三重県四日市市・加茂前ゆきちゃん行方不明事件の怪文書・その2 | 雑感

雑感

たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

正直、


「キチガイのたわ言」
「悪質ないたずら(嫌がらせ)」


という可能性も、少なからずあると思うのですが、そう切り捨ててしまうと、この文書に向き合う意欲も失せてしまうので・・・


ここはあえて、女児失踪に関してなんらかの事情を知る(知っていると思い込んでいる?)人物が、それなりの意図を込めて書いた文章だ、という前提に立って読み進めてみます。


こじつけまがいのトンデモ説も出しますし、気付いたことをとりとめもなく書いていきますので、文章は冗長で読むのは苦痛かもしれませんが、興味のある方はお付き合いください。


ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモアカアイソウ お父もカアイソウ

(みゆきさんについて。みゆき、可哀そう、可哀そう、おっかあも可哀そう、お父も可哀そう)


文書の代名詞ともなっている言葉、


「カアイソウ」


が登場している。
不吉なカラスの啼き声をも連想させる禍々しいインパクトは別として、文意に難解さはないとして、さらりと流されてしまいがちな箇所ではある。


ただ、この文書は、その内容が的外れかどうかは別として、「告発文」の体裁をとっていることは間違いなく、だとすれば一見見落とされがちな他愛の無いワード、センテンスの中にも、何らかの意図が隠されている可能性がある。


例えばある人物(A)が、豊島区の巣鴨あたりに住んでいる「梅田」という男を告発しようとした場合を考えてみると、

Aが「梅田本人」あるいは「その所属する組織」からの身バレと報復を恐れる余り、告発文の中では直接的に「梅田」という名前を使わず、それが「ばいた」と読めることに着目して、


「巣鴨の梅田」=「巣鴨の売女(ばいた)」


と遠まわしに表現して梅田をディスる、ということは有り得ることで、

さらに言えば、本来男であるはずの「巣鴨の梅田」の悪行の物語を、「巣鴨の売女(ばいた)」つまり「女」の物語に仕立て直して告発する、ということも有り得るのであり、

謎めいた怪文書を読む際には、こういった可能性も念頭に置きつつ読んでみる必要があるのでは、と思う。


そこで、この文書の冒頭を見てみると、不自然なほどに「カアイソウ」を連呼しており、そこには、「この言葉に読者の注意を向けさせたい」という作者の意図を見てとれなくもない。

とすれば、この言葉(カアイソウ)によって、作者は何かを暗示していたことも考えられる。


仮にそうなら、そこで何を暗示しようとしたのか・・・ということを考えてみると、やはり、告発文の中で暴露~暗示される定番といえば、それは、「誰かが犯した悪事の内容」であったり、その誰かの「名前」「住所」「勤務先」等ではないかと思う。


とすれば、この怪文書の作者も、その類のものの暗示を文中で試みていたかもしれず、

例えば想像だが「カアイソウ」という言葉によって、「ゆきちゃんやその両親が可哀そうだ」という一般的な愁傷の意を表明していると見せかけて、実は、


「誰かの名前」


を仄(ほの)めかしていたのだ、ということも考えられるかもしれない。


その「誰か」とは、例えば、


「作者が告発したい人物」

「作者が告発したいグループのメンバー」

「バックにいる組織の誰か」


ということになるかもしれず、具体的にどういった名前が考えられるかというと、そのまんま過ぎて恐縮だが、例えばそれは、


「川●聡(カ●イア●ラ)」男性
「河●壮(カ●イタ●シ)」男性
「河●操(カ●イミ●オ)」女性


などが、考えられるかもしれない。

これらの名前はいずれも「カアイソウ」と読むことができる。


もちろんこれは例であって、候補となる名前は他にも多数あると思うが、

いずれにしてもこの「カアイソウ」という言葉に、「ある人物の名前」が暗示されているからこそ、作者は冒頭からこの言葉(カアイソウ)を連呼してみせた、と見ることも可能かもしれない。


とすれば、のっけから「カアイソウ」を連呼する、一見斬新だが気味悪いにも程があるこの書き出しにも、作者なりの意図があったということになる。


こじつけめいた荒唐無稽な解釈かもしれないが、この種の文書では、一つの言葉に二重三重の意味が込められているかもしれないということ、いわゆる


「ダブルミーニング」


の手法が使われているかもしれないという視点からアプローチしてみるのも、ありではないかと思う。


~~~~~~~~~~~~


他の気になる点としては、怪文書は、「みゆき カアイソウ」としている。

ところが、行方不明女児(当時8)の名前は「加茂前ゆき」、つまり「ゆき」なのであり、作者の言う「みゆき」ではなかった。


作者は女児の父親の名前も間違えており、父親の名前は「加茂前芳行」といったが、文書の宛て先は「加茂前秀行」となっていた。


つまりこの文書は、「誰に宛てられたのか」、そして「誰について言及されたものか」ということさえ、厳密に言えば曖昧な文書だったわけだが、

作者は単に、女児や父親の正確な名前を知らなかっただけなのか、それとも、名前を間違えたことに何らかの意図があったのだろうか?


なんらかの意図があったとすれば、やはりここでも何者かの名前、例えば、


「作者が告発したい人物の名前」

「作者が告発したいグループのメンバーの名前」

「行方不明女児が現在(誘拐された先で)呼ばれている名前」


などを、この「みゆき」「秀行」という名前によって暗示しようとしたのかもしれない。(同じ名前、あるいは、同じ漢字が使われている等)


もう一つの可能性としては、不明女児や宛て先(父親)の名前をあえて間違えることで、この文書に


「意図の知れなさ」

「そこで言及されている対象の曖昧さ」


を付与したかったのかも知れず、さらにいえば、

その意図の知れない模糊とした言葉の弾幕の向う側に身を隠すことによって、


「自分の素性を悟られないようにしたい(身バレを防ぎたい)」


という意図が働いていたことも考えられる。


主語や目的語の省略、名詞の意図的な誤用、

片仮名ベースの文章に平仮名~漢字のイレギュラーな混在、

濁点や半濁点の誤用、句読点や改行の位置の不規則さ、

アナグラムや暗喩の多用・・・


言葉は曖昧に、不可解にするほどに素性を悟られにくく、身を隠す余地は増える。


誰かを批判するとか告発するなどの場合、その手法は特に有効と思われる。


その意図の下に、この怪文書の作者も、

女児やその父親の名前さえ、あえてぼかして書いたと見ることもできる。


何者かに素性を悟られることを、作者は恐れていたのかもしれない。


だとすれば、その恐れの対象としては、例えば「警察」「犯人」そして場合によっては


「犯人のバックにいる、黒幕的組織」


などが考えられるかもしれない。


その3へ。