「心」って、自分自身の意識の中にぼんやりと存在しているものだけれど、それを科学で証明することも、医療で証明することも、明確にはできないわけ。
目には見えないけれど、たしかに自分の中に存在している。それは数多の感情と精神を司って、たとえば「楽しい」とか「うれしい」とか、逆に「悲しい」とか「苦しい」とか。「あきらめない!」とか「負けるものか!」とかも然り。

本能の一部なのか、機能のひとつなのか。なんとなく疑問に思う気持ちもまた、「心」によって生み出されているのかもしれない。

考え方を変えてみる。「心」っていう器が有る限り、自分達は死ぬまで延々と感情・精神を変化させ続けなければならない。仕事でしんどい思いをするとか、でも仕事が終わって「よっしゃ、家に帰ってあんなことやこんなことをしよう」ってなって気分が高ぶるとか。

全てが良い方向に傾くとは限らない。「心」だって、疲弊はすると思う。辛い思いを繰り返せば、なおさら。で、ボロボロになっちゃうわけ。そしてそのまま放置したら、ホコリをかぶって、機能しなくなる。

これは持論だけれど、「選択」の最たるもの、それは「生きるか死ぬか」だと思う。
全てに絶望して、心の機能を喪失してしまった人が最期にとる行動。言うまでもないと思う。

だれかが助けてくれれば、ほんの少し手を差しのべてくれれば、結末は変わるかもしれない。でも、生きとし生けるもの全て、助けてもらえるとは限らない。
だから、少しでも自分で自分の心をケアする必要があると思う。



自分の一番、お気に入りの公園。富士の、みなと公園。初めて来たのはいつだったかなぁ? 

目の前には駿河湾が広がって、うしろの方角には富士山🗻がいらっしゃいます。でも、今日は雲に隠れてひとやすみ。あたたかい陽気、というか、暑かったくらい。他のお客さんは、半袖の人が多かった。子供たちもね。

まばゆい太陽、澄み渡る空、とわに広がる海。今までしばらくホコリをかぶっていた自分の心の汚れが、すっかり落ちてしまったみたい。



⬆Facebookのカバー写真に採用。いつの間にか出来ていた新しい遊具というか、オブジェ? なのか。家族や友人たちと、思い切り羽を伸ばせる素敵な世界。




⬆「富士山🗻を望む歌」
奈良時代に歌われたもの? それが今でもこうやって残されている。

余談ですが三味線の曲にも「今様」ってのがあって、つまり「その時代に流行した曲」みたいな意味だったと思いますが(よくわからないんかい)、それ平安時代に流行した曲らしいです。奈良時代って、平安時代の前…。深い歴史、五臓六腑に染み渡りますね(?)。



で、この清々しい日和に、一曲を興じてみようかなと思ったものの、海、風、人々の笑い声、様々な「生きた音」が交錯する空間に、三味線を奏でるは無粋なり、と自重した次第。
ちなみに、太陽がまぶしかったので、こんな表情。でもまぁ、もし曇っていたとしたら、その時よりは映えてるかな?

あ、三味線は湿気に弱いので、しっかりと布で拭いておかないと!(忘れた)。
練習用のものなので、なんか黒い線が見えますが、気にしないでください(ちょっと恥ずかしい)。

息抜きって、やっぱり必要なのだなと、身に染みました。やんごとなき日常に入り浸って、何もかもが事務的・作業的になっちゃうと、自然と心も荒んじゃう。それが積み重なって、いわゆるストレスってので満たされちゃって、ささいなことでも腹が立っちゃったり、頭にきたり。でもそれを繰り返したら、もっと悪化する。だからこそ、たまにはいつもとは違う場所に足を運んで、見て、聞いて、体で感じる。心を磨く。そうすれば、心身ともにリフレッシュできて、「また明日から頑張ろう」って気持ちになる。あらゆる可能性が広がるし、胸を張って生きていける。

また来よう。そして見て、聞いて、感じよう。昨日とは違う自分になれるかもしれない。今日より楽しい未来に変わるかもしれない。

明るい未来に思いを馳せる「心」。大事にして生きたい。

終劇