子育てをする上で何よりも大切なのは、
愛
これは疑う事のない事実ですよね。
愛の表現の仕方って、万とありますよね。そして人それぞれ。
愛してるよって1日に何回も言ってあげる、
たくさん抱きしめてあげる、
美味しいご飯を作ってあげる、
子どもが喜びそうな所へ連れて行ってあげる、
・・・
数えきれないほど出てきます。
ここで注目したいのが、
○○してあげる。
という言葉。
私たちはいろーんなことを子どもにしてあげます。
よかれと思って。
でもひと呼吸置いて、考える必要があると思うのです。
その「してあげる」は、本当に愛か、それとも情か、はたまた親の都合なのか、
ということを。
子どもが何もできない赤ちゃんのうちはそれでいいんです。
とにかく何でもしてあげる。それが愛です。
でも、大きくなってきて自分で出来る事(出来そうな事)が増えてきたとき、
それでも私たちが何でもかんでも「してあげる」のは愛とは違ってきます。
時に子どもたちの成長のチャンスを奪う事になったり、
子どもをあらぬ方向へと導く事にもなりかねないのです。
私はいつも上の娘(4歳)をプリスクールに連れて行き、車を降りると、
彼女の荷物は私が持って学校まで歩いていきます。
ふと気づいたのです。なんで私がやってるの・・・?
リュックサックはお弁当しか入っていない軽いもの。
彼女が当然持っていくべきなのです。でも私がやっていたのは、
私がやった方が早いから。ささっと車から出して、すぐに学校に入れるからです。
完全に自己都合です。
他にもあります、
彼女が学校から帰ってきてからリュックサックの中のお弁当箱を出し、シンクに置くのは私です。
彼女が出来るのに。それは、学校から帰ってきて疲れているのに、すぐ仕事をさせるのも可哀想だな、という私の情です。
この二つの例、一見愛にも見えますよね。
子どもの為に荷物を持ってあげる、
子どものお弁当箱の世話をしてあげる。
ね、優しいお母さんの愛に見えます、一見。
しかしこれは本当は愛ではないですよね。
一個目の例は自己都合、二個目は情です。
愛は、
小学校に上がったら自分で荷物を持ち、自分でスクールバスに乗って学校へ行かなきゃならなくなるので、
今から少しずつ練習させてあげよう。そうしたら後々、本人が困らないで済む!
と、リュックを自分で背負って学校に入らせる。
自分が食べたお弁当は、ごちそうさまと言って自分で出し、洗い場まで持って来るようにさせよう。
そうしたら、彼女に、作った人に感謝を伝える大切さ、自分のお弁当箱(自分のもの)を自分で管理すること、
お弁当箱がきれいに洗われてまた明日そこに食べ物が入って自分のランチになるその循環、お母さんをサポートする喜び、
そういう事を教えてあげられたり、感じさせてあげられる。
一見厳しいようにも思いますが、「してあげる」よりもよっぽど深い愛情が込められていますよね。
こんな風に、一見優しさや愛に見えて、
子どもから成長のチャンスや、大切な事を学ばせるチャンスを奪っている事が生活の中にたくさんあるんです。
子どもにしている一つ一つの「してあげる」をこれから少しずつ見直してみようと思います。
そのときの基準は、
それは愛か、情か、はたまた自己都合か?
です!