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沈黙は金なり


先日、小池龍之介さんの本を一部ご紹介しました。

 



本を読んだあと、私は、「自分をわきにおく」という難しさを感じています。

 

例えば、毎週見ている、「ウチ断捨離しました」についてです。

 

依頼者さんが、ああでもない、こうでもない、と捨てられない理由をつらつらを並べられることがあります。

 

3年前になくなったお母さんが、”私にたべさせようと残してくれたんです”という賞味期限がとっくに切れた海苔を手放せないという回がありました。

 

そのとき、私は、”3年前の海苔・・・それ絶対食べれないし”と思いました。

 

その方は、亡きお母様のモノに限らず、とにかく、モノへの思いが強すぎて捨てられないために、どこもかしこも、物置、いやゴミ置き場になっていました。

 

”これはうちの猫が小さい頃使っていた段ボールで・・”と言われていました。

 

猫が今も実際使っているならボロボロでも置いておけばよいですが、その段ボールは、物置部屋の奥深くにありました。

 

私は、”結局、捨てられない理由をああだこうだ言ってるだけなんだ、この人”となぜか、イライラしてきました。

 

そのとき、なぜ、イライラするんだろう?と思うと、自分の正しさの基準と比較しているからだ、と思いました。

 

私ならこうするのに、という「自分」がでてきたのです。

 

私は、亡き母のものは、厳選して数点残しただけだし、愛猫のモノも、今使ってなければすぐ処分するし!と。

 

この「私なら〜」「私も〜した」という話は、友達との会話でもどうしてもでやすい言葉です。

 

でも、その「私のはなし」は、相手が求めてないなら、する必要はないんですよね。

 

外来では、ときどき、”先生ならどうしますか?”と患者さんご家族から聞かれます。

 

認知症が進んで、被害妄想が強くなって、娘さんを責めたり、ご主人に当たり散らす患者さんをどうするか?と聞かれます。

 

私がどうするか?と聞かれたら、まずは医療のプロとしての意見、また、自分が娘で、母がそうなった場合の意見を伝えます。

 

でも、友達が、自分の悩みを打ち明けているとき、”私もこうして、ああして、こうやって乗り越えたんだよ”という話はいらない

 

なぜなら、それは友達の物語だからです。

 

話をきいて、その人が、どうしたいか?

 

本当の悩みはどこにあるのか?

 

どうやって変わりたいと思っているのか?

 

ただただ、質問して、相手がそれに答えていくうちに、自分で自分を見つけられるようにサポートする。

 

断捨離トレーナーさんは、伴走者といわれますが、それは、相手をそのまま受け入れ、忍耐強く、そして深い愛情で相手をサポートするお仕事なんだと思いました。