島根女子大生バラバラ殺人事件・その7(事件から6年) | 雑感

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9月17日追記:


2009年カレンダー


この島根県浜田市の事件の犯人は、事件当時どこに居住していたのだろう?

ということを考えてみた時に、例えば2005年12月に栃木県旧今市市で起きた吉田有希ちゃん殺害事件では、有希ちゃんが拉致されたのが旧今市市の木和田島(栃木県)、遺棄されたのが常陸大宮市三美の山林内(茨城県)、拉致場所と遺棄場所は直線でおよそ60キロ離れており、犯人は犯行のために車を長距離乗り回したらしい、ということで、あのときも「犯人はどこに住む人間なのか?」ということが問題になったかと思うのですが、仮に

 

「犯人=栃木人」
「犯人=茨城人」

 

強引にこの二択だとして、

 

1.栃木人が栃木で拉致して茨城に遺棄した(遺棄地点は栃木との県境近く)
2.茨城人が栃木で拉致して茨城に遺棄した(遺棄地点は栃木との県境近く)

 

「このどちらがより有りそうか?」ということを考えてみると、

「犯人にとっては普通、拉致場所よりも遺棄場所の選択のほうが、自由度(選べる度)が高いのではないか」

ということが感じられるのであり、なおかつこの今市の犯人は遺体を茨城の常陸大宮に遺棄しており、

「これほど車で豪快に走り回り、遺棄場所についてはかなりの自由度で選択できたはずと思われる中で、わざわざ自分の住む県に遺体を遺棄したりはしないのではないか?」

というありふれた見方に立ってみると、やはり「1」すなわち、


「栃木人が栃木で拉致して茨城に遺棄した」


というのが正解ではないか、という風に妄想していたのですが、容疑者を捕まえてみると、いちおう栃木人ではあったようでした(大方の予想通り)。


この栃木の事件については、警察庁の科学警察研究所(いわゆる科警研)によるプロファイリングも一部公表されており、それによると、


「犯人は、連れ去り現場から半径5キロの範囲内に住んでいる可能性が高い」


とのことでしたが、このプロファイリングは、「犯人=栃木人」という点では当たっていましたが、昨年逮捕された勝又拓哉容疑者は、事件当時、栃木県鹿沼市樅山のアパートに住んでおり、連れ去り現場(とおぼしき地点)からは直線で約17キロ離れた場所に住んでいたので、「犯人=連れ去り現場から半径5キロ圏内に居住」という点については、的中とはいきませんでした。


ともあれこういったことを、

「同じくけっこう頑張って遺棄のために車を走らせた(県境を跨いだ)とみられている島根県浜田市の事件に強引に当てはめ、あえて”犯人=島根人”、”犯人=広島人”の二択としてみると、どうなるのか」

ということを見てみると、

 

1.島根人が島根で拉致して、広島に遺棄した(遺棄地点は島根との県境近く)
2.広島人が島根で拉致して、広島に遺棄した(遺棄地点は島根との県境近く)

 

これだとやはり、「1」すなわち、

 

「島根人が島根で拉致して、広島に遺棄した」

 

ということのほうが、よりあり得そうなのかな、仮に広島人が犯人だとすると、遺体を県境近くの広島側ではなく、同じ県境近くでも島根側、いっそ拉致現場となった浜田市近くの山林に遺棄したのではないか、などと思えてくるわけです。

 

では仮に「犯人=島根人」だとして、


「島根の、どのあたりの在住なのか?」


ということを考えてみると、この点についてはひょっとすると

 

「2009年11月4日未明に臥龍山山頂付近で、長々とヘッドライトを灯し停車していた車」

 

というのがヒントになるのかもしれません。

 

もしこの目撃証言が真正であり、なおかつ、目撃されたその車が犯人のものであり、しかもそのとき遺体の遺棄を行っていたのだとすれば(だからあくまで仮定の話ですが)、

 

「11月2日の公開捜査開始」
   ↓
「11月4日未明の遺体遺棄」

 

という流れが見えるのであり、さらに言えば実質的には、

 

「公開捜査になった次の日の深夜に遺棄をした」

 

とさえ言えるのであり、そうなるとこの「11月2日の公開捜査開始」と「11月4日未明の遺体遺棄」との間には、関連性が見え隠れしてくると思うわけです。

 

平岡さんがゆめタウン浜田店(バイト先)の防犯カメラに最後に映っていたのが10月26日の21時15分、仮にその直後(数十分以内)に犯人と接触~拉致されたのだとすれば、そこから11月4日未明に遺棄をされるまでに、丸々8日と数時間ほどもありました。

 

生きている状態だったか、それとも既に亡くなった状態だったかはわかりませんが、犯人はこんなにも長い期間、平岡さんを手元に置いていました。

 

それほど平岡さんの肉体に執着があるのなら、公開捜査開始後(11月2日以降)も相当日数、手元に置き続けてもよさそうなものでしたが、どうしてそうしなかったのでしょう?

