(その6の続き)
「この男の人わるい人」
この「単独犯」を示唆する内容のメモを捏造し、
それがAさんの遺体右ポケットから出てきた、という筋書きをでっち上げ、
それと同時に、鉛筆の芯(先端部分、長さ約1センチ)を現場付近に転がしておき、
土砂をふるいにかけてまでその芯を取り出して見せた・・・
これらの行為を、仮に本当に警察が行ったのだとすれば、
その目的は何だったのだろうか?・・・
ということを考えてみるとそれは、
「このメモは間違いなく、この現場でAさんによって書かれたものだ」
「そこに、”この男の人わるい人”と書いてある以上、事件は男の単独犯によるものだろう」
という雰囲気を、世間に作りたかったのだろうなと。
しかしその雰囲気をつくることによって何をしたかったのか、
というところに、捏造の真の動機が隠されているのだろうと思う。
それは一体何だったのだろうか?
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ここで少し目線を変えて、
「警察が何かを捏造するのは、一般的には、どういった動機が考えられるだろうか?」
ということを整理してみると、それはおそらく、次のような動機、すなわち
1. 特定の者(たち)を逮捕・起訴・有罪に持ち込むため
あるいは逆に、
2. 特定の者(たち)を捜査対象から外すため
概ね、この二つが考えられるのではないかと思う。
(他にも、私利私欲〈裏金作り〉のためであるとか、自己保身〈不祥事の隠蔽〉のためであるとか、仕事をしているフリ〈近隣住民から指紋を採取してまわったフリ〉であるとか、そういった目的のための偽造~捏造もあると思うが、ここでは検討しません。)
1の、「特定の者(たち)を逮捕・起訴・有罪に持ち込むため(にする捏造)」については、
「警察」「証拠」「捏造」「偽造」「冤罪」
などのワードで検索すれば、
(事の真偽はともかくとして)それ関連の記事は多く出てくるので、参考にできるかと思う。
2の、「特定の者(たち)を捜査対象から外すため(にする捏造)」については、
何らかの理由で・・・例えば、
「事件に面倒くさい政治家や宗教団体、外国(政府)、圧力(人権)団体、警察のお偉方その他、手を付けにくい人々が絡んでいる」
「容疑者の親族その他近しい位置に、そういう面倒くさい人々が控えている」
とか、あるいは
「ある者(たち)について、限りなく黒(クロ)という心証はあるのだが、証拠不十分のため、任意で聴取しても成果(逮捕・起訴・有罪という流れ)が見込めない」
「そういう成果の見込めない容疑者(たち)に深入りしても、結局は釈放せざるを得ない羽目になり、自分の成績~出世に響きかねないので、できれば手を付けたくない」
とかの理由で、
特定の者(たち)を捜査対象から外してしまうべく、偽りの証拠をでっち上げる・・・
とかの場合が考えられると思う。
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では、長岡京の事件で、仮に警察によるメモの捏造があった場合、
その動機は、上の1~2のどちらのパターンに該当するものだったのだろうか?・・・
ということについては、
「実際の捜査が、どういう経緯を辿ったのか」
というところから、推し量ってみるのがいいと思うが、
もし仮に、警察による捏造(単独犯を仄めかすメモを作成)の動機が
1.特定の者(たち)を逮捕・起訴・有罪に持ち込むため
に該当するものだった場合は、この事件の捜査の経緯はおそらく、
「ある特定の人物を単独犯として逮捕・起訴・有罪へと吊るし上げていく流れ」
になると予想されるし、
これに対して、もし警察による捏造(単独犯を仄めかすメモを作成)の動機が、
2.特定の者(たち)を捜査対象から外すため
に該当するものであった場合は、この事件の捜査の経緯はおそらく、
「誰の目にも怪しいと思われる複数の人物を、早々に捜査対象から外してしまい、捜査が暗礁に乗り上げてしまう流れ」
になると予想された。(3億円事件風な流れ)
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そこであらためて、事件~捜査の経緯を眺めてみると、
