5月のライブキャンセル連絡がどどっと入ってきました。あと1か月もライブで歌う事が出来ないなんて。


わかっちゃいるけどMelty, downerな気分です。


本を色々読んでます。


以前に読んで、久々に読んだ本は、アメリカの女性調律師 Anita T. Sullivanさんが書いた「The seventh Dragon -ピアノと平均律の謎(調律師が見た音の世界)」。




私は調律師だった時がありました。

これは調律の勉強を始めた頃にふと買って読んだ本です。

(今は自分のピアノを調律するだけで、仕事ではもうやりません)


この本を再び読んで、音律やピアノのことについて、忘れかけてた事を再度思い出したり、新たに知る事があったり。


調律中に、自分とピアノと音と時空と揺らぎの境目がどんどんなくなって

音楽の演奏とは全然違う、ピアノが発する音の釜の一部に、自分が溶けこんでいく感覚があるのですが


これを文章で表しているものを読むことは、この本以外でまだないです。


触発されて、多分半年ぶり?くらいに、自分のピアノを存分に調律しました。


子供の頃母が買ってくれた大事なピアノです



だいぶざっくり言うと、調律とは、オクターブとユニゾン以外の音を、少しずつ均等に濁らせていく作業です。


仕事してたときと違って、時間に追われず

ゆっくり好きなだけ、自分が感じられる・このピアノに対して出来る、好きな音質のところまで整えていく


体力も気力も凄く使って、ピアノの存在に溶け込む作業、、、なんだか自分の心も落ち着き、整いました。




ピアノは、常に張りつめています。いつもこんなに必死に張りつめていて、、と、かわいそうに感じるときもある。


ピアノ技術者さんにメンテナンスされることももちろん大事だし

常に誰かに演奏してもらうことによっても、ピアノはその美しい張りつめと心を保っています。


美しい女性が、常に人に見られたり、運動したりして、その美貌やプロポーションや健康や優しさを保っているのと似ている気がします。


今、お休み中のライブハウスのピアノは、ずっと弾いてもらってないから、再開した時に、すぐには良い音が出ないだろうな。

(二ヵ月ベッドで寝込んでいたダンサーに、今までと同じように、すぐ踊れ、というのは無理な話しだというのと同じです。)



調律師を辞めてすぐの頃、一緒に辞めた同僚と一緒に、友達の家のピアノを解体した作業は快感でした。


いつも修理やオーバーホールもしていたんですが

その時に解体する作業は楽で、おりゃーーー!という解放感があっても、その後新たな部品を着けて張りつめ直す作業が、物凄く大変だったから!


今までずっと張りつめて生きていたピアノさんを

解放させただけで終わる作業、、、


めちゃ気持ち良かったな。

晴れてたし!


解体した響板の上でキメポーズする私と

ベース弦を全外ししてドヤ顔する相棒と私