実際には、「公開捜査の実質翌日の深夜に遺棄をした」のでした。


やはり、「11月2日の公開捜査開始」が、犯人をして「早く遺棄をしなければ」と思わしめたのではないかと想像します。


しかしなぜ、公開捜査の開始が、犯人をしてそう(早く遺棄をしなければと)思わしめたのか、というと、要するに、

「平岡さんの公開捜査となれば、捜索されるであろう地理的~人的範囲に犯人は存在していた」

ということなんでしょうか?

平たく言えば、

「ヤバい、俺も捜索を受けるかも(早く遺棄しなくちゃ)」

ということで、そういう危機感を覚えざるをえないような、地理的~人的範囲に、犯人が存在していたのかな、とも想像されるわけです。

具体的にどういう範囲かというと、例えば

 

「学校関係」

「バイト関係(ゆめタウン~アイス~居酒屋)」

「ボランティア関係(動物愛護?)」

そしてそれこそ警察のプロファイラーが指摘したように

「平岡さんのバイト先までの通勤路沿線関係」

 

ということになるのでしょうか?

(直ちに思いつく範囲はそういうことだというだけで、その中に間違いなく犯人がいると言いたいわけではありません。)

 

犯人は丸々8日と数時間も平岡さんを手元に置いていた、という仮定をもとにした推測の話です。

 

仮に犯人が平岡さんと何ら面識がなく、なおかつ、遠方、たとえば中国地方でいえば島根県松江市、出雲市、江津市、大田市、益田市、広島県、山口県、鳥取県、岡山県の在住だったとすれば、公開捜査が開始されたからといって、泡食って翌日深夜に手元の遺体を遺棄に出かけるというのは、なにか考えにくいような気がします(絶対ないとは言いませんが)。

 

やはりどちらかというと、公開捜査の開始によって、焦りを覚えざるを得ないほどに(遺体を早く手放さざるを得ないほどに)、人的または地理的に(平岡さんに)近いところにいたのではないか、という気がします。とすればやはり、

 

「島根は島根でも、浜田市だ」

 

さらに言えば、

 

「平岡さんの自宅周辺や、アルバイト先への通勤路沿線に住んでいた可能性が濃厚」

 

という科警研のプロファイリングが、この事件については妙にしっくりくるじゃないか、という気がしてくるのですが、どんなもんでしょう。

その他さまざまな可能性がある、というのは勿論のことだとは思います。

 

とりとめのない文章ですみません。

 

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9月16日追記:

 

2009年11月に島根・広島両県警による合同捜査本部がどういうことを言っていたかというと、まず同年11月6日に発見された平岡さんの「頭部」については、

 

「頭部には落ち葉は積もっていなかった」

しかしながら

「屋外に放置した場合に生じる遺体(頭部)の傷み方の特徴から、遺棄されてから発見されるまで、約1週間は経過している

 

と言い、次に11月8日に発見された「胴体」については、

 

「(胴体の上には)かなりの量の落ち葉が積もっており、遺棄されてから数日間経過している模様

 

と言っていました。

要するにこの時、捜査本部は、

 

「平岡さんが殺害~遺棄されたのは、頭部をはじめとした遺体が発見される何日も前、もっと言えば1週間程度前、つまり10月30日とか31日とか、それくらいだった」

 

ということを、暗に主張したかったのかなと推測します。

 

どういうことかというと、平岡さんが公開捜査になったのは「11月2日」だったので、捜査本部としては、

 

「この11月2日の公開捜査が契機になって、平岡さんは殺害~遺棄されたんじゃないか?」

 

とは思われたくなく、どうしても

 

「公開捜査以前に、殺害~遺棄されていたのだ」

 

という風に、世間の雰囲気を誘導したかったのかなと想像します。

 

