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庭に咲くステファニーグッテンベルグ

美しい白薔薇


私は基本、ネガティヴな方だと思います。

 

あまり私のことを知らない人からは、いつも元気そうで、明るいわねえ〜長生きしそうニコニコと言われます。

 

誰とでもすぐ話ができるのと、人を笑わせたりするのが好きだからかもしれません。

 

言いたいことも、忖度せず、病院の上層部にもいいますので、怖いものなし、と言われます。

 

ところが

 

実際の私は、ああでもない、こうでもないと、考えてしまうところがあります。

 

ちょっと体調が悪いと、もしかして病気かしら?と思って、調べてみたりします。

 

普段、だいたい元気なので、急に便秘になったりすると・・・

 

も、もしかして、卵巣嚢腫(チョコレート嚢胞があります)が癌化したのかも??とか最悪の事態を考えるくせがあります。

 

極端😅


こういう思考回路だと、とっても疲れます魂が抜ける

 

猫の虎次郎は慢性的に鼻水がでているのですが、透明でサラサラなので、自分のメンタルがいいときは

 

ま、アレルギーかもしれないし、元気だし、大丈夫やろ

 

と考えられるのに

 

彼が、鼻水プラス、ちょっと元気ないとなると・・・


もしかして、猫風邪が悪化!?とか考えます。

 

そして、猫エイズ検査とかしてもらわなくちゃ!!と考えはじめます。

 

オカメインコが朝おきてきても、下痢をしていて、カゴの下でじっとしていると・・・

 

もしかして、卵つまり??大丈夫かな?と心配になります。

 

鳥の専門書をひっぱりだして、あれこれ調べだす始末です。

 

夫が、頭痛で寝込むのはいつものことなのに、”こんなに体がよわくて、この人この先大丈夫やろか” と

 

まだ生きているのに、夫が死んだあとのことを考えたりにっこり

 

どうしても、考えすぎてしまうのです。

 

そして、勝手に辛くなります。

 

そんな心配がたくさんあるなか、家事をしたり、仕事をしたり、やるべきことが、ぎゅうぎゅうにつまっていると

 

”なんか、生きてるのってしんどいな。いま死んだら、こんな心配事や大変なことからも開放されるなあ” 

 

と、ふと思ってしまいます。

 

死んだら仲良しだった、亡き母にも会えるかなあ?

 

たくさん話したいことあるなあ、とぼんやり考えます。

 

先に死んでしまえば、虎次郎を失う恐怖も、夫に先立たれる悲しみも避けられるのではないか、などと思ってしいまいます。

 

たくさんの患者さんの死や、母の死に接して、私は、 ”死は生の苦しみからの開放でもある” と思いました。

 

生きていくって、きついなあと思うのは、どんな人でもあると思います。

 

恵まれた環境にいて、仕事もしていて、大きな病気がなくても、生きるのは大変です。

 

ただ、こういう負の思考回路に入っているときは、自分を「今」に戻すために、体を動かします。

 

頭で考えているとろくなことがないのです。

 

昨日、2台の車を自分で手洗い洗車し、庭の手入れをしました。

 

散歩にでて、汗をかいてきました。

 

普段できない、時間のかかる料理を作り、オカメインコたちと遊びました。

 

思考が、過去や未来にいってしまうと、不安や後悔が押し寄せます。

 

断捨離でも、いま、ここ、自分、という基本に立ち返りなさいと言われます。

 

いま、生きているわたし

 

いま、元気でいてくれる生き物たちを大切にする

 

いま、話ができる人たち

 

大切にしないといけないのは、今。

 

さて、今日は、人間ドックのお仕事です。

 

いまできることを1つ1つしていこうと思います。