京都長岡京ワラビ採り主婦殺人事件・その8(単独犯と複数犯) | 雑感

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さてメモの件はともかくとして、


実のところこの事件は「単独犯」と「複数犯」、


どちらによる犯行だったのだろうか?・・・


というところは、結構難しいと思う。


事件が古く、情報が少ない~曖昧ということもあり、


単独犯・複数犯のいずれとするにしても、決め手に欠ける気がする。


山頂付近の雑木の生い茂る場所とはいえ、


その気なら、東西南北どの方向へでも逃走することはできたであろう状況の中で、


二人の成人女性の行動の自由を奪い、


あそこまでの形で、やりたい放題やって殺害した・・・


というこの事件の外観だけを見ると


「複数犯じゃないと、できないのでは?」


とも思えてくるが、しかし単独犯であっても


一方の女性(仮にAさん)に刃物を突きつけた上で、Mさんに向かって


「お前もついてこい。言う通りにしなければ、この女を殺すぞ」


と脅したうえで、獣道の先の雑木林まで二人を連行する、


ということは可能と思われるし、


同じ手口(刃物による脅迫)で二人を順に強姦する、


ということも可能とは思われた。


「逃げたら、お前の相棒を刺し殺すぞ」


という脅迫の下では、事実上、二人の女性に行動の自由はなかったと思われ、


その状況下なら、二人を順に拳や脚で滅多打ちにすることも、できなくはないと思われた。


一方、これを複数犯による犯行と考えれば、別段「刃物で脅迫」とかの条件を付けなくても、


この犯行状況に、そう無理はないように思う。


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犯行状況的には、単独犯、複数犯いずれもあり得るとして、


では、現場に残された「物証」は何を語っているのか、


それは単独犯・複数犯いずれを指し示しているのか・・・


というところがまた面倒なことになっていて、


まず、現場から「指紋」が出ていないのだった。


犯人が拭き取ったのか、それとも軍手か何かをはめて犯行に及んだのか、


とにかく、凶器の文化包丁その他からは、犯人の指紋は一切出ていないという。


次に、Aさんの遺体から採取された犯人のものと思われる精液や


Mさんの遺体に付着していた犯人のものと思われる体毛、


これらから割り出された「血液型」、これがまた


「AまたはO型(精液)」

「O型(体毛)」


という、おぼつかないことになっていた。

(体毛のほうは科警研による鑑定とのこと、精液のほうは情報なし)


これだと、「O型の人間が単独でやった」ともとれるし、


「A型とO型の複数犯だ」ともとれる。


ここまでくるとまた不信感が頭をよぎるのだが、


それはともかくとして、次に現場に残された「足跡」、


これもまた頼りなく、その多くは不鮮明で(当然か)、識別不能だったらしい。


ただ、そこに見られた大半の靴跡には、底面に溝があったらしく、


要するにそれは、登山靴や普通のシューズを連想させたが、


中に二つだけ、不完全な形ながらも、底面に溝のない足跡が見つかったという。


革靴の可能性もあり、要は、その種の靴を履いた何者かが現場に来た可能性を窺わせたが、


しかし、遺体が発見された5月25日の午前10時半以降(恐らくはその前日の捜索段階から)、


現場およびその周辺には、多数の捜査~捜索関係者らが足を踏み入れているはずで、


それに加えて、「明確な足跡の残りにくい雑木林の中」という条件も考え合わせれば、


そこに残された足跡には、あまり多くを期待できないかもしれない、とは思う。


ともあれ、以上に挙げた物証もまた、


事件が単独犯によるのか、複数犯によるのかを語るには、不十分と思われた。


ちなみに捜査本部は、例のメモについても、現場に残された物証の一つとして、


「複数犯なら、こんなメモを書く隙があっただろうか?」

「”この男の人わるい人”と書いてある。」


ということで、「犯人は一人~~と断定した」・・・


と、1979年5月28日付の中日新聞夕刊の記事には出ている。


ただこの部分は、「その7」でも触れた通り、


刑事が文字通りに「犯人=単独犯」として記者にリークしたのではなく、


おそらくは、メモを根拠に、「事件=単独犯による犯行」という「筋読み」をリークしたということではないか、


と想像するのだが、それはともかくとして


「指紋」「血液型」「足跡」


このいずれもが不発に終わる中、


警察が例のメモを持ち出して、「単独犯説」を(どうやら5月28日あたりから)リークし始めたらしい、


ということだけは、見て取れると思う。


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単独犯と複数犯、自分的にはどう考えるのか・・・


ということを自問してみると、私としてはおそらく


「複数犯」


ではないか、という気がしている。


気になるのは、Mさんの遺体の状況だった。(詳しくは「その1」を参照ください)


