そもそも「経営」とは何か?

「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」(『世界は経営でできている』より)である。
 
《「お金儲け=経営」という見方は、日本においては、平成の長期不況つまりデフレ不況のなかでで強まってきた価値観だと言っていいと思います。私を含め今の30代〜40代は生まれてから今までほとんどずっとデフレ期の中を生きている。
 

インフレだとカネの価値は下がり、相対的にヒトの優位性が高まります。だから企業にとって希少資源であるヒトを囲い込むことが経営上の正解になり、ヒトを離さないために会社は給料や福利厚生などを充実させ様々な手当もつけた。

 

ヒトの価値を理解し、ヒトを育てながら価値創造の主役にする。これこそが日本企業、日本式経営において最大の強みでした。

反対に、デフレ期の問題はヒトを軽視することでした。デフレではカネが希少資源になるわけですから、相対的に弱い立場にあるヒトはカネに振り回されるようになる。こうして、デフレに突入した90年代以降、日本企業も社会も自分たちで強みを手放してしまったように見えます。大きな影響力を持った「自己責任論」はその典型です。
 
流れが変わったのは2023年の後半からです。日本経済に90年代前半以来のインフレの波が訪れ、連動して明らかに景気の波がいい方に変わってきた。マインドの変化は確実に起きています。経営とは何か、みんなの生活の中にもあるという話も受け入れられるようになってきました。》
 

金儲けではなく「価値創造」という視点

《『世界は経営でできている』の中では、かなり身近な事例から“経営”を語っています。例えば家の中に夫がちょっと飲み残したコップがあちらこちらに残してしまう問題、受験などで親が子供の学校をどこまで決めていいのか――。一見すると、まったく経営とは関係ないと思ってしまうかもしれませんが、金儲けではなく価値創造=他者と自己の幸せの追求という意味では、家庭もまた経営の対象です。
 

なぜ優秀な部下が無能な上司になるのか?

《経営学の知見では、組織がピラミッドで複数の階層に分かれていて、それぞれの階層で求められる能力(業務遂行能力と経営能力など)が違うといった条件が重なると「どんなに優秀だった上司も必ず無能になる」ということがわかっています。

 

経営は人を幸せにも不幸にもする

自分が変わることで、ちょっとした変化が起きる。経営もまた可能性のアート(技術)である。そんなことが言えるのかもしれない。

《この本で狙ったのは、みんなの人生に“経営”という視点を取り入れることで、より幸せな人生を送れるということです。経営=金儲けと決めつけて「経営なんて自分の人生に関係ない」なんて考えはもったいない。》

 

幼少期までは私の家は裕福でしたが、父があるとき祖父の会社から人材を引き抜いてライバル企業を自分の手で作ってしまってから、生活が徐々に変わっていきました。

 

父が理想にしていたのは、トップダウン型ではなくみんなで作り上げていく会社組織だったのですが、足元を見ずに理想を追求してもうまくいくことはない。

 

あっという間に倒産して、多額の借金を抱えることになりました。

 

父は現実を直視して変化していくことを、「安易な妥協」と捉えてしまう経営者だったというのが私の見方です。商人のマインドで考えれば周囲との確執はマイナスしかないし、妥協ではなく対立解消を目指せば、現実を見ることは悪ではなく善なのですが……。

 

価値は無限に創造できる

《価値創造は有限で、市場は奪い合いで、いかに狡猾に椅子の奪い合いを勝ち抜くかという発想はそもそも「経営」とは呼びません。『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』でも書きましたが、今、流行する横文字の経営理論の大元はカイゼンやトヨタ生産方式のような日本式経営にあります。
 

ヒトを大切にしながら、カネ一辺倒に陥らない経営思想は歴史から導くことができると思うのです。

 

“経営”の根幹にあるのは、価値は無限に創造できるということです。有限のパイを奪い合いではなく、パイを作り続けることにこそ価値がある。