そして、世間がなんとなくこの事件のことを忘れかけてきたころに(つまり昨年の10月ですが)、

 

「いや、実は11月4日の未明に、臥龍山山頂付近で車が長時間にわたりヘッドライトを点けたまま停車していたのを、麓の人が目撃していたのだ」

「これは犯行時間帯の絞り込みに繋がる可能性もあると見て、捜査を続けている」

 

ということをリークしました。

当時の大橋亘・島根県警本部長が、

 

「警察の存在意義を懸けた闘いだ」

 

とまで言いつつ結果が出ておらず、しかも5年後にこのリークですから、これは見ようによっては姑息に映ったとしても仕方ないかもしれません。

 

落ち葉が積もる積もらないといった件のことですが、そもそも

 

「(胴体の上に)かなりの量の落ち葉」

 

というのがどれくらいの量かが問題ですし、また11月初旬の臥龍山のブナ林では、たかが1日~2日でも「かなりの量の落ち葉」が積もるかもしれません。

 

一度に食べきれなかった部分に、獣が落ち葉をかけた可能性も、皆無ではないかと思います(ヒグマはこれに似たことをしますが、ツキノワグマその他の獣はどうでしょうか)。

 

いずれにしても、胴体に積もっていたという「かなりの量の落ち葉」というのは、遺棄時期を推測する小さな目安にはなるかもしれませんが、一足飛びに

 

「(遺体発見から)1週間以上前に遺棄されていた」

 

ということを示すものではないと思います。

 

また頭部についても、

 

「屋外に放置した場合に生じる遺体の傷み方の特徴から(遺棄から発見まで約1週間は経過している)」

 

とあるのですが、

 

「屋外に放置した場合に生じる遺体の傷み方の特徴」

 

とはどういうものを指すのでしょうか?

 

またどういう実験データをもって、

 

「標高1200メートルの、肉食獣や虫(含スズメバチ)、積雪もある屋外に頭部が放置された状況」

 

を推し量ったのかも不明ですので、

 

「遺体発見より1週間ほど前に、遺棄は完了していたのだ」

 

と言われても、「ああそうですか」とは、なかなかならないかと。

 

殺害の時期についてはわかりませんが、遺棄の時期については、臥龍山山頂付近にヘッドライトが目撃された11月4日未明、ということを軸に考えてみたいと思っています。

 

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9月15日追記:

 

島根県浜田市事件_臥龍山ヘッドライト02

(ヘッドライトに浮かぶ臥龍山林道最奥、車両回転場横の斜面・想像図)

 

平岡都さんの遺体(頭部)が臥龍山の林道最奥・車両回転場横の斜面で発見されたのが、2009年11月6日。

その2日前の11月4日未明に、臥龍山山頂付近で、車の(ヘッド)ライトが長時間にわたって灯り続けるのが目撃されていた、とのことですが、この目撃情報は確かなのでしょうか。

 

目立ちたがり屋や、虚言癖・迎合癖のある人による悪意~善意の嘘、見間違いの可能性もあるので、直ちにこれが信じるに値する目撃情報だとは言えないかと思います。

 

しかし仮に確かな目撃情報だとすれば、このライトの車は遺体遺棄に来た犯人の車だったのだろうか、などと思われたりするのですが、よくわかりません。

 

ライトを目撃した人が最初に(ライトを)見たのは午前1時ごろ、そのライトは午前4時ごろにゆっくりと麓のほうに降りていった・・・とのことなので、最低でも3時間程度は山頂付近(おそらく林道終点の車両回転場)でヘッドライトを灯し続けていたのだと思います。

となると、エンジンは切っておらず、アイドリング状態だったと推測します。

標高約1200メートル、広大な広葉樹林帯の中を縫うように走る、4.6キロの林道の終着地点。

周囲には人工的な明かりとて何もなく、自車のヘッドライトに浮かび上がるそこ以外は漆黒の闇であり、あたりにはただアイドリングの音のみが響き渡っていたものと思われます。

あるいは時折、その機械的な音に混じって、得体の知れない鳥の啼き声や、野猿の吠え声、熊の唸り声、獣がうごめき藪のざわめく音などが聞こえたでしょうか。

小胆な人間なら、その一つ一つに、肝の潰れる思いがしたのではないかと思います。

このような雰囲気の中に長時間とどまっていた(と思われる)このヘッドライトの主は、犯人だったのでしょうか?