Mさんの遺体は、発見時、うつ伏せの状態で、ナップサックは背負ったままだった。


発見者が彼女の体を起こすと、左胸に、文化包丁が突き刺さったままになっていた。


それは左第四肋骨を切断し、心臓から肺にまで到達していた。(死因は失血死)


包丁は、彼女のポロシャツをまくり上げた上で、(シャツ越しではなく)素肌に直接刺さっていた。


それは、あたかも正確に心臓の位置を刺し貫くべくポロシャツをまくり上げ、


素肌に直(じか)に切っ先を当てたかのように見えたという。


一方で、Mさんには手で首を絞められた痕もあり、


手拳~蹴りなどによると思われる、50カ所にも及ぶ皮下出血の痕もあった。


この状況なのだが、


まず、50発もの殴打を加えられて立っていられる女性は、あまりいないと思う。


とすれば、Mさんは暴行開始早々に地に倒れてしまった。


その状態で、多数の殴打を加えられたと思うが、手で首を絞められた痕もある・・・


ということは、犯人がいよいよMさんを殺害しようとなったとき、


まずは、手で首を絞めたのではないかと思う(扼殺を試みた)。


Mさんを立たせた状態で首を絞めたというよりは、


おそらく、地に仰向けになったMさんに馬乗りだったと思う。


ところが、Aさんを扼殺した直後で握力的にきつかったのか、


首にかけた手に、思うように力が入らなかった。


そこで刺殺に切り替えるべく、文化包丁を取り出した。


馬乗りの状態のまま、意識も朦朧(もうろう)としているMさんのポロシャツをまくり上げ、


切っ先を心臓付近に当てて、一気に押し込んだ・・・


という流れが思い浮かぶが(単独犯でも可能)、


これだとMさんは、仰向けの状態で心臓に致命の一撃を受けたことになり、


恐らくはその状態で絶命したことが想像され、


「遺体がうつ伏せの状態で発見された」


ということをどう考えるべきなのだろうか、という気がする。


凄惨な暴行の果てに、心臓にこれほどまでの一撃を受けた人物が、


その後なお、自ら寝返りを打ち、うつ伏せになる・・・


ということが、現実にあるのだろうか?


あるいは死後硬直であるとか、いわゆる緩解であるとかの過程で、


そこまで激しく死後に姿勢変化(仰向け→うつ伏せ)を起こす場合があるのだろうか?

(遺体は死後約46時間後に発見された。)


またあるいは、犯人が自らによる残虐な光景の正視に堪えず、


遺体の姿勢を仰向け→うつ伏せに変えたのだろうか?


「死後の姿勢変化」以外は、どれもあり得そうな気はするが、


より自然にこの状況を説明するには、


やはり、もう一人の人物を「共犯」として登場させるのがよいかもしれない。


つまり、扼殺を諦めて刺殺に切り替えるところまでは同じだが、


その際、傍らに包丁をもって立っていたもう一人の男に、


「おい、その包丁貸せ。俺がそれで刺すから、この女、うしろから抱えとけ」

「ここまで来たら、お前も共犯だぞ」


などと言って、ポロシャツをまくり上げたままのMさんを背後から抱きかかえさせ、


自分はMさんの正面から心臓を一突きした・・・


ということだろうか。


刺した男は、こういったことにある程度の知識を持っていたのかもしれない。


おそらくは、右手で一突きした直後は返り血を避けるため、


包丁を抜かずに、素早く左右どちらかに身をかわしたと思う。


と同時に、背後からMさんを抱えていた男が、空いた前方にMさんを突き飛ばした。


Mさんは地にうつ伏せとなり、その状態で絶命~発見された・・・


という流れだろうか。


しかし情報の少なさゆえに、他にも様々な筋書きが可能なようでもあり、


単独犯~複数犯のいずれとしても、この曖昧な状況の下では、


一概に言い切ることはできないように思われた。


なので自分的には、


「どちらかといえば、複数犯」


くらいの感じにとどめておきたいと思う。