京都長岡京ワラビ採り主婦殺人事件・その6(現場から出現した「鉛筆の芯」のこと) | 雑感

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さてここで、遺体発見現場付近の土砂から警察が見つけ出したという


「鉛筆の芯(先端部分、長さ約1センチ)」


についても触れてみようかなと。


まず、この芯が出てきた経緯について、

警察によると、Aさんの遺体右ポケットから例の不気味なメモ(鉛筆書き)が出てきて、


「そうであるからには、鉛筆もあるはずだ」


と思って、Aさんの所持品などを探してみたら、鉛筆が見つからなかったと。

(私的には、それは当然だったと思う。)


そこで今度は、


「現場周辺の土砂をふるいにかけて」


探してみたら、鉛筆の代わりにこの


「鉛筆の芯(先端部分、長さ約1センチ)」


が見つかった、というのだった。


それは、もう一人の被害女性であるMさんの遺体発見場所(獣道を辿った先の雑木林の奥)から、

南へ約17メートルの地点の土砂に混ざって姿を現した。


そんな場所から鉛筆の芯が出てくる・・・ということの違和感は別として、


「この芯から、Aさんの完全な指紋が検出された」

「科学的鑑定によって、この芯の黒鉛の成分が、メモの文字の成分と完全に一致した」


とかの発表も、なされなかったと思う。

(聞いたことがないし、事件をレポートした過去のいくつかの記事にも出ていない。)


つまりこの「芯」は、Aさんに由来するのか、それとも他の誰かに由来するのか、

そのあたりが一切不明の、

物証とも言えないような代物(しろもの)だった。


しかし、それが登場したことによる「効果」は絶大だった。


それは、すでに現場から発見されていた、


「Aさんの遺体」

「不気味なメモ」(捏造された可能性)


などと結びつくことによって、世間の人々の間に、


「ああ、Aさんは、遺体発見現場で確かにあのメモを書いたのだろうな」

「書いている途中で、鉛筆の芯が折れたのだろうな」

「あるいは、鉛筆本体ではなく、あの芯をつまんで書いたのかもしれないな」

「いずれにしても、あのメモは確かに、Aさんの手によって書かれた本物だろう」


という、漠然とした空気を作り出した、と思う。


36年後の現在に至るまで、その空気は継続している。


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上の経緯を見ていて、何かうさん臭いなと思うのは、

例えば、警察はどうして鉛筆を探すのに


「ふるい」


を持ち出す必要があったのだろうか。


鉛筆を探すなら、捜査員を並べて目視で捜索すれば十分と思われるのであり、

「土砂をふるいにかける」必要まではない、と思われた。


これが例えば、


長岡京ワラビ採り殺人事件_鉛筆の芯


メモが、こういった未完の状態で発見されれば、


「ああ、これはAさんがメモを書いている途中で、鉛筆の芯が折れてしまったのだな」

「鉛筆本体については、犯人が持ち去ってしまったのかもしれないが、折れた芯がどこかに落ちているはずだ。小さいものだから、ふるいにかけて探してみよう」


という流れになったとしても、不思議はないと思う。


しかし、実際にAさんの右ポケットから出てきた(と警察が主張している)メモは、


長岡京ワラビ採り殺人事件1_8


これなのである。


このメモのどこに、芯が折れた形跡が見られるのだろうか?