犯人ではなく、誰かが何かしらの夜の被写体を撮影していたのだとしても、灯りをともし続けるというのは夜間の撮影には御法度でしょうし、またラブホに行くお金のないカップルがエンジンをつけっぱなしにし、車内を温めながら何かをやっていたとしても、「臥龍山林道最奥でやるものだろうか?」という疑問が生じますし、そもそもヘッドライトを点けっぱなしというのも妙な話です。

やはり、逃げ場のない袋小路みたいな林道を、遺体遺棄のために延々4.6キロ(往復10キロ弱)も走った無茶な犯人のことでもありますし、辿り着いた先でヘッドライトを灯したまま3時間も留まる、という別のリスキーな行動に出たとしても、不思議ではないかもしれません。

 

犯人だった可能性は高い、と私は想像しています。

 

とすれば、やはり遺体を遺棄していたのでしょう。

謎なのはその所要時間です。

おそらくは8~10箇所程度に分けられた遺体の各部位を遺棄するのに、ヘッドライトを点けたまま、3時間も留まる必要があったのでしょうか。

全ての部位を同じ場所に一括遺棄すればあっという間に終わるでしょうし、車両回転場付近の別々の場所に分散して遺棄するとしても、おそらく30分以内には終了するのではないかと思うのですが・・・。

犯人だとして、3時間も何をしていたのでしょう?

よくわからない犯人です。

 

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9月14日追記:

 

島根県浜田市事件_臥龍山ヘッドライト

(臥龍山ヘッドライト目撃・想像図)

 

捜査が行き詰っているかに思える、島根県浜田市の女子大生殺害事件ですが、来月26日あたりには、どういった新情報がもたらされるでしょうか。

 

ビラをまいた、ということ以外には期待薄の予感はしますが、昨年の10月26日には下のような新情報も報道されました。(こういうことは、警察は2009年の時点から分かっていたはずだと思うのですが、なぜか昨年10月になってから公にしました。)

 

2014年10月26日(NHK)

「島根県浜田市の女子大学生が行方不明になり殺害された事件は、26日で発生から5年がたちます。

大学生の遺体が山の中で見つかる2日前に、現場近くで長時間にわたって車のライトが目撃されていたことが分かり、警察は犯行時間帯の絞り込みにつながる可能性もあるとみて捜査しています。

島根県浜田市にある島根県立大学の1年生だった平岡都さん(当時19)は、5年前の10月26日の午後9時すぎ、アルバイト先のアイスクリーム店を出たのを最後に行方が分からなくなりました。

有力な目撃情報もないことから警察は(11月2日に)公開捜査に踏み切り、11日後の11月6日に、アルバイト先からおよそ25キロ南にある広島県北広島町の臥龍山の頂上付近で遺体の一部が見つかりましたが、事件は未解決のままです。

この事件で、現場の山頂付近を見渡せる場所に住む女性が、遺体が見つかる2日前の11月4日の未明、現場の近くで車のライトを目撃していたことが、警察への取材で分かりました。

女性は”最初にライトを見たのは午前1時ごろで、その後、何度か目を覚まして窓から山頂付近を見るたびに同じ位置でライトが光っていたので不審に思った。午前4時ごろ、ゆっくりとライトがふもとの方向に動いていった”などと話しているということです。

警察は、現場近くで車がライトをつけたまま3時間ほど駐車していたとみており、犯行時間帯の絞り込みにつながる可能性もあるとみて捜査を続けています。」


動画はyoutubeで、下記のURLから見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=0ifRZfdDCDk

 

目撃時刻は2009年11月4日の午前1時~4時ごろ、場所は、臥龍山の西麓地区です。

 

目撃されたヘッドライトが必ずしも犯人のものとは限りませんが、例えば犯人ではなく、他の誰かがそれこそ星であるとか光るキノコであるとかを長時間撮影していたのかと考えても、そういう場合は、あたりを真っ暗にする必要があると思います(ヘッドライトは消す)。

特に、光るキノコの撮影は、周囲を照らすことは厳禁のようです。

山頂で約3時間も煌々とヘッドライトを灯していたというのが事実であれば、かなり不自然には違いありません。

仮にこのとき犯人が遺体を遺棄していたのだとすれば、平岡都さんが公開捜査になった11月2日の直後(だいたい1日半後)と言えるようです。

どういうことが考えられるのでしょうか。

 

