いつもお読みいただきありがとうございます😊
私は基本、ネガティヴな方だと思います。
あまり私のことを知らない人からは、いつも元気そうで、明るいわねえ〜長生きしそうと言われます。
誰とでもすぐ話ができるのと、人を笑わせたりするのが好きだからかもしれません。
言いたいことも、忖度せず、病院の上層部にもいいますので、怖いものなし、と言われます。
ところが
実際の私は、ああでもない、こうでもないと、考えてしまうところがあります。
ちょっと体調が悪いと、もしかして病気かしら?と思って、調べてみたりします。
普段、だいたい元気なので、急に便秘になったりすると・・・
も、もしかして、卵巣嚢腫(チョコレート嚢胞があります)が癌化したのかも??とか最悪の事態を考えるくせがあります。
極端😅
こういう思考回路だと、とっても疲れます
猫の虎次郎は慢性的に鼻水がでているのですが、透明でサラサラなので、自分のメンタルがいいときは
ま、アレルギーかもしれないし、元気だし、大丈夫やろ
と考えられるのに
彼が、鼻水プラス、ちょっと元気ないとなると・・・
もしかして、猫風邪が悪化!?とか考えます。
そして、猫エイズ検査とかしてもらわなくちゃ!!と考えはじめます。
オカメインコが朝おきてきても、下痢をしていて、カゴの下でじっとしていると・・・
もしかして、卵つまり??大丈夫かな?と心配になります。
鳥の専門書をひっぱりだして、あれこれ調べだす始末です。
夫が、頭痛で寝込むのはいつものことなのに、”こんなに体がよわくて、この人この先大丈夫やろか” と
まだ生きているのに、夫が死んだあとのことを考えたり
どうしても、考えすぎてしまうのです。
そして、勝手に辛くなります。
そんな心配がたくさんあるなか、家事をしたり、仕事をしたり、やるべきことが、ぎゅうぎゅうにつまっていると
”なんか、生きてるのってしんどいな。いま死んだら、こんな心配事や大変なことからも開放されるなあ”
と、ふと思ってしまいます。
死んだら仲良しだった、亡き母にも会えるかなあ?
たくさん話したいことあるなあ、とぼんやり考えます。
先に死んでしまえば、虎次郎を失う恐怖も、夫に先立たれる悲しみも避けられるのではないか、などと思ってしいまいます。
たくさんの患者さんの死や、母の死に接して、私は、 ”死は生の苦しみからの開放でもある” と思いました。
生きていくって、きついなあと思うのは、どんな人でもあると思います。
恵まれた環境にいて、仕事もしていて、大きな病気がなくても、生きるのは大変です。
ただ、こういう負の思考回路に入っているときは、自分を「今」に戻すために、体を動かします。
頭で考えているとろくなことがないのです。
昨日、2台の車を自分で手洗い洗車し、庭の手入れをしました。
散歩にでて、汗をかいてきました。
普段できない、時間のかかる料理を作り、オカメインコたちと遊びました。
思考が、過去や未来にいってしまうと、不安や後悔が押し寄せます。
断捨離でも、いま、ここ、自分、という基本に立ち返りなさいと言われます。
いま、生きているわたし
いま、元気でいてくれる生き物たちを大切にする
いま、話ができる人たち
大切にしないといけないのは、今。
さて、今日は、人間ドックのお仕事です。
いまできることを1つ1つしていこうと思います。