いいえ、私ではありません。

 先週の半ば、エッセイ勉強会の仲間、エサカ氏からこんな葉書が来た。

 電話でもすむところを葉書で来たのが彼らしい。直接に言うのが恥ずかしいのと、一刻も早く誰かに知らせたいと言う喜びがあったのだろう。

 朝日新聞の俳壇のコーナーに、投稿した俳句が入選したようだ。

 朝日新聞は俳句や歌壇、声欄、ひととき欄への投稿が採用された時は、必ず前もって電話で本人に知らせて来る。その知らせを受けて、すぐに私に葉書を書いたようだ。

 

 “いつも定例会では会長の重責をつゝが無く果たされてご苦労様です。実はこのたび朝日新聞の俳壇に初めて投句しましたところ、入選の報が参りましたので、先ずは会長に報告しなければと筆を取った次第です。6月16日(日)の朝日新聞を見てやって下さい”

 (この私を会長、会長と持ち上げているのは、彼のいつもの私への揶揄。会を立ち上げた時に、退職して肩書がなくなっていた私は、名刺に肩書がないと様にならないので、自から会長になったのだ。ちなみに、その時のエサカ氏の名刺の肩書は“隠居”)

 

 すぐに私に知らせて来たのには、訳がある。 

 彼はエッセイも書くが、俳句の会にも長年入っている。

 時々目にする彼の俳句がとても良くて、朝日新聞に投稿するようにと私はよく言っていた。エッセイなら私や他の仲間は時々“ひととき”欄に投稿して、全員が何度か採用されているが。

 でもエサカ氏だけはエッセイも俳句も頑なに投稿しようとしなかった。それは何故か?

 彼の苗字は少し変わっているが故郷には多く、知人にはすぐに彼と知れるので、絶対に新聞等には投稿しないでくれ、と奥さんから厳しく言われていたらしい。

 その奥さんが1月に亡くなった。投稿は解禁になったと、彼は思ったようだ。

 

 いずれにしろ、初投稿で選ばれるなんて、私が感じた通り彼の俳句は秀逸だったのだ。私もとても嬉しい。日曜日が待たれた。

 さて、日曜日になった今朝、目が覚めるとすぐに私は新聞を取りに玄関へ。居間に戻って新聞を開く。

 ありました、エサカ氏の俳句が。

 

 迂回路も 人生の道 月涼し

 【評】は、真実一路だけが人生ではない。迂回路もまた人生の一齣。味わいたい。と書いてある。

 

 朝の9時半、新聞見たよ、と電話をすると、既に3人から同じ電話がかかってきたとか。さすが友人の多い人だ。

 「マドンナさんが投稿しろと何度も言うから投稿したよ」と言っていたが、「マドンナさんって俳句を見る目があったんだね」っとその言葉、私を褒めているようで、自分の俳句は優れていると言っていない?

 ま、なんでもいいから、これからもドンドン投稿して、“若い高齢者”として人生を楽しんで下さいな。