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9月13日追記:

 

臥龍山_一本道

 

平岡都さん(当時19)の遺体は、広島県の臥龍山で発見されました。

浜田市からであれ、それ以外の場所からであれ、臥龍山の山頂(山頂手前の車両回転場)に車でたどり着くためには、その前に絶対に通らなければならない、長い一本道があります。

上の画像中、水色の道がそれです。

左側、赤ピンの先がスタート地点、右側の端がゴール(車両回転場)です。

その距離約4.6キロ、グーグルによると車で36分と計算しています。

 

4.6キロを車で36分とは大げさすぎる(安全運転すぎる)気がしますが、ストリートビューで見る限り、基本的に離合が厳しい車1台分の曲がりくねる細道が延々続くのであり、これだと仮に時速15~20キロで走行したとしても、ゴールの車両回転場にたどり着くのに20分弱程度を要するかと思います。

ちなみにスタート地点の赤ピンの先をストリートビューで見てみると、次の画像になります。

臥龍山_一本道起点

 

これをどんどん行くと、

臥龍山_一本道01

 

こんな感じとか、

臥龍山_一本道02

 

ゴールの車両回転場まで、ずっとこの調子です。

運転が苦手な人だと、対向車が来ないことを祈るようなたぐいの道ではないでしょうか。

こんな道をどんどん行くと、

臥龍山_車両回転場01

 

ゴールの車両回転場に到着しました。(ストリートビューここまで)

これで、向きは北向きです。

 

情報を総合すると、この回転場奥から右上に向かって山頂への登山道が少し伸びており、画像左側斜面には頭部が遺棄されていたとのことです。

よく見ると、頭部があったとおぼしき斜面上に、花束が添えられています。

その花束の前まで行ってみると、

臥龍山_車両回転場02

 

画像左下に花束、これで西向きの画像です。

目の前の斜面を約10メートル下った地点、落ち葉の上で、頭部が発見されたそうです(キノコ狩りの男性が発見)。

 

ふたたび北に向きなおして回転場の最奥を見てみると、

臥龍山_車両回転場03

 

いくつか看板があるようですが、文字が見えません。

要するに、ここから右上に登れば山頂であり、よく見えませんがここから左に分岐するルートもあり、それを行くと下山できる(?)ということではないかと想像します。

 

ふと振り返ってみると、

臥龍山_車両回転場05

 

左側に白い看板が見えます。

「情報をお寄せください」とあるように、この事件に関する情報募集の看板です。

少し目を右にやると、

臥龍山_車両回転場04

 

頭部はこういった場所に遺棄されていました。

頭部は平岡さんであると判別可能だったとのことなので、激しい損壊を受けていたわけではないと想像しています。

胴体の部分は、頭部の位置から約70メートル離れた場所で発見されました。

胴体の部分は、首から上、両腕・両足がなく、内臓もほとんどなく、両乳房と女性器の部分が削ぎ取られ、一見して性別が分からない状態でした。

何を意図したのか、犯人はこの胴体に火を放ったらしく、全体的に黒くすすけていたそうです。

胴体が発見された地点は、徒歩で入り込んでいかなければいけない場所らしく、ストリートビューで見れないので、はっきりした遺棄場所をここに示すことができません。

見取り図としては以下のような感じらしいです。

臥龍山_車両回転場06

 

その他にも、「左足首」であるとか、「右大たい骨」であるとか「爪」であるとかが、林道わきの別の箇所から、それぞれ発見されています。

もう一度この画像を。

臥龍山_一本道

 

犯人が意図的に広範囲にばらまいたものか、それとも遺体の全てのパーツを山頂付近に遺棄したが、その大半を動物が咥えて運び去ってしまったものか、確かなことは不明です。

動物のフンの中から平岡さんの爪が発見されているので(DNA鑑定で確定)、遺体のいくらかの部分を動物が運び去り、食べてしまったのは間違いないものと思われます。

死肉を食べたということであれば、ツキノワグマ、イタチ、テン、アナグマ、キツネ、タヌキなどが考えられるでしょうか。

特に内臓がほとんどなく、頭部よりもさらに奥で発見されたという「胴体」について、これが果たして犯人が自ら内臓を抜き、自ら抱えて夜の登山道に分け入り遺棄したものか、

それとも犯人は特に内臓を抜いたりはせず、車両回転場横の斜面に頭部と一緒に遺棄していたものを、イタチやテンなどが真っ先に内臓を食べてしまい、その状態のものを今度はツキノワグマやキツネが咥えて移動させたものか、そのあたりはよくわかりません。

