いつもお読みいただきありがとうございます😊

 

お陰様で、虎次郎は日に日に元気になっています。


 


2週間効果があるという抗生剤の注射をうっていただき、ストレスを与えないように暮らしてもらっています。

 

基本、庭のベッドでねていて、お腹が空くと家に帰ってきます。その時、少し寝たり、遊んだりしています。

 

そんな虎次郎をみていて、”猫は、自分が病気になった、どうしよう!”とは言わないな、と思いました。

 

病気になってしまった、どうしよう、というのは人間だけ

 

人間は、体の不調で病院を受診して、検査をして、病名がつき、”私は〇〇という病気になってしまった”と思うのです。

 

動物さんは、私達人間が、動物病院につれていかない限り、〇〇病で、余命がどうとか、障害が残るとか言われません。

 

鼻水が黄色かったら、人間なら、風邪がこじれたか、副鼻腔炎なので、抗生剤のんでしまおうと思います。

 

今回も、猫用の抗生剤があったら、それをご飯にまぜてあげていたと思うのですが、病院につれていったために、いろんなことがわかってしまいました。

 

もちろん、知ることは大切だと思います。

 

でも、知らなくていいことも、あると思います。

 

人間は、脳が発達し、文明が発達して、便利になっていますが、実は色々不自由になっていると思いました。

 

知りたくなくても知識があるとわかってしまう

 

亡き母の癌がわかったとき、先生から画像をみせられ、病名を聞いた日。


家族全員、「正しい医学的知識」があるばかりに

 

”ああ、そうなんだ。これは厳しいな”と冷静に納得する自分もいました。

 

多くのことを知らなければ、”もしかしたら、よくなるかもしれない”と希望を持つことができたかもしれなかったです。

 

半年後に母が亡くなるという結果は同じでも、気持ちは違ったかもしれません。

 

病気を知って、病状を把握して、覚悟を決められたとしても、悲しいことにかわりはないし

 

大切な存在を失って落ち込んでしまうことにかわりはないです。

 

動物さんは、賢いし、すごいと思います。

 

病気だろうと、脚を1本失って障害があろうと、そのことを嘆いたり、悔やんだりすることはありません。

 

ただ、あるがままを受け入れ

 

日々を懸命に自分らしく生きています。

 

どうしよう、困った、などと考えて、無駄に時間を費やさず、食べて、寝て、甘えて、生きている今を大切にしています。

 

人間は、脳があるために、自分で自分をいじめることがあります。


考えすぎて、動けなくもなります。

 

動物さんから、学んでいこうと思います。

 

まだ来ない未来を思い悩むより、いま自分がしたいこと、するべきことに集中する。

 

例え自分が病気になって、命に期限がついたとしても、受け入れて、自分ができることをしていこう

 

懸命にご飯を食べる虎次郎をみながら、そんなことを思いました。