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人生には、いえ、日々の生活には、いろんな快・不快があります。
そのことに、過剰に反応していると、人は次第に不機嫌になってしまいます。
私の夫は、自称「HSP」「ASD」です。
暑い、寒いにかなり敏感で、服やシーツの質感があわないとかで最近も何枚も買い替えています。
また、味覚も同時に過敏なのか、私は十分おいしいと思うお菓子でも「甘すぎる」とかなんとか。
とにかく、不快な状況に対する耐性が低く、このために、テーマパークや混雑したまちなかにいくことが困難です。(待つのが大嫌い)
これは夫の特性、ということもあるかと思いますが、子供の頃から「我慢をする」「とりあえず耐える」という状況が少なかったことも影響していると感じます。
私の両親はとにかく厳しい人で、怪我をしても大怪我でなければほぼ放置、縫わないといけないほどなら母が縫ってました。
小学校のとき、ガラスのビンで膝の周囲を切って、皮下の脂肪がみえるほどぱっくり深く切れたとき。
普通の母親なら、その出血量と傷でびっくりしてぎゃーー!となるレベルの怪我でした。
ところが母は、”まったく、、、医院の仕事が忙しいのに、さらに仕事ふやして!”と淡々と娘の足にぶすっと麻酔してました😂
痛いよっ!!と泣いても母は”切れてるんだから痛いにきまってんでしょ”と怒ってました。
父からはいつも「足るを知れ」と言われていました。
暑い寒いは生きてれば当たり前、すぐに楽をえらばずに自分で工夫しなさい。
食事についても、まずいだの、硬いだの、文句をいうな、食べられるだけでありがたいんだ、と言っていました。
”お前の目の前に、料理がお皿に乗ってでてくるまでに、どれだけの人が関わっているとおもってるんだ。感謝して食べろ”という教育でした。
また、研修医のときに仕事が辛くて看護師だった母にめずらしく電話して泣きついたときも。
”仕事なんてもんは、一人前になるまでは、そんなもんだ。ましてや医療なんだから、厳しくて当たり前。そんなことで弱音はくならあんた、無理だわ”と。
離婚するときも、再婚するときも、「自分の人生なんだ、自分で決めて、自分で背負っていきなさい。傷つけた人のことを決して忘れるな」と言っていました。
このように育てられてきたので、いまがあると思います。
どんなときでも、不遇でも、ひどい職場でも、いい意味で「鈍感でいる」ようにしてきたように思います。
出来事や周囲の状況にいちいち反応せず
淡々と、丁寧に、自分がすべきことを、していく。
自分の「今」は自分がよくしていけるのだから、と思っています😊