獣がかぶりつき、引きちぎったりすれば、警察にはわかりそうではあるのですが・・・。

しかしこういったことを別にしても驚きなのは、上の画像の、

 

「臥龍山山頂手前(車両回転場)までの一本道」


 

のことです。

なにしろその距離は片道約4.6キロ、車でもたぶん15~20分かかります。

往復で30~40分でしょう。

離合も厳しいこの道を、普通、遺体遺棄のために行くでしょうか?

これ、袋小路だと思うんですけど。

往路であれ復路であれ、対向車(あるいは後続車)が来たら、えらいことです。

遺棄に着手する前に対向車(後続車)が来たら遺棄を諦めざるを得ないでしょうし、遺棄して下山途中に対向車に出くわしたら、目も当てられません。

深夜~まだ暗い早朝に深山の細道ではちあわせれば、相手は相当ビビるでしょう。

ヘッドライトにまざまざと浮かび上がった犯人の車は、その人の目に心に、焼き付くことと思います。

臥龍山はそんな心配は無用の、人の出入りの滅多にない山なのでしょうか?

決してそうは思われず、情報によると車両回転場には「雪霊水」という名水が湧くらしく、それを汲みに来る人は多いそうです。

麓(ふもと)の人はどうか知りませんが、例えば広島市あたりの料理屋や物好きがまだ暗い早朝にペットボトル30本抱えて汲みに来る、ということはいちおう想定してもよいのであり、

またキノコの季節でもある以上、どんな時間に山入りしてくる物好きがいるかは未知であり、その他、肝試し、深夜のドライブなどで不意に訪れる者があるかもしれず、

検索すれば出てきますが臥龍山には「光るキノコ」なんてのがあるらしく、夜間に長時間かけてその撮影をする人もいるらしいので、それらを考えあわせても、この袋小路の臥龍山林道最奥が、安心して遺体を遺棄できる場所とは、到底思えません。

ここに遺棄するのは物凄いリスクだと思いますが、犯人はただ

「山深いところだから見つからないだろう」

「こんな時間に誰も来ないだろう」

と思い込むばかりで、この絶望的な袋小路で意図せず他人と出くわすことの致命的なリスクについて、思いが至らなかったのでしょうか?

それとも、そのリスクを背負ってでも臥龍山に遺体を遺棄したい、そんな犯人なりの理由があったのでしょうか?

私自身は前者ではないかと想像するのですが・・・。(色々なことがハチャメチャ過ぎ)

いずれにしても変な犯人です。

 

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9月13日、1時08分追記:

 

この記事「その7」は、妙なアップロード具合になってしまいました。

 

その8、その9、その10~~と記事ばかり増えるのもアレなので、島根の記事は当面「その7」の中でやっていきます。

私は画像の作成が苦手で、一気呵成に全部作るということがなかなかできず、毎日ちょぼちょぼと作り足していくやり方なのですが、そうやって出来上がった画像や文章を、時々、この「その7」に追記という形でアップロードさせていただこうと思います。

島根の事件については他に圧倒的な情報量と洞察と含蓄に富んだサイトがいくつかあり、私のはただの感想文で内容が薄いですが、暇なときにでもご覧いただければと。

 

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9月12日、23時56分追記:

 

現場の位置関係とかの画像を上げておきます。

事件について詳しい方にとっては今さらの画像ですが、この事件に詳しくない方は、よければ参考になさってください。

(画像の東西南北は各自でご想像ください)

島根県浜田市女子大生殺害事件現場位置

 

画像左上のほう、の箇所が島根県浜田市。

2009年10~11月、この浜田市にある島根県立大学1年・平岡都さん(当時19)が何者かにより殺害され、そのバラバラ遺体が、広島県の臥龍山(の箇所)に遺棄されました。

該当箇所をもう少し拡大してみると、

島根県浜田市女子大生殺害事件現場位置2

 

ピンクの線は県境です(超いい加減な引き方ですみません)。

しかしこうしてみると、遺体遺棄現場である臥龍山(1223m)というのは、広島県の山とはいえ、島根側からみれば広島への県境をまたいですぐのところに位置しており、浜田市からそうめちゃくちゃ遠いわけでもない、というのが見て取れます。