まず1979年5月23日(水)に、AさんとMさんが「河陽が丘」裏の「野山」で行方不明になり、
5月25日(金)の午前10時半ごろに、「野山」山頂付近の雑木林で他殺体となって発見され、
同日中に、京都府警向日町署に捜査本部が設置された。
5月26日(土)の朝からは、鑑識課員、機動隊員など約80名、警察犬5頭を動員し、
現場となった「野山」山頂の周囲約300メートルの野道や林道を中心に、犯人の足取りや遺留品などの捜索が行われ、
それと同時に、付近の変質者や前歴者のリストアップなどが進められた。
同日(5月26日)午前10時~、京都府立医大で、二人の遺体の司法解剖が行われた。
(Aさんは手拳~蹴りなどによるとみられる皮下出血30ヶ所、肝臓破裂、左右肋骨9本骨折、直接の死因は扼殺による窒息死。体内からは犯人のものと思われる精液を検出、血液型はAかO。
Mさんも手拳~蹴りなどによるとみられる皮下出血50ヶ所、直接の死因は刃物で刺されたことによる失血死。左胸部に刺さったままの文化包丁は左第四肋骨を切断し、心臓から肺にまで到達していた。包丁から指紋は検出されず。
Mさんの体内からは精液検出されず、ただ膣壁に剥離があり、異物などにより凌辱を受けた可能性。犯人のものと見られる体毛の付着があり、血液型はO。)
5月28日(月)---遺体発見から3日後---の中日新聞夕刊に、
「京都府警の向日町署捜査本部は28日、Aさんの遺体のジーパンのポケットから”オワレている たすけてください この男の人はわるい人です”とスーパーのレシートに走り書きしたメモを発見した。
捜査本部では、(中略)Aさんが助けを求める"メモ"を書く時間とスキがあったことから、犯人は一人で、(中略)殺したと断定した。」
という記事が掲載された。
5月31日(木)の中日新聞夕刊には、「容疑が地元の不良二人組に絞られた」という記事が掲載された。長いが全文を引用すると、
「建設作業員の二人に疑惑 ワラビ採り主婦殺人事件:
京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りの2人の主婦が殺害された事件で、京都府警向日町署の捜査本部は、当日の行動に不審の多い変質者など6人を有力参考人として身辺を洗っていたが、31日までにさらに2人に絞った。2人は同市の建設作業員K(28)とS(28)で不良グループ。
これまでの調べによると、2人は事件当日の23日昼過ぎ、現場の野山から逃げるようにして下山し、その後姿を消した。
また事件前日まで現場近くの神社付近で犬を連れてうろついたり、事件のあった翌日から急にブラブラするのをやめて仕事に精を出すなど、急にまじめさを装うなど不自然な点が目立っている。
2人のうち特にKは性格が粗暴で、これまでにも度々けんかを売るなど不良仲間でも”空手の強い暴れん坊”として通っている。特に捜査本部が重視するのは、殺された2人にこぶしで強く殴られた傷跡が数多くあることから空手のできるKに疑惑が強まった。
捜査本部は引き続き2人の当日のアリバイを調べるとともに、近日中に呼んで事情聴取する。」
というものだったが、
一見して、3日前(5月28日)の記事と内容が矛盾している。
28日の記事では、「捜査本部は、犯人は一人(単独犯)であると断定した」とあるが、
31日の記事では、「これまで6人の不審人物の身辺を洗っていたが、31日までにさらに2人に絞った(近く事情聴取する予定)」とある。
おそらく28日の記事(犯人は一人だと断定・・・)のほうに、記者による表現の誇張があったのではないかと。
(複数の不審者の身辺を洗っている段階で、刑事が記者に対して、「犯人は一人だと断定した」という言葉を用いたとは、さすがに考えにくい。)
地元の不良二人組(KとS)については、
その年齢は、「20代後半」「26歳と28歳」「28歳と28歳」など、後の情報にばらつきがある。
「20代後半」としておけば、間違いないと思う。
二人は、殺害現場となった「野山」から逃げるようにして下山してきたのをふもとの住民に目撃され、警察がその目撃者に二人の顔写真を見せたところ、「この二人で間違いない」との証言を得た。
