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思い返してみると、研修医時代〜大学病院をやめるまで、とても激しい日々でした😭
不運なことに、研修医初日にいきなりER外来が入っていました。1班に同級生が4人、研修医2年目の先生が3人、指導医は外科1人、内科1人という体制で夜間救急をみていました。
前日まで、医学部生で、人に注射したこともなければ、処方したこともない。
診察は練習しかしたことないうえに、実習で患者さんをみさせていただいたのは5年生のときでした。医学部6年はひたすら知識のつめこみ、卒業試験、国家試験対策でした。
ただでさえ、日中の病棟での初めての採血でもびびりまくり、看護師さんには邪魔扱いされ、指導医は怖いし、泣きそうでした。
その上、夜間救急まで😭😭
でも、やるしかないです。夜間救急ということは、重症の患者さんが来られることももちろんあり、大学病院なので三次救急(つまり心停止や、重症の交通外傷などもある)でした。
そんな中、とても呼吸状態が苦しそうな、50代くらいの男性が来られました。救急車ではなく、自分で歩いて来られました。
喘息がもともとあり、自宅で吸入をしたけど、よくならないということでERを受診されました。
問診をして、診察すると、研修医でもわかるレベル、聴診器を使わなくてもヒューヒューと音がしていて、顔色は悪く、指で測るパルスオキシメーターでは90%を切っていました。
その同じ時間に、心筋梗塞の患者さんが搬送されて、その方は意識がなく、内科指導医と、他のメンバーはその方につきっきりでした。
そして、私が喘息患者さんを1人で担当することになりました。
救急マニュアルに書いてあるように、(研修医用に各科の先生が作ってくださったマニュアルがありました)点滴をして酸素をしましたが、呼吸状態がよくなりません。
恐る恐る、外科指導医の先生に”マニュアルに書いてあるようにしましたが、患者さんがよくなりません。どうしたらいいですか?”と聞きましたら
”ボスミン皮下注しろ!”とだけいわれました。
”どれくらいですか?”と聞くと”1A!!”と言われました。確かに私にはそう聞こえました。
すぐに看護師さんが準備してくださったボスミンを患者さんに注射しました。
呼吸は幸い落ち着いてきましたが、患者さんが、”なんかすごい動悸がする。えらい”といわれだしました。
モニターをつけていたので、みると心拍数が急上昇し血圧もあがっていました。
そのことを、外科指導医の先生に報告すると
”お前はばかか!!!なんでそんなたくさん打ったんだ!0.3Aっていっただろ!!”と怒られました。
”え。。。”と思いましたが、”すみません、1Aうってしいまいました”と正直にいいました。
”患者さんの心拍数が落ち着くまで、お前がずっとついていろ!!”と言われました。
患者さんのところに戻って、正直に間違ってたくさん注射をうったこと、副作用で心拍数があがっていること、輸液をして、安静にしていただくこと、よくなるまで私がずっと見ていますと説明しました。
30分くらい経過すると、少しずつ、心拍数が落ち着いてきました。呼吸も楽になってきたと言っていただき、その患者さんに、”先生、まだ若いね。何年目?”と聞かれました(ようやく話せるくらいに酸素がよくなっていました)
”すみません。今日から、医者になったところです。経験もないのに確認もせず、強い薬をたくさん打ってしまって・・・”と涙ぐんでしまいました。
”上の先生に確認したんだろ?研修医だもんな。その先生に言われたようにしたんだろ?その医者は、ここにこなかったのに、自分一人で、謝って、感心したよ。もう大丈夫だから。
がんばって勉強して、いい先生になれよ〜〜” と言ってくださいました。
何回もお礼をいって、その方がERの会計して帰られるまで、見送りました。ほとんど泣きながら😭
3時過ぎに、休憩用のベッドにはいったら、泣けて泣けて、朝まで眠れませんでした。
患者さんを危険な状態にしてしまったこと、その患者さんが、優しかったこと、指導医の先生に怒られたうえに、最後までその先生は来てくれなかったこと。悔しい思いでした。
そして ”今後絶対、指導医になんと言われても、自分で確認する!そしてもっと勉強して経験を積んで1日も早く自分でできるようになりたい ”と思いました。
泣いたり怒ったり、悔しがったりしながら、初日の夜は明けていきました・・・
翌朝、院長代行といって責任者の先生に、インシデントということで、正直に報告し書類も提出しました。指導医はもういませんでした。
あの時の患者さん、ありがとうございました。あなたの優しさに私はどれだけ救われたか。
そして、最低な対応を見せてくれた、指導医の先生、ありがとうございました。おかげで翌日から自分で必死に勉強しました。
理不尽に、怒っただけで、そのあとフォローもしてくれなかった指導医、名前も顔も”私が一人前になったら覚えてろよリスト🤣”に登録しました。
そして、その機会は、私が専門医になってすぐに、訪れたのでした・・・その記事はまた書かせていただきます。