富田で生まれて学校を出て、「シュンガノオモテノハンタイ」の「パーラボウ」に勤めた股割れは、
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
(いつの日か世帯を持ち、何年かして裏口に立つようになった)
ここで、
「裏口に立つ」
とは何を意味するかということについては、
「裏稼業に手を染める」
「非合法な活動を始める」
等々と広めに読み解く見方もあるが、おおむねここは、
「売春をする」
の隠語だと解する見方が多い。
世帯を持った女性が「家の裏口に立つ」ということは、男たちをそこからこっそり招き入れる姿を連想させ、それはつまり「売春」のことだろうと解釈されるが、これは、
「股割れ」=「売春婦」=「女」
という定説的な見方を前提とすれば当然の推理だった。
それ以外の見方を探ってみると、例えば「裏口」を「家の裏口」ではなく
「非合法な手段で、秘密裏に出たり入ったりするところ」
などと解することも可能かと思われる。
その場合は、「裏口に立つ」の意味は、例えば
「密入国、密出国の窓口を勤める」
「密入国、密出国の請負業者として働く」
さらに言えば
「拉致の手引き役として働く」
などと読めるかもしれない。
この場合は「股割れ」=「女」ということを必ずしも前提としない。
また、
「裏口」=「浦口」
と読んでみるのも、ありかもしれない。
「浦口」とは三重県志摩半島あたりに多い苗字であって、「浦口」と聞けば、この苗字の三重県津市出身の美人アナウンサーを思い浮かべる人もいるかもしれない。
人の苗字だけではなく、伊勢市には「浦口」という地名もあるが、「浦口」から連想されるのは「個人名」「地名」に限ったことではなく、例えば「浦口XX店」などの「商店名」も連想される。
その「裏口」=「浦口」という見方に立てば、「イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ」という一節は、例えば、
「世帯を持った股割れが、浦口姓を名乗るようになった」
ということを暗示しているかもしれず、あるいはまた
「いつの日か世帯を持ち、何年かして浦口XX店の店先に立つようになった」
「いつの日か世帯を持ち、何年かして伊勢市浦口に居を構えた」
などと読むことも可能かもしれない。
ちなみに伊勢市には、「浦口」の他に「二見浦(ふたみがうら)」という場所も存在するが、これは先に「シュンガノオモテノハンタイ」の候補地の一つとして挙げた地名でもある。
ここで仮に、
「裏口」=「浦口」
「シュンガノオモテノハンタイ」=「二見浦(ふたみがうら)」
という見方に立てば、作者の言う「股割れは富田で生まれて学校を出て、シュンガノオモテのパーラボウに勤めた。いつの日か世帯を持ち、何年かして裏口に立つようになった」という部分は、
「股割れは富田で生まれて学校を出て、伊勢市二見浦のパーラーに勤めた。いつの日か世帯を持ち、何年かして伊勢市浦口に居を構えた(あるいは、浦口XX店の店先を任されるようになった)」
などと読めるかもしれない。(無理か)
さて、いつの日か世帯を持ち、何年かして「裏口に立つ」ようになった股割れの現在は、作者によると、
イまハーケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
(いまはーケータショーの近くで、四ツアシを操っている)
ここでいう「四ツアシ」とは、「四つ足」のことであると解されている。
この言葉は一般に、犬や猫、牛、馬、豚など四本足の動物を指していることから、
「四つ足を操っている」=「(股割れが)動物に関連した職業に就いている」
という風に解する見方が多い。
その他、「四つ足」の解釈としては
「自動車」「赤ちゃん」
など様々なものがあるが、それらの解釈を前提とした場合に、作者の言う「四つ足を操っている」とはどういう意味になるのか。
様々な解釈があるが、ここでは割愛したい。
次に、「いまはーケータショーの近くで」の部分。
厄介なのは、この部分が、
①「いまはー ケータショーの近くで」
なのか、
②「いまは ーケータショーの近くで」
なのかが、
怪文書の(現物の)写真を見ても判然としないところだった。
下手をすると、
③「いま ハーケータショーの近くで」
という可能性もあるが、きりがないので、③については論じない。
ここは、①の立場に立った上で、
「ケータショー」=「警察署(ケーサツショ)」
と解釈し、「今はー、警察署の近くで」とする見方が多い。
同様に①の立場に立ち、
「ケータ」=「北(キタ)」
と解し、「今はー、北署(キタショ)の近くで」と読み解く説もある。
ここでいう「北署」とは「四日市北署」のことであり、「四日市北署」とは、この行方不明事件を管轄している警察署だった。
他には②の立場に立った上で、「ー」=「伏せ字」と解し、3箇所あるその伏せ字(ー)の部分に、それぞれ「タ」「シ」「ー(棒)」を入れて
「タケシタ書房」
「イケキタ小(イケキタ小学校)」
などと読み解く説もある。(その名前の書店や小学校が、三重県の、特に四日市市辺りに実在するかは別の話。)
自分的には、これは、
「四ケイチキタショ(四日市北署)」
だったのではないか、と想像している(自信はない)。
すなわち、まず②の立場に立ち、その上で3箇所ある「ー」の部分を「伏せ字」と解し、その伏せ字(ー)の部分にそれぞれ「四」「ー」「キ」を代入する。
すると原文の「いまは ーケータショーの近くで」は、「いまは、四ケータショキの近くで」となる。
これを並べ替えると「いまは、四ケーキタショの近くで」となり、「ー」の部分を「イチ」と読ませれば、
「いまは、四ケイチキタショの近くで(いまは、四日市北署の近くで)」
と読み取ることが可能になる。
ただし、「四日市」を「四ヶ市」としなければならない時点で、この解釈は厳しい気がする。
(古い文献で、「四ヶ市」という記述は見られるらしいが。)
他の方による説で、素晴らしいと思ったものがあるので紹介したい。
それは①の立場に立った上で、「ケータショー」=「鶏太小(鶏太小学校)」と解する説だった。
その説によると、
「ケータ(鶏太)」=「源氏鶏太」
を意味するのだという。
源氏鶏太は明治生まれの作家(明治45~昭和60)。
Wikiによると「平家よりも源氏が好きだ」という理由で、ペンネームに「源氏」を用いたのだという。
この説は、「ケータショー」の「ケータ」を「源氏鶏太」の「鶏太」だと解し、
「ケータショー」=「鶏太小(鶏太小学校)」
であるとする。
ところが、「鶏太小(鶏太小学校)」という名前の小学校は実在しない。
そこで、「"鶏太"すなわち"源氏"を連想させる名前の小学校が、四日市あるいはその近辺に、存在するのではないか?」と推測する。
それが、実在した。
四日市市の南隣、鈴鹿市算所5丁目にある「清和小学校」(1985年開校)が、それに当たる。
確かに、「清和」と聞けば「源氏」を連想する人も少なくはないと思われ、そこから怪文書の作者は、「源氏鶏太」を連想して「清和小」=「鶏太小」=「ケータショー」と発想した可能性はあると思う。
「ケータショー」=「清和小学校」
秀逸な説に思えるが、そのことは、怪文書をさらに読み進めると明らかになってくる。
その7へ。