二人についてはさらに、事件後、一方の自宅前で再三ヒソヒソ話をしていただとか、「緑色の自転車を所有して、たびたび殺害現場となった”野山”への道を走っていた」とかの目撃情報があった。
警察はこの二人を「重要参考人」として任意での出頭を求め、アリバイや凶器(文化包丁)との関連について調べたが、犯人との確証を得られずに終わった。
(二人が勤務していた建設会社の社長が、当日の二人のアリバイを証言した、との情報もあるが、真偽はわからない。また、何月ごろ、何日間にわたって任意聴取したのかは不明だが、5月31日の中日新聞夕刊「近日中に事情聴取する」という記事からして、聴取は5月31日以降の比較的早い時期に行われたものと推測する。)
地元の不良二人組の他にも、捜査本部に寄せられていた不審者情報としては、
「その当時に現場で横行していたタケノコ泥棒(正体不明)」
「事件の約1年前に、ワラビ採りの主婦に”奥さん、ワラビ採れますか?”と包丁片手に声をかけた男性(正体不明)」
「事件の数日前に、これもワラビ採りの主婦に”(ワラビ)採れますか?”と声をかけた男性(正体不明)」
などがあった。
事件発生から3か月後、警察は
「最も犯人に近い人物」
として、先の「事件数日前にワラビ採りの主婦に”(ワラビ)採れますか?”と声をかけた男性」の似顔絵を作成・公表したが、
もちろん、これが解決に結びつくことはなかった。
(早くもこの時点で、先の”地元の不良二人組”は、捜査線上から消えていたらしいことが窺える。)
事件発生から2年が経過した時点で、捜査対象者は3060人、
うち96人にアリバイ確認などを行ったが、いずれも事件には無関係とされた。
捜査は暗礁に乗り上げたまま、1994年5月23日に時効を迎えた。
(ちなみに、あの「足利事件」でDNA鑑定の結果をもとに菅家氏を逮捕---後に冤罪と発覚---したのが1991年12月のことなので、長岡京の事件が時効を迎えた1994年なら、(その精度はともかくとして)現場から採取されていた「体毛」と重要参考人のDNA型を突き合せてみることも可能だったのではないかと思うのだが、警察がそういうことを行ったという情報は、一切ないように思う。)
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事件~捜査の経緯は、おおむねこの通りだと思う。
結果論かもしれないが、
「事件当日の5月23日昼過ぎ、現場の”野山”から逃げるように下山してきたという”空手の強い暴れん坊”Kと、その相棒S(双方20代後半)」
この二人の重要参考人の事件への関与を証明できずに終わった時点で、
警察は追及すべき具体的な対象を失い、
捜査は、「タケノコ泥棒」であるとか、「ワラビ採れますか?の男性(正体不明)」であるとかの
文字通り、雲をつかむような話になってしまったように思える。
一方では得体の知れない男の似顔絵を公開し、
もう一方では、虚空に向けてやみくもに拳を繰り出しつつ時効を迎えた、
その様子はあたかも、
このモンタージュ(捏造)とともに闇に葬られた例の事件の顛末を彷彿とさせた。
この長岡京事件の経緯の中に、
「ある特定の人物を単独犯として逮捕・起訴・有罪へと吊るし上げていく流れ」
「誰の目にも怪しいと思われる複数の人物を早々に捜査対象から外してしまい、捜査が暗礁に乗り上げてしまう流れ」
強いてどちらかを読み取るとすれば、私には後者と思える。
とすれば、仮に警察が「単独犯を仄めかすメモ」を捏造し、
現場に「鉛筆の芯(先端部分、約1センチ)」を仕込むことによって、世間に、
「事件 = 単独犯による犯行だ」
という雰囲気を醸成しようとしたとすれば、その動機は先述した、
2.特定の者(たち)を捜査対象から外すため
というパターンだったことが想像され、具体的に言えば
「事件当日の5月23日昼過ぎ、現場の”野山”から逃げるように下山してきたという”空手の強い暴れん坊”Kと、その相棒S(双方20代後半)」
この二人を捜査対象から外すため(おそらく”外しやすくするため”)ではなかったか・・・
(二人が真犯人であったかどうかは別問題として)
という風にも思えてくるのだった。

