一人の天才の独創によって誕生した相対論に対し、量子論は、多数の物理学者たちの努力によって構築されてきた。

数十年におよぶ精緻化のプロセスで、彼らを最も悩ませた奇妙な現象=「量子もつれ」。

 

たとえ100億km離れていても瞬時に情報が伝わる、すなわち、因果律を破るようにみえる謎の量子状態は、

どんな論争を経て、理解されてきたのか。EPRパラドックス、隠れた変数、ベルの不等式、局所性と非局所性、

そして量子の実在をめぐる議論……。

 

1世紀におよぶ量子力学構築の物語

数多くの物理学者たちが取り組んだ結果、個々の科学者が打ち出した理論がすべて相互に関係していることが判明したのである。
この驚くべき科学史上の紆余曲折について、『宇宙は「もつれ」でできている』は丹念に順を追って説明している。
 

大きな論争の火種となった難問

アルベルト・アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って、量子力学を受け入れようとしなかったことで有名だ。

 

彼は量子力学が「不完全な理論」であると主張したが、ニールス・ボーアは徹頭徹尾、量子力学を支持し、

両者は互いに自身の主張を譲ろうとはしなかった。アインシュタインは巧妙な思考実験を思いつき、

ある物理学会(ソルヴェイ会議)でボーアにそれを披露している。

 

さすがのボーアも「うーん」とうなってしまったが、「もしアインシュタインの主張が正しいなら、物理学はもうおしまいだ」

と考えて、なんとしても量子力学を擁護しようと試みた。

 

幽霊のしわざ!?

 

話を簡素化するために、ここでは二つの量子に「二つの電子」を選ぶ。

電子にもまた内部構造がなく、粒子としてふるまうときは点のごとくふるまうのだが、スピンしている。

電子は2回転して初めて元の状態に戻るような量子であるため、1回転では「半分」まで戻るという意味で「スピン1/2」とよばれている。

 

右ネジを右回りに回すと前進し、左回りに回すと後進するように、スピン1/2の電子の「自転軸」には「上向き」と

「下向き」の二つの方向がある(前者を「スピン・アップ」、後者を「スピン・ダウン」とよぶことにする)。

 

実際に、相関をもっていて100兆km離れた電子Aと電子Bとからなる系に測定器をかけて、それぞれの電子の状態を

測定してみるとどうなるだろうか。

 

相関をもつ(つまり、もつれた)二つの電子の合計スピンは、必ずゼロにならなければならないからだ。

 

では、100兆km離れたところにある電子Bは、いったいどうやって電子Aのスピンが上向き(スピン・アップ)

であることを知ったのか?

 

アインシュタインは、あたかも因果律を破るかのようなこの現象を“幽霊”による遠隔作用であると非難し、

こうした不条理な結論をもたらす量子力学を「不完全な理論」であると批判したのである。

 

「隠れた変数」理論とは?

この問題を解決するためにアインシュタインやその他の高名な物理学者たちが持ち出したのが、「隠れた変数」理論だった。

 

量子力学は、ハイゼンベルクの「不確定性原理」等によって、実際に測定しても量子の測定値(物理量)をはっきりと

決めることができないが、相関している二つの電子(合計スピンがゼロ)の場合には、一方の電子のスピンを正確に測定すると、

もう一方の電子のスピン状態が測定なしに正確に決まってしまう。

 

「隠れた変数」理論とは、それがどんなものであるかは具体的にわからないものの、「隠れた変数」を用いることで

不確定性原理による測定値の「あいまいさ」が消えてしまい、すべては古典物理学のように(測定器による測定誤差を除けば)

測定値にはなんのあいまいさも残らず、明瞭に決定できる「決定論」に帰着できるというものだ。

 

すべては「非局所的」に起こる

一方、物語の転換点が、1964年に訪れる。北アイルランド出身の物理学者、ジョン・ベルは当時、

EPR論文にすっかりとりつかれ、夢中になっていた。ベルは当初、ボームの「隠れた変数」理論に大きな関心を寄せていたが、

ある日、自ら「思考実験」を思いついたのである。

 

彼は、二つの粒子間の「相関性」について深く考え、EPR論文が理論を「局所的」に考えていることに気づいた。

局所的とは、「情報が部分から部分へと伝わる」という意味である。

 

すなわち、すべては系内の全範囲にわたって「非局所的」に起こるのだ、と。

「EPR論文」が示す二つの相関した電子は、たとえ100兆km離れていても一つの系内に収まっており、

測定結果は系全体に非局所的に及ぶ。そこには、信号が伝わるという現象はいっさい起きていない。

なぜ信号なしで情報が伝わるのか? それは、系内の粒子(量子)たちが「もつれて」いるから――。

 

もつれた粒子たちからなる一つの系は、「部分」に分けることができず、したがって「部分から部分に伝わる」

ような局所的な現象は起こらない。「非局所性」と「分離不可能性」が一致しているのである。ジョン・ベルは、

もつれた二つの量子の相関性の強さから、ある「不等式」を数学的に導き出し、それはやがて「ベルの不等式」

とよばれるようになった。

 

1970年代以降、このベルの不等式を実験的に検証する試みが多くなされ、1980年代に入ってようやく、

ある決定的な実験事実が発表されることになる。それは、ベルの不等式が成立しない(破れる)ということであった。

 

その結果、量子力学が完全に成り立ち、晴れてその正当性が認められることになったのだが、時すでに遅く、

あれほど「量子力学は不完全であり、神はサイコロを振らない」と主張していたアインシュタインは、すでに他界していた。

草葉の陰で、彼はどう思っていることだろう。