一昨日も終わりに近い24時ちょっと前、携帯にメールが届いた。
何事ならん!と驚いて携帯を見る。体操教室の友人サイトウさんからだ。
“オオモリさんからラインが入った。島にコロナが出てロックダウンだって。あんなに注意していたのに”とある。
こんな夜中に驚かさないでよと思ったが、彼女にとってはそれほどのショックだったのだろう。
私も、ついに隠岐の島もやられたか、とガックリ。
隠岐の島と言っても、コロナ患者が出たのは島根県隠岐本島の隣の島の海士町。オオモリさんの住む島だ。
オオモリさんは、2年間ほど体操教室の仲間だった人。海外勤務の息子さんの家の留守番にご夫婦で島から出て来ていた。
その間にオオモリさんと仲良くなった我々体操教室の5人、彼女が海士町に戻ってしばらくした2016年の6月に、厚かましくも隠岐に押しかけた。
その時以来、隠岐の島の美しさに魅了されたサイトウさんと私。
当時、フェリーから眺めた隠岐の島
また、隠岐に行こうと話していたところに、去年初頭からのコロナ騒ぎ。
その中で隠岐の人たちは患者を出すまいと必死で頑張っていた。島に総合病院はあるけども、コロナのための病床はない。
本土までは50km。コロナ患者が出たらヘリコプターで松江の病院に運ぶとのことで、最初の頃は練習をするヘリコプターがよく飛んでいたらしい。
とにかく島内にコロナ菌を持ちこまれないようにと厳重な警戒をしていた。島民は本土に行ったり、島外の人間と接触したりすると、2週間の自宅待機になった。
島根県と隠岐の島役場の厳しい処置で、隠岐の島ばかりでなく島根県も感染者が少なく、それを陰ながら喜んでいたのだが・・・・・・。
しかし、何事もないと人の心は緩むもの。最近は2週間の自宅待機もなし崩しになっていたとか。
ま、それも分からないではない。彼女の自宅からみた景色はこんなだもの。こんな所までコロナ菌が来るはずはないよねえ、と誰でも思う。
私たちの泊まった民宿の前もこんなだもの。
それが4月21日に海士町に3名の患者が出た。22日に4名、23日には1名。
彼等は2週間以内には島外に出ていないとのことで、さあ大変。元凶は誰だ!
彼等と接触したと思われる400名の検査を行った。島の人口は2205人。特定は難しくないだろう。
昨日の夕方、オオモリさんに電話するとこう言っていた。役場からチラシが入って、 「ダガ(誰が)かかってもおかしくないけん、犯人探しはやめましょう。患者さんやその関係者を励まし、応援する「思いやりの心」を持っていただきますようお願いします」と。
彼女の声は疲労困憊の極み。私のような電話が何本もかかってくるせいもあるのだろうが、昨日は弱り目にたたり目、近くに山火事もあったそうだ。
患者を運ぶヘリコプターと山火事鎮火のヘリコプターの音。間に「今日は1人の感染者がありました」と防災無線も。
ああ早く、地球上からコロナが退散しますように!