いつもお読みいただきありがとうございます😊
このブログで、認知症の患者さんとご家族のお話について何回か書かせていただきました。
今日は、その内容をまとめてみようと思いました。
なぜかというと、患者さんの会、というのに入られている方は、お互いの境遇を話せるかもしれないですが、大多数の方は、家族と、患者さん本人だけと向き合っておられると思うからです。
すると
”こんなこと、誰にもいえない”
”こんなこと親に言ったりしてはいけない。ひどい子供だ”
”親が認知症になったなんて恥ずかしくていえない”
そう思っておられる方が本当に多いからです。
そして、次第に追い詰められていくのです。
以前勤務していた病院では、とても悲しい結果になったご家族がありました。
息子さんが実の母親に手をかけてしまったのです。
息子さんも苦しかった、お母様も苦しかった。
本当に誰も悪くないのに、孤立して、孤独になってしまったためにおきた悲劇です。
よく、患者さんのご家族から言われるのは
①施設にいれると、田舎なので、近所の人から親の面倒みないなんて!と批判される
②私が、僕ががんばればなんとかなるので、家でみます
③本人が嫌がるので、デイサービスやヘルパーさんは断っています
ということです。
①については
地域の特性は、確かにあると思います。
私の外来に1時間かけて通ってくださっていたある方は、山村の方で、地域のつながりが強かったです。
周りの人は、古くからすんでいる人で、”親をみるのは子供か嫁が当たり前”という地域でした。
でも、いくら地域のつながりが強くても、家族の問題に他人が口を出していいのでしょうか?
誰かが犠牲になって我慢すればよいというほど、介護は簡単ではありません。
②についてもいえますが、”私ががんばれば” はいつまでなのでしょうか?
介護がいつ終わるかなんて、誰にも予想できません。
予想できない中、1人で奮闘していれば心が壊れるのは当たり前だと思います。
昔は、共働き世帯は少なく、3世代同居という所もあり、子供、孫がいて、誰かが、おばあちゃんを見守る、ということができました。
今の日本は統計によると、70%前後が共働きです。収入が増えないのに物価が高騰していることが要因ともいわれています。
そんな中、家事分担は依然として、女性が担う割合が多く、その上で、育児介護なんて、想像を絶する大変さです。
そんな余裕がまったくない中、”認知症患者さんの気持ちに寄り添って” などというのは、単なる理想論だと、私は思っています。
外来でたくさん話しをきいてきた、患者さんのご家族は、本当に本当に限界までがんばっておられます。
弱音をはいたり愚痴をいえるのは、主治医だけ、ということもあります。
そして、その様子をきいたり見ている、患者さん自身も悲しいのです。
以前に、年月日もわからなくなり、認知症症状が進んだ患者さんがおられました。
娘さんが1人同居されていて、デイサービスと、ヘルパーさんに助けてもらいながら、お仕事をされていました。
その娘さんが、”私、仕事で疲れてるとき、母につい、きつく言ってしまうことがあります”と自分に自信をなくされていたことがありました。
そのときの、お母様の言葉が、認知症患者さんの気持ちを代弁されているようでした。
認知症になっても、母は、母、父は父でいたいのだと思いました。
何歳になっても、親にとっては子供は子供なのです。
親の威厳も保ちたいし、親として子供に迷惑かけたくないし、いいところをみせたいし、子供に指図されたくない
これが、たくさんの患者さんから聞いた真実の言葉です。
それができるように、周囲が動くのは、大切なことです。
介護する側の方の人生も、大切なのです。
患者さんの気持ち、希望を聞きながらも、医師として、ときに嫌がられるような厳しい判断をくださないといけないと思います。
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多くのすばらしいご家族、患者さんがおられます😊