朝起きたら良くなっているだろうか、と思ったら、

凄く悪くなっているとは思わないけれども、良くなっているとも思わない。

どちらかというとやっぱり悪くなっていると思う。

ゆっくり進行していくんだろうか。

 

ふと堀ちえみのブログが目に入る。

彼女も口の中のトラブルと戦っているのだった。

私の問題とは(今のところは、であってほしい)比べ物にならない大変な思いをしているので、

明るく家族ともに生きる彼女の姿に少し励まされた。

少しは穏やかな日々が過ぎてくれればいいと思っていたのに、

今また新たな大きな問題に直面している。

今は大きくないかもしれない。

でもほっておくと家族にも迷惑かけかけない問題で、だからと言って今すぐ自分がどうしていいのか分からない。

今年はずっとこの問題で悩んでいる。

考えないで放っておいたら自然に解決することでもなく、

正直怖い。誰も本当のことを言わないうえに、自分でどう判断していいか分からないし、どう動いていいのかもわからない。

昨日、ちょっとだけ真実を教えてくれた人がいた。たまたまそういうめぐり合わせになったので、それは感謝するべきだと思う。

だが、その人も予想できる範囲でちょっとだけ言ってくれただけである。

そこから判断すると、これはあまり良い兆候ではない、ということだけは分かった。

そこから自分ができる最低限の予防策は考え着く。

でもまるで綱渡りのようで危なっかしく、大した策ではないことは分かっている。

 

 

 

 

「ケムリクサ」をようやく見終わった。

画面が暗いし、話が見えないし、半分見て放ってい置いたのだが、途中で放るのはよろしくないと最後まで見て、

またもやなるほど、である。

最後数話でやっと謎が解け、話の全体像が見えてくる、というものだった。
 

 

アラフィフなのに、子供がいることがきっかけで日本のアニメに再び出会える機会が増えた。

海外からもほとんど時差なく視聴できる環境になった、というのもある。コロナのせいもある。

 

ここ最近見た中では「色づく世界の明日から」がとても良かった。

最初は退屈だと思ったし、そこで挫折する人も多そう。

それが最後まで見た時に、もう一度見直してみよう、と思わせられる。
シリーズものを見てすぐに見直す、などと言う経験は初めてだが、

もう一度見てなんと繊細な美しい表現をしているのだろう、と感嘆。

 

全体としては青春ものなのだが、やはりアラフィフは琥珀ばあちゃんが過ごした60年という月日にも想像力が働いて切ない。

 

大人が見てみるべきアニメだと思う。

一つ難を言えば、主人公の話し方が好きになれなかった。でもまあそれは未来の若者の話し方、ということにしておく。

 

 

 

自分のできる範囲での寄付、と言うのを探している。

それは自分の誕生日をきっかけにやってみよう、と言う気になったのだが、誕生日を大分過ぎてしまった。

今水害が起こっているのでそこにしようか、と思い、
その前に候補に挙げていたところにしようか、と思い直し、

継続的に続けるところにしようか、と迷って、

結局前に候補を挙げていたところにした。

 

継続サポーターになるのにはまだハードルが高い気がして、物品を寄付してみることにした。

ハードルはかなり低い。

でもはじめの一歩である。

 

それにしてももうちょっと自分の身を明かさず、カード情報などを入れたりせず、気軽に寄付できないのだろうか。

自分にあった方法を探すのにしばらく戸惑いそうだ。

好きなことをやればいい、と言うのは実は違うかもしれない、と思った。

好きなことをやったほうがいい人と、そうではない人がいて、

好きなことがどんどんできる環境に自然と置かれる人と、できないように人生が進む人がいる。

中には好きなことしかできない、好きではないことをすると死にそうになる、と言う人もいるのに、自分が何が好きか分からなかったり、そういう環境になかなか出会えなくて苦しむ人もいる。

 

皆同じではない。

 

「未来は隠されている」

 

あるいは、隠されていなければならない。
先のことは無理に知ろうとしないと。知ろうとすると運命の糸が拗れて行く。

なるほどの一言。