そもそも教育勅語が話題となったのは、

 

今はすっかり影をひそめてしまった、

森友学園問題が発端。

 

国からの払い下げの金額が、

余りに安すぎるということで問題になると共に、

 

教育勅語が、教育に使われている。

戦前の軍国主義教育をするとは

何ちゅう学校だ!

との批判も浴びて大いに話題になった。

 

そこで、小生は、

教育勅語=軍国主義教育?

 

うんにゃ!

それは断じて違いますバイ、

と声を挙げ、

何故、うんにゃ!

なのかを今まで書いてみた。

 

 

今回はここで、改めて、

1890年10月、明治天皇の勅語として発布された、

教育勅語の現代口語訳を見てみることにしよう。

 

「私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現 

 をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

 そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わ  

 せて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参り

 ましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねば

 なりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にある

 と信じます。
  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに

 力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸

 襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に

 愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、

 人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法

 律や秩序を守ることは勿論のこと、国家に非常事態発生の場合

 は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりませ

 ん。
  そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めである

 だけでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残され

 た伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫

 の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も

 今も変わぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っ

 ても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと

 共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心

 から念願するものであります。」

 

 

この勅語が、軍国主義だと騒ぐのは、中段の、

 

 …国家に非常事態発生の場合は、真心を捧げて、

  国の平和と安全に奉仕しなければなりません。…

 

の部分なのだろうと、推察されるが、

国の非常事態に、平和と安全のために、

戦うのは当たり前のことじゃないの。

 

それとも何かえ?

もし他国が侵略して来ても、

黙っておとなしくしてろ。

見て見ぬふりをして、

やられっぱなしになれってことなの?

 

そりゃあ、ないでしょ!

 

そんな一部の文章だけ見るのではなく、

もっと全体を見ないといけない。

 

そこには、日本人としてあるべき姿が

見事なまでに述べられている。

 

これぞ、日本人!

日本人ならかくあるべき!

 

そういう素晴らしい文章と思いません?

 

 

ちなみに、この勅語を起草したのは、

井上毅(こわし)という人物。

 

もちろん作成に当たり協力者は居たが、

実は彼がほぼ一人で完成させたようなもの。

 

井上は、人生のすべてをかけて

この作成に取り組んだ。

 

その作成に当たっては、

日本人のルーツである『古事記』にまで遡り、

日本人の精神とは何ぞや、

という観点からも見つめている。

その努力たるや、大変なものであった。

 

これにより、

日本人の精神の骨格が作られたと

言っても過言ではない、と思うのであります。

 

そして、この教育勅語が、思いもよらず、

海外で絶賛されることになる。

 

 

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