いつもお読みいただきありがとうございます🤗
以前から何度か、”医者になりたかったわけではない”とか、”親の強制が強かったから医学部に行った”と書いておりました。
しかし、本当にそうだろうか?と昨日お風呂に入りながら、ぼんやりと考えていました。
すると、すっかり忘れていた出来事を思い出しました。
中学生のころ、お友達が不登校になって、学校にきても、保健室に閉じこもるようになりました。
その友人は、いわゆる ”不良” と言われていましたが、当時から人の言うことは全く気にしなかったので、私は普通に仲良くしていました。
Yさんは、小学校のときから小中一貫のその学校に通っていたのですが、私は受験をしてその中学にはいった、いわゆる外野組でした。
でも1年生のときから、Yちゃんは声をかけてくれました。
私が、入学早々、隣のクラスの男子をぶっ飛ばす事件を起こしたことが、きっかけでした。
その男子は、複数の女子のスカートをめくったり、女子の美術作品を壊したり、なわとびで叩いてくる、超ガキでした。
女子は困っていました。
小学校の頃から、男子とよく喧嘩していた私。
”お前、ええ加減にせえよ!”と言って文字通りぶっとばしました😅小さい男子だったので、簡単でした。
すぐに中学で有名になりました・・・そして男子から二度と絡まれなくなりました。
その後Yちゃんが、”あいつ、本当ムカついていたから。面白いね、あんた🤣” と言ってくれて仲良くしていました。
そのYちゃん、中学2年になったころから、成績が悪くなったことで親とうまくいかなくなり、家で会話がなくなり、学校にも居場所がなくなってしまっていました。学校でも荒れていたので、クラスで浮いていました。
Yちゃんは笑わなくなり、前髪がだんだん伸びて、スカートも伸びて、誰とも口を聞かなくなりました。
それでも、私は給食を保健室に持って行ったり、宿題を一緒にやったり、学校でできることは一緒にしたいと思っていました。
YちゃんとKちゃんと私は3人とも洋楽が趣味で、よく歌ったり、英語の歌詞を勉強したりしていました。
なんとかYちゃんが元気になって欲しい思ってましたが、そのうち、Yちゃんは学校に来なくなりました。
とても悲しかったですが、Yちゃんが選択したことなので、生き方は他にも道があると思って、私は何も言いませんでした。
当時は携帯もないし、Yちゃんは、遠くから通っていて、家に行くこともできませんでした。
卒業近くなったころ、Yちゃんから手紙がきました。
”〇〇元気?今まで、ありがとう。あんたが、ずっと気にかけてくれていたのに、素直になれなくてごめん。でも優しい気持ちはとっても嬉しかった。死にたいくらい苦しかったけど、おかげで、生きているよ。ありがとう” と書いてくれていました。
泣きました。悲しいのと、嬉しいのと同じくらいの気持ちで。
その時、誰かの支えになれたこと、友達の心を少しでも軽くできたこと、心が通じ合ったこと。
そのことで、心の中が、すごく熱くなって、”こういう仕事がしたい ”と思ったのでした。
ところが、高校では理系クラスに入った瞬間、下から数えた方がいいくらいの順位になり、高校時代は全く記憶にないくらい暗黒時代でした。
成績が悪いので家での居場所もなくなりました。
両親は当時、私立の進学校に行っていた、弟とばかり話すようになりました。
私はこの家にいらない子だ、とまで日記に書いているくらい、追い詰められてました。
あまりに辛かったせいで、”医学部に入るために、むちゃくちゃな人生を歩まされた。苦労ばかりした。子供時代もずっと勉強させられた” という負のイメージだけ、残っていたのでした。
でも、本当は私は ”誰かの役に立つこと、喜ばれること” が好きで、だからこそ、この仕事もここまでやってこられたのだと思い返しました。
今、まさに、やりたかったこと、自分にしかできないことをさせてもらっている、そう思いました。
病気を完全に治すことはできなくても、寄り添うことはできるし、一緒に考えることもできる。
治療がある病気なら、治療できます。診察をすること、詳しく話を聞くことで、診断もできます。
多くの知識をみにつけ、違和感を放置せず、徹底的に診察し考えれば、今までわからなかった病気も見つけられて、その人の人生が大きく変わることもある。
本当に、長年忘れていましたが、この仕事をしていて本当によかったと思い、そしてこれからもがんばっていこうと思えました。
そして、このブログを通して、もし私にできることがあれば、していきたいと思っています。
断捨離や片付けのご相談や、医療について、心の悩みを話したいなど、私でできることがあればいいなあ、と思っています🤗