このメモは、1行目、「オワレている」から、3行目の末尾「わるい人」まで

しっかりと書き終えており(3行目末尾は薄くて見えにくいが)、


「途中で断絶され、未完に終わった文章ではない」


ということが見て取れる。当然そこからは、


「これを書いている途中で、鉛筆の芯が折れてしまったにちがいない」


という推測は導かれず、ましてや、


「付近の土砂をふるいにかけて、折れた芯を探そう」


とは発想しない、と思われた。


ところが長岡京の現場では、警察は


「土砂をふるいにかけた」


というのである。


しかも、鉛筆の芯(先端部分、長さ約1センチ)が引っかかって出てきたというからには、

よほど目の細かいふるいだったのかな、とも思う。


なぜ、そこまでのことを?・・・


ということを、「警察によるメモ捏造(の可能性)」も併せて考えてみると、


「もしかすると警察は、最初から鉛筆本体ではない、別のもの---鉛筆本体よりはるかに小さい何か---が出てくることを想定していたのだろうか」

「”目の細かいふるいにかける”という作業は、単にその”何か”が土砂の中から姿を現すための、演出の一つだったのではないだろうか」

「この芯の出現もまた、メモの捏造とコンボでなされた”仕込み”であったのかもしれない」


などと思えなくもないのだった。


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しかし仮にこの


「鉛筆の芯(先端部分、長さ約1センチ)」


が警察による仕込みだったとすれば、


「なぜ”Aさんの指紋が付いた鉛筆本体”ではなく、”芯”を仕込んだのか・・・」


という疑問がなくもない。


しかし考えてみると、「Aさんの指紋の付いた鉛筆を仕込む」ということは、

結構、手間がかかるのではないかと思う。


それをするにはまず、Aさんの自宅や職場に赴いて、Aさんの指紋付き鉛筆を特定し、

その上で調達してくる必要があり、手間な上に窃盗行為にもなり、

捏造者としては避けたいところだったかもしれない。


また下手に「Aさんの指紋付きの鉛筆」などを現場に転がしておくと、

後々それがもとで、法的にどういう面倒事が生じるかもしれなかった。


例えば、仮に容疑者を検挙するに至り、しかもそれが「複数犯」だった場合、

公判では必ず弁護士が、その「現場に落ちていたAさんの指紋付き鉛筆」のことを持ち出した上で、


「鉛筆も発見されている以上、Aさんがあのメモを遺体発見現場あたりで書いた蓋然性は極めて高い」

「そしてそこには、”この男の人わるい人”として、犯人が”単独犯”であることが強く示唆されている」

「だとすれば、容疑者らを逮捕・起訴したのは不当である」


などと弁論するであろうことは、容易に想像できた。


ところが、これを「現場に出所不明の鉛筆の芯を転がす」程度にとどめておけば、

訴追側としては、


「あれは単なる鉛筆の芯の先端に過ぎない」

「あれからはAさんの指紋は検出されておらず、事件との関連性は証明されていない」

「よって、Aさんがあの芯を用いて現場でメモを書いた蓋然性が高いとは言えない」

「とすると、”この男の人わるい人”とはAさんが過去に出会った不審な男のことだと思われ、今回の容疑者らに関することとは言えない」

「よって、容疑者らの逮捕・起訴は不当なものではない」


などと反論できるメリットがあった。


単にメモを捏造するときに使った鉛筆の先端を折って、現場に転がしておくだけで、

効果は抜群といえた。


よって、後々の法的なリスクを回避しつつ、しかも


「Aさんは間違いなく、遺体発見現場あたりであのメモを書いたのだろうな」

「あのメモは間違いなく、Aさんの手による本物だ」


という漠然とした空気を世間に醸成するためには、

Aさんの指紋付き鉛筆を調達してくる必要まではなく、


メモを捏造した際に使った鉛筆の先端を折って、それを現場に転がしておくだけで十分であり、

そこまで考えた上での


「現場から、鉛筆の芯(先端部分)が出現」


というシナリオだったのではないか・・・


などと思ったりする。


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発見された芯の長さというのがまた、うさん臭いのだった。


それは


「約1センチ」


だったという。


仕込みだとすれば、よく考えたものだな、と思う。


どういうことかというと、1センチなら


「つまんで書ける」


のであり、


「これをつまんで書いたのかもよ?」


ということを、主張しやすいのである。


もしこれが、1ミリ~5ミリなら、


つまんで書くのは困難であり、


「それをつまんで書いたのかもしれない」


ということを主張しにくいのだった。


「Aさんはこの芯をつまんで、メモを書いたのだろう」

「だからこのメモは間違いなく、Aさんが現場で書いた本物だ」


ということを仄(ほの)めかすには、


現場に転がしておく芯の長さとして


「約1センチ」


というのは、絶妙なチョイスだったと思う。


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よくわからないのは、この芯が仕込みだったとして、

警察的には


「メモは鉛筆で書かれた」

「メモは(鉛筆ではなく)芯で書かれた」


このどちらの設定にしたかったのだろうか。


前者なら、


「Aさんは鉛筆でメモを書いたのだが、途中で芯が折れたのだ」

「鉛筆本体は、おそらく犯人が持ち去ったのだ」


という空気を作りたかったのだろうと思われ、それ故の、


「長さ約1センチの鉛筆の芯(先端部分)の出現」


という演出だったのかな、と思う。


しかし、「凶器の文化包丁」から「体毛」から「体液」から、すべてを遺留して逃走している犯人が


「鉛筆だけは持って逃げる」


という光景にも嘘くさいものがあるし、確か警察の見立てによれば、


「Aさんは山頂付近の雑木林で、手のひらにレシートを置き、犯人の目を盗んで書いた」


とされていたはずなのだが(1979年5月25日付、中日新聞の夕刊記事)、

机も下敷きもないその状況なら


「筆圧」


に気を付けなければ、鉛筆の先端が紙を突き破ってしまうと思う。

なので、その状況ならAさんは


「筆圧に気を付けながら書いた」


と思われるのであり、その途中で


「約1センチ」


という激しさで鉛筆の芯が「バキッ!」っと折れ、

それが、土砂の中からふるいに引っかかって発見され、鉛筆本体は犯人が持ち去った・・・


という設定は、あまりに無理がありすぎたと思う。


一方で、警察による設定が後者すなわち


「メモは、鉛筆ではなく、芯をつまんで書かれたのだ」


というものだった場合、

確かに、1センチの芯なら指先につまんで文字を書くことはできるとしても、今度は、


「果たして、あのメモのような文字を書けるだろうか?」

「薄い紙に下敷きもなく、指先に1センチの芯をつまんで書いた場合、文字は尋常ではない乱れ方をするのではないか」


という疑問が生じ、

こちらの設定の場合も、結局は嘘くさくなってしまうのだった。


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さてそれでは、仮に本当に上のような捏造~仕込みがなされたとして、


その「動機」は何だったのだろうか?・・・


ということを考えてみると、

ヒントは、メモの内容そのものに隠されているかもしれない。


そこで再びメモを見てみると、


長岡京ワラビ採り殺人事件1_8


1~2行目には、「オワレている たすけて下さい」とある。


とすれば、警察としてはこのメモによって


「追っていた者が犯人だ」


ということを示唆したかったのだろうか?

しかし、


「追っていた者が犯人だ」


というのは漠然としていて意味不明でもあり、

その意味不明なことを示唆するために、わざわざメモを捏造し、芯を仕込むというリスクを犯した・・・

とは、考えにくいのではないかと思う。


とすれば、残るは3行目・・・ということになるだろうか。

そこには、


「この男の人わるい人」


とある。


そしてこの部分は、単数表現を並べることにより(「この男の人」「わるい人」)、


「事件 = 男の単独犯による犯行」


ということを、強く示唆するものとなっている。