そのあたりの衛星画像などを見てみると、

島根県浜田市女子大生殺害事件現場衛星画像

 

赤ピンの先が臥龍山です。

かなりとんでもない山奥であることが想像されます。

浜田市の某道路わきにある溝の中から、失踪~殺害された平岡さんのものとみられる黒い靴(左側)が発見されました。

ためしに、その靴の発見現場から、臥龍山までのルートを見てみると、

浜田市から186号線経由臥龍山ルート

 

水色の線がそのルートになります。

その距離46.4キロ、時間にして約1時間半と出ました。

(ピンクの線は島根・広島の県境です)

これは浜田市から臥龍山まで186号線をメインに使用するルートであり、犯人がこれ以外のルートをとったことは当然考えられます。

 

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9月12日、18時24分up:

 

島根県浜田市~広島県山県郡北広島町(臥龍山)で起きた女子大生バラバラ殺害・死体遺棄事件を、覚えておられるだろうか?

2009年10~11月、島根県立大学1年の平岡都さん(当時19)が殺害され、そのバラバラ遺体が広島県の臥龍山に遺棄された。

史上まれに見る類の残虐な事件だったが、いまだ未解決のままだ。

当時の島根県警本部長・大橋亘(おおはしわたる)氏はこの事件の捜査のことを

 

「警察の存在意義を懸けた闘い」


と言った。


(当時の記事より。)
広島県の臥竜山山中で島根県立大1年平岡都さん(19)=同県浜田市=の遺体が見つかった事件で、島根県警は浜田市で臨時の署長会議を開き、大橋亘本部長(47)が「類例を見ない残虐な事件。警察の存在意義を懸けた闘いと言っても過言ではない」と訓示した。
会議には本部の部長や署長ら30人が出席。
県警組織の総合力を発揮した捜査や情報収集の徹底に加え、地道なパトロールで住民の「安心・安全な生活空間」の確保を目指すことなどを話し合った。
会議終了後、広島県警との合同捜査本部を指揮する島根県警の雪野博刑事部長(60)は「被害者の無念を晴らすためにも、警察の威信に懸けて一日も早く解決したい」と話した。


「自分の存在意義」であるとか「島根県警の存在意義」であるとか、そんなレベルではない。「警察の存在意義」と言ったのだった。

あれは言葉のあやだと、本部長ともあろう方がまさかそうは仰るまいと思いたいが、その本部長は、この訓示の4か月後に、異動で島根を離れた。同じく、


「警察の威信に懸けて」


と言った雪野博刑事部長(当時60)が、今どうされているのかはわからない。

でも事件から6年が経過して、その存在意義や威信を懸けた闘いの現状がどうなっているかというと、見ていてほしい。

たぶん、あとひと月半ほどしたら、冬の訪れを告げる冷たい風と共に、

 

「浜田駅前でビラ配りをした」

「北広島町の路上でビラ配りをした」

 

とかのニュースが、気まずそうにテレビやネットの片隅にチラッと現れ、そそくさと消えていくのだ。

残念ながらこれが、「警察の存在意義~威信を懸けた闘い」(by 島根・広島両県警)の現実となっている。

そして、なんの良い報告ももたらされないまま、また来年の秋が来るのだろうか。

 

2009年の、この女子大生バラバラ殺人事件以降も、世間を騒がす大事件は相変わらず多い。

しかし各種監視カメラの普及もあってか、結構な割合で、容疑者検挙に結びついているように思う。

 

だがどれほど他の都道府県警が結果を出しても、島根・広島両県警によるこの「警察の存在意義を懸けた闘い」で結果が出ていない以上、我々の気持ちが晴れることはない。

いわんや被害者の無念が晴れることなどあり得ない。

 

この犯人はおそらく殺人の再犯をしていない。

しかし栃木今市や京都舞鶴の事件でも見られたように、大きい方の再犯(殺人)がなくても、小さいほうの再犯(万引き、下着ドロ、露出、違法ブランド販売等々)があるかもしれない。

微罪による逮捕など、思わぬ経緯で、警察の網に引っ掛かってくるかもしれない。

 

犯人逮捕の契機は断たれてはいない。

島根・広島両県警は諦めず頑張ってもらいたい。