先週の土曜日は鎌倉の浄智寺で開かれた“鎌倉ペンクラブサロン”に行った。
題目は“没後120年 小泉八雲が見た日本の心”。
浄智寺と小泉八雲が好きなので、久しぶりペンサロンに出かけた。
驚いたことには、小泉八雲は隠岐の島、それも私の友人の居る海士町に滞在していたと言う。小泉夫妻の銅像まで海士にあるとは知らんかった。
そこで私同様、隠岐の島の好きな友人サイトウさんを誘って行く。
浄智寺は北鎌倉駅から歩いて8分程。駅前は鎌倉五山第二位の円覚寺。ここに来ると緑が深くて清涼な空気にホッとする。
交通量の多い県道をしばらく歩いて小道を右に曲がると、突然異次元の世界に。
私が鎌倉で一番好きなお寺の門前。
➀ 浄智寺入口。
② 惣門
扁額の意味は、「寶所在近」(大切なものは遠くではなく、身近にあるとの意味)。
(地図に番号をつけましたので、地図と番号を参照してください)
③ 山門(鐘楼門)
私はこの位置からススキと萩の花を前にして鐘楼門を撮るのが好きだったのだが、今年はススキも小さいし、萩の花も蕾で映らない。文句を言うと、サイトウさんに叱られた。
「これくらいが上品でいいの。大きなススキと満開の花なんて下品」と一言。
ウーン、さすが結婚前に奈良の古寺で生け花の免許をとった人は違う!
鐘楼門を通らずに右に曲がって書院に。今日の会場はここ。
④ 書院
書院の襖をはずしてこんな風に人が集まっていた。
いつもは椅子だけなのだが。
⑤ 一番端に座ったので、書院の庭がよく見える。こっそりとガラス戸を開けて写真を撮る。百日紅の向こうの建物は仏殿で仏殿の裏側の庭。
「海士町の子守唄」をフルート演奏する吉川久子さん。
小泉八雲は海士町に滞在中、おばあさんたちから子守唄を採集する。しかし楽譜を残さなかったので、80年代、郷土史家によってまとめられた小冊子がある。その小冊子を参考に彼女が作曲したようだ。
私がとても興味のあるのがこの寺の住職。
TシャツGパン姿。体型は布袋様そっくり。祖父、父親の跡を継いでこの寺の住職になったようだ。
同寺を開放し、音楽や食、文化などイベントを行い、幅広い年代層と関わり、様々なことに挑戦する。
「800年前の鎌倉時代、臨済宗は禅を取り入れた最先端の仏教だった。常に新しいものを取り入れていきたい。文化・技術の伝承も役目」と仰っているそうな。
最後に坂 麗水さんの薩摩琵琶演奏での“耳なし芳一”の語り。
なかなかの迫力で、これが夜のお寺だったら、亡霊が「芳一、芳一」と探すくだりでは、背中がゾクッとしただろう。
サロンが終わってから、浄智寺は初めてのサイトウさんの為に、境内を案内する。
⑥ 仏殿
仏殿の扉を大きくあけて、写真もOK,心おきなく貴重な仏様を見せて頂けるのが、素晴らしい。
「阿弥陀如来(過去仏)・釈迦如来(現世仏)・弥勒如来(未来仏)」の如来三尊像が並んで祀られている。
境内に何気なく置かれているけど、心ひかれる石碑、石像。
さっきまでサロンを開いていた書院
⑦ 竹林
この竹林の竹は細い。
⑧ 井戸
⑨ 鎌倉に多い。やぐら群
➉ 鎌倉7福神の布袋様
なんだか、ここの住職に似ておられるような。
寺からの帰りにこんな店を見つけた。
「この漢字何? 野菜はウマい?」と読むと、サイトウさんに褒められた。
野菜で出来たお寿司。サイトウさんと2人、思わず「タカーイ」と叫んでしまった。