2019年7月2日(火)は娘の誕生日。
この日の22時21分、私たちにとって特別な日になりました
ようやく待ちに待った愛する我が子と会うことができたからです。実際に会ってみると本当に愛おしく、今までの人生で授かった一番の贈り物であり宝物です
(記憶に残りやすいように過去で同じ日に起きた歴史的なイベントを調べたら、この日はウォルマート1号店が米国アーカンソー州で開店したどうでもよい出来事しかなかった)
娘の出生サイズ:
体重 3590g
身長 48kg
頭周囲 34cm
▼内診グリグリの効果あり
娘は予定日の約一時間前に生まれたわけですが、実はこの日の前日にやった内診グリグリが効いたのかもしれないです(先生の言う通り、施術後は出血が少しあるかもしれないけど、早くて同夜か翌日に破水するかもしれないと言っていたのが私の場合は大当たりでした!)
それでは、出産ストーリーを以下に共有します
▼出産の兆候(7/2 6時頃)
主人とベッドでお腹を触りながら赤ちゃんの話をしていた時にお腹の真ん中でパン!と音が聞こえたので、まさかの破水と思い、恐る恐る起き上がろうとした時に血やおりものでない液体がチョロチョロ出てくるのを感じ、立った瞬間に水が一気に出てきたので正式に破水確定
→ここまでは本やネットで書いてあった通り事前に分娩までの流れを把握していたのでパニックにはならず落ち着いて進めることができました。
▼準備(6時半頃)
入院バックは事前に準備していて、タクシーを呼んでから5分以内で着くのでその間はのんびり旦那や実母とお喋りしながら破水後の床を拭いていました
▼病院到着(朝7時過ぎ)
タクシーで陣痛がある時に凸凹道を走る痛みに耐えながら15分程度で病院に到着してチェックイン。
病院に向かうタクシーの中で
ちなみに私が出産したこの病院は大統領やファーストレディたちが出産したこのある同じ病院みたいです
参考までにそのスイスの病院内の写真をお見せします
私立の病院の個室
今回私が使った個室(追加料金80フランで旦那のベッドも置いたので広々)
ここの病院のサービスもケアも5つ星のホテル並み
バスルーム
お手洗いも綺麗でホテルみたい
(産前は食べ過ぎは良くないということでクラッカーだけ)
▼陣痛待ちの個室へ移動(朝7時半)
私服から入院服に着替えて陣痛待ち。最初は数分毎に来る陣痛が痛くてベッドで横になっていたものの、陣痛はじっとしているより動いている方が痛みが暖和されると助産師から言われ、部屋を歩き回ったり、ボールの上に座って骨盤左右に動かしたり、立った状態で背中でボールを壁につけたまま骨盤を回したり座ったり、ボールをベッドの上に置いて腰を動かしたりしたら確かにベッドで横になっているよりかは陣痛が暖和しました
→ここで本陣痛になったので陣痛・分娩室へ移動。
ベッドで陣痛に耐えていた時
▼陣痛・分娩室(朝8時〜正午頃)
少しずつ歩いて動ける時間が短くなる程の痛みになり、赤ちゃんを下におりてこさせるためポジションを変えてボールを試す。本陣痛の間にトイレを済ませて37度のぬるま湯を張ったバスタブで子宮口3、4cmになった陣痛に耐える。
→破水をしていたので産婦人科医の許可をもらう。
▼無痛を依頼(午後1時〜夕方頃)
私は痛みに敏感で採血も大の苦手ですが、今回初めての出産で陣痛も少し経験してみたいと言うことