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先日、携帯を服のポケットに入れて歩いていたら、誤操作で父に電話をかけてしまっていました。
20時すぎで、父はもう寝る前の時間なので、慌てて切ったのですが・・・
律儀な父は、”どうした?”と電話をかけ直してくれました。
父とは4月に友人のおばちゃんと会って以来、直接話しました。
”あ、ごめん、間違えてかけちゃったんよ”
と私がいうと、父は、”そうかそうか”と電話を切ろうとしました。
でも、私は父と少し話がしたいと思いました。
もともと、電話が苦手な父と私ですが、その時はなんとなく2人で話したかったです。
私は以前から気になっていたことがありました。
父は今は1人暮らしなのですが、母の生まれ故郷に建てた家は、BESSという会社の小さな家です。
小さな家なので、リビングが狭く、このため洋服好きの父のたくさんの服は、2階にあるタンスに入れてあります。
とても元気な父ですが、もうすぐ78歳ということもあり
私としては ”危ないからあまり2階にいかないほうがいんじゃないだろうか?”と思っていました。
そこで、父に
”今、暮らしていて、困っていることや、使いにくいことはない?”と聞きました。
すると、少し考えて、父は、”ありがとう、特にないよ”といいました。
私のほうから、”でも、洋服をとりに、2階に行くと思うけど、階段の上り下り、危なくない?”と聞きました。
父は、”大丈夫だよ。ちゃんと手すりをもっているし、手が塞がった状態で、いかないようにしているよ”といいました。
そして、また
”それくらいの運動はしないと。
階段が家にあるから、足をよく使うんだよ。
雨の日、散歩にいけないときは、部屋を歩いたり、階段を使って運動してるから”といいました。
さすがだわ、お父さん…と思いながら
娘の私が良かれとおもって、勝手に快適にしようとするのは違うな、と思いました。
今度家に帰ったら、1階の部屋の改造をして、タンスは1階に下ろそうかな?と思っていたのです。
自分が良かれと思って、相手のためにすることも、実はそうではないこともある。
子供や、高齢の親が、本当は、自分でやりたいと思っていることや、時間はかかっても自分でできることを
”私がやってあげる!”と取り上げてないか?
そういった配慮が、相手を本当に想う行動だと思いました。
外来で話を聞いていると
認知症の患者さんのパートナーさんが、なんでもかんでもやってしまうパターンがあります。
”この人がやると、失敗するし、時間がかかるから” と言われます。
そういう行動が、本人を傷つけ、やろうとする意欲を奪っていることに気が付かない。
認知症になっても、自尊心はちゃんとあります。
周りのことは少しずつわからなくなっていても、”嬉しい、悲しい、いやなことをされた”という感情は残っています。
患者さんが、”ちょっと手伝って”とか”と”教えて” というまでは見守っておられたほうがよいと思います。
命の危険(火事や転落など)がない限り、本人の意思を尊重したほうがよいなと思います。
高齢になった父と会話して、私も娘として、あれこれやってあげようと思っていた自分に気が付きました。
相手のニーズをちゃんと把握すること。
そのためには、相手に質問して、その答えをちゃんと聴いて受け止めないといけないなと思いました。