最後まで断捨離できなかった、ケリー | シンプルライフを送りたい女医の気付き

シンプルライフを送りたい女医の気付き

日々の診療や、友達、家族との会話や、本、自分の経験から得た自分なりの気付きを書いていけたらと思います。

いつもお読みいただきありがとうございます🤗

 

以前の記事にも書かせていただきましたが、私はとにかくバッグが大好きで、収集癖といってもよいくらいでした。

 



GUCCI、ロエベ、セリーヌ、エルメスが特に好きで、かわいい、欲しいと思ったら、当時の職場のストレスもあいまって、即決で購入していました。30個以上、ありました。

 

そういった無差別に欲望のままに🤣集めたバッグは、断捨離をすることになり、厳選し、欲しいといわれた友人や従姉妹にプレゼントしたり、ブランドサイトで売ってしまいました。

 

現在は8個程度まで減らしていますが、今後も厳選する予定です。

 

その中で、どうしても断捨離できないバッグがありました。

 

前の夫からもらった、バイカラーのエルメスのケリーです。

 

そのバッグは、別居が決まっていた頃、前夫が、私の誕生日に注文して作ってくれたものでした。

 

明らかに高価そうで、さらに、その時いわれた前夫からの言葉が物以上に重かったのです。

 

”〇〇が好きなバッグを用意したよ。どうか、思い直して、やりなおしてほしい。”と言われて渡されたからです。

 

離婚に至る詳細は詳しくはいえないですが、前夫はとても優しかったのですが、結婚早々から、お友達夫婦になっていたこと、将来への展望が全く異なったことなどいろいろでした。

 

話し合いの結果、別居することになっていました。

 

結局、別居から数ヶ月後、離婚することになり、一度も使っていなかったケリーを返却しようと思いました。

すると前夫が、”見ると思いだすから、持っていってほしい。いらなかったら売るとかしてくれたらいい”と言われました。

 

前夫はDVもモラハラもなく、とにかく私を甘やかしてくれる優しい人でしたが、義母との関係に悩み、将来的に、義実家の近くで開業する案も、毎日夫とゲームばかりしていて休日は遊んでばかりで、自分の成長がないと思ったことなどで離婚しましたが、本当に良い人でした。

 

そんな良い夫を苦しめ悲しませた・・・

 

そういう想いがありました。昨年断捨離検定1級をうけると決めて、そのバッグといよいよ対峙することになりました。

 

なぜ11年も手放せなかったのか。

 

それは、自分への罰であり、自戒の想いでした。”あんないい人を悲しませた。こんな高い素敵なバッグをくれたのに、最悪だ”と自分を責めていたからです。

 

でも、もう許そう、と決めました。

 

前夫も私と離婚後1年後に、義母の理想とするような女性と再婚され、子供もでき、もう小学校高学年になっているころです。連絡はとっていませんが、きっと幸せです。

 



私も辛かった大学病院時代を経て、夫のうつも、母の死も乗り越えて、この地で、自分で人生を選び、夫婦2人で幸せに生活しています。

 

ようやく、そのバッグをもう、手放そうと思い、売却しました。

 

改めて、物からでるエネルギー、そこに張り付いた、自分の強い想いに気がつき、そして自分で向き合い、”ありがとう、ごめんなさい”と手放せたことで、断捨離は本当に心の回復、開放になると思った出来事でした。