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昨日の記事から一夜明け、私は朝5時に目が覚めてしまい、そのまま、虎次郎を探しにいきました。
夏の朝なので、もう周囲は明るくなっていました。
幸い、雨も降っておらず、爽やかな気候でした。
ただ、そんな朝の庭の風景に、かわいい猫の姿がないことだけが悲しいのでした。
虎次郎が以前でかけていた縄張り付近を1周しましたが、その声も姿もありませんでした。
町内を1人歩いて家につきました。
”夫が昨日いっていたみたいに、後悔も現実も受け入れていこう” と前を向いたそのとき・・・
”にゃあーーー!”と聞き覚えのある声が!!
虎次郎でした😭😭
尻尾をぴーんと立て、こちらに向かって歩いてきてくれました。
そのときの、嬉しさ、安堵、なでた背中の温かさ。
生涯忘れることはありません。
ひどいことをしたのに、虎次郎は、鼻と鼻の挨拶をし、スリスリしてくれました。
お腹が空いていたのでしょう、すごい勢いで食べました。
鼻の奥からでる、ブーブーという変な音は相変わらずで、かなり大きな音がしました。
喉をゴロゴロと鳴らそうとすると、鼻から異音がおきるようで、黙って食べているときは無音でした。
でも、とにかく、帰ってきてくれた。
毛も汚れてないし、食欲もあり、何より近くにいてくれる!!
もうそれだけで十分でした。
健康そのものでなくてもいい。
鼻から変な音がしていても、怖がって家には入ってこなくても、それでもいい。
彼が長生きしてくれたら嬉しいけど、そのために、何度も怖い想いをさせて、嫌がるのに、ゲージに無理やり押し込めたくない。
もう、受け入れよう。
そう思いました。
すべてのことが、自分の思った通りになんて、ならないのです。(当たり前ですよね)
明日はでかけるから晴れて欲しいと思っても雨は降るし
綺麗な花を咲かせてほしいと思っても枯れることもあります。
長生きしてほしいと思っても、その子にはその子の宿命があります。
私も、夫も生きているものには同じように生命の期限があります。
その時がいつなのか、知ることもできないし、知ったところで、どうすることもできません。
自分がなんとかできるのは、今、この時、どう生きるかということだけでした。
これからは、あの日のように、絶望的な気持ちで後悔をしないように、冷静に、慎重に考えようと思いました。
自分が判断できないときは、友達に、夫に、父に、そして皆さんに相談させていただく。
こうしなくちゃ!
こうでなくちゃ!
これしかないんだ!
と視野が狭くなってしまわないようにしたいです。
医療の現場でも、同じことがいえます。
ある患者さんが急に状態が悪くなったとき、焦って、”この治療しかないから、すぐにやらなければ!”と、短絡的に考えることは危険です。
急変時といって
急に呼吸や心臓が止まった!というときは、マニュアルがあって、気道確保、AED装着、心臓マッサージというふうに流れを止めることなく治療しないといけません。
そのような大至急の事態でなければ、患者さんが、悪化した要因を徹底的に分析します。
検査を追加し、冷静に、そのデーターと、患者さんの診察所見、血圧、呼吸状態、尿量、前日の食事内容、悪化したときの状況を脳の中で整理します。
そうして、”この病態が一番考えられるので、この治療でいこう”としていました。
今回、自分の専門ではない猫という生き物に対して、私はその視点を失っていました。
虎次郎の病気から、多くのことを学び、多くの人の考えや優しさにふれることができました。
人生は、日々の出来事にたくさんの学びを用意してくれていると思いました。