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時々、いえ、けっこう、面倒くさいなと思うことがあります。
例えば、食事の用意をして、食後に食器を洗わないといけないとき。
洗濯物を干して、取り込んでたたむ時。
そういうとき、私は、1度放置します。
めんどくさーい、と思いながら食器を洗うと、大切な食器を壊してしまうかもしれないです。
そんな気持ちで、洗濯物を畳んだら、せっかく綺麗に汚れを落としたのに、私の邪気が入ってしまうような気がするからです。
なので、自分がやろう、と思うまでほっときます。
食後、録画していた番組をみたり、猫の動画をみたりすると、楽しい気分になって、しばらくすると、よし、やるか、となります。
そして、洗い物ならその行為に集中します。食器やシンクが綺麗になれば気分もよくなります。
他には、生き物のお世話をするとき、自分が忙しかったり、集中しているときに、虎次郎に呼ばれたりすると、あ〜〜もう今ですか〜、と思うことがあります。
でも、すぐに、その考えは捨てます。
鳥たちが元気でご飯をたべてくれるから、ゲージはフンでいっぱいになっているのです。
いいフンをしていると、以前下痢をしてとても心配していたぴよきちのことを思い出して、ああ、よかったなと思います。
羽がたくさん抜けているということは、元気があって、換羽ができるということです。
そこを掃除できることは、幸せなことです。
虎次郎が、”なあああ!〜にゃあ〜〜”と大声で鳴いて呼ぶのは、私を信頼してくれているからです。
そして何より、元気だからこそ、”ご飯くれ!!遊ぼ!ブラシして”!水!”と言ってくれるのです。
そこに、命があるから、お世話ができる、そう思います。
夫についても、最近は特に、世話をしてばかりですが、夫がいてくれるから、お世話ができる。
片づけめんどくさいな〜と思ったときは、”物があるから豊かな気分になれるんだ”と思います。
家の片づけは、家があるから、できることです。
洗車は、車をもっているからできることです。
そうやって、”有ること”に感謝すると、不思議と、面倒くさいという想いがなくなります。
以前、母から電話が頻繁にあって、自分の時間が1時間もとられたりすると、めんどくさいと思ったことがありました。
でも、母が病気になり、たとえ愚痴でも、弟への恨みの悪口でも、母との大切な時間だと思いました。
なので、母の気が済むまで聴こう、そう思いました。
お世話ができるということは、そこに、大切な物、人、生き物があるから。
それを忘れないようにしたいです。