先週の土曜日、茅ヶ崎海岸での花火大会を近所の友人と見に行った。

 海岸は沢山の人だったので、近くの公園の少し高くなっている場所で見た。高く上がった花火しか見えないそんな場所でも、多くの人、人。

 

 私の腕とコンデジではきれいに花火を撮るのは無理で、途中であきらめた。シャター速度が遅いので、花火が開くより先にシャッターを押してやっと撮ったのがコレ。悲惨!

 

 

 写真が撮れないので、久しぶりに会った友人とアレコレおしゃべり。

 話はどうしても開催中のオリンピックの事に。

 「うちね、織田さんに頂いた物がいっぱいあるのよ」と彼女はちょっと得意気に言う。

 織田さんとは日本初の金メダリスト。1928年アムステルダムオリンピックの三段跳びで金をとった織田幹雄さんだ。

 (写真はネットから拝借)

 

 織田さんは1998年に93歳で亡くなったが、亡くなるまでの何年間かを、藤沢市の鵠沼海岸にあった高級老人ホームで暮らしていた。

 当時、そのホームで看護師をしていた彼女が、「織田さんがね」と何度も話していたのを想い出す。

 彼女が織田さんと親密だったのは、その老人ホームには入居者が3組しかいなかったからだ。バブルの時に建て始め、バブルがはじけてから入居募集をしたために、高価過ぎて応募者がいなかったようだ。織田さんが亡くなってからそのホームは閉館した。

 その頃、彼女は50歳前後、優秀な看護師だったし、スポーツ好きの男子3人の母親だったので、織田さんと話が合い、気に入られていたのだろう。色々な物を織田さんから頂戴するというのは聞いていた。でも、どんな物を頂いたのかは知らない。

 「ねえ、それってちゃんとサインしてある。織田さんの物でスポーツに関係あるものだったら、価値があるよ。テレビの“開運なんでも鑑定団”に出したら、凄い値段がつくかも」と、相変わらず低レベルの私。

 「あなたの死後に息子さんたちが捨ててしまわないように、シールを貼っておくのよ」と余計な事まで伝授。

 私の家にも少々であるが、価値のありそうな古書がある。

 30年前、勤めていた研究室の教授が退職する時に、研究室の壁いっぱいの本棚の中から好きな本を持って行っていいよと言われて、選んだ本だ。古い良い家柄の教授だったので、珍しい古書が何冊かあった。

 次男の嫁に「私の死後になんでもかんでも捨てるんじゃないよ。高く売れるのもあるから」と言うと、「あら、私は価値が分からないので、そう言うのにはシールを貼っといてください」と言われた。

 うちの嫁は賢い!

 

  織田さんのお墓は鎌倉の東慶寺にある。

   “駆け込み寺”として有名だが、著名人のお墓が沢山あることでも有名だ。

 そしてナント、織田さんのお墓はバレーボールの大松監督とならんでいるのだ。

   (写真はネットより拝借)

   大松監督の石碑の上にはバレーボールをかたどった石が。“根性”と書いてある。

  織田さんのは胸像。

 

 花火が終わって帰宅すると、思いがけず月下美人が咲いていた。

 

  う~~ん、花火にも負けないくらい綺麗。

  よくみたら、下のほうでも1輪咲いていたので、見えるように葉をよけて上にあげる。

 

  今年は暑いせいか花が少ないのに、よく咲いてくれたね。ありがとう!