAとBを縦に並べたもの---つまり今回このブログで引用しているそのままの形で---が掲載された。このように、実際の当日のKさんの服装は、濃紺のノースリーブブラウス、白のミニスカート、白の運動靴であり、画像からはさらに、白のハイソックスを履いていたことが見て取れる。向かって右側、カラーの部分は、当方による補足的なもの。写真撮影場所はこの場所---忍の池えん堤前---であり、被害女性は、ピンクの人型が立っている大きな平たい石の上に立ち、撮影者は白矢印の方向からカメラを構えたものと推測。)
ちなみに、上毛新聞が8月19日付で
Aの写真のみを掲載した時の(写真に付していた)キャプションは、
「殺害される直前のKさんの記念撮影-泊まった金湯館からの道筋にある忍の池の滝前で」
というものであり、
その時の記事をそのまま引用してみると、
■ 上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か
「霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員Kさん(24)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では18日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員40人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近7キロにわたって検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な手がかりは得られなかったが、Kさんのカメラにはだれがとったのか、本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。
同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていたKさんの所持品を再点検、このうちカメラはKさんが帰路途中で、だれかに撮影を頼んだとみられるものなど5コマをとらえていた。
このコマ(先の引用写真のAの部分、ブログ筆者注)は「霧積館」から3百メートルほど上ったところにある「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。
このため、捜査本部では、何かの理由でKさんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の13日午後2時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、空白になっているKさんの行動を解明する重要なカギをにぎっているものと見て、発見に全力をあげている。(後略)」
ということなのですが、
このAの写真と記事を(19日付の紙面で)掲載した直後---19日の20時半ごろ---に、なんと、
「この写真は私が撮った」
と、上毛新聞に電話で名乗り出た男性が現れたらしく、
その電話を受けた上毛新聞はさっそく、
Aの写真とBの写真を縦に並べたもの2枚を、翌日8月20日付で掲載し、
(先に引用した白黒写真は、その8月20日付の掲載分からそのまま引用したもの)
その2枚の写真に上毛新聞が付していたキャプションは、
「問題の写真は東京都内の石田さんが『わたしが撮影した』と名乗り出た。捜査本部では実測捜査から撮影は午後1時半前後と断定した①」
というものだったのですが、
その時の記事も、以下にそのまま引用してみると、
■ 上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
「”新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った”-
霧積山殺人事件捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員Kさん(24)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の割り出しを急いでいたが、19日夜、Kさんに頼まれてシャッターを押した-と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、Kさんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では、きょう20日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
この人は東京都世田谷区下北沢4の16、富士見台マンション内、修理工・石田良男さん(22)で、同日(19日)午後8時半ごろ、上毛新聞社に電話で名乗り出たもの。
石田さんの話によると、石田さんは13日車で友だちと二人で群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横川のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で釣りをしていた。
そこへKさんと思われる女性がきて、”ちょっとすいません、シャッターを切ってください”と声をかけた。
石田さんは”カメラには弱いので”といったん断ると、女性は”シャッターを押すだけですから・・・”というので、2回シャッターを切ったという。
そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと石田さんはいっている。
石田さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。(後略)」
ということであったらしく、
(国道18号線沿い、峠の釜めし本舗・おぎのやドライブイン横川店・・・1962年〈昭和37〉営業開始、リニューアルを経て、現在に至る。写真は、2012年撮影のストリートビューより)
上毛新聞に電話で寄せられたこの情報は、捜査本部にも伝えられ、
刑事らの間では、これが事件解明への突破口になるかと期待が高まったものの、
「石田」と名乗ったその男は、電話の翌日も翌々日も現れることはなく、
「捜査本部の現況確認の結果、彼が言った住所や勤務先などに、石田良男という該当者は存在しないことがわかったのである」・・・『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』(宝島社)
というオチだったらしく、
結局はその男が姿を現すことはないまま、
捜査本部は完全に肩透かしを喰らう形となり、
その後も、凶器の発見であるとか重要容疑者への肉薄であるとかのめぼしい進展も見られないまま、
事件は1987年8月に公訴時効を迎えた、
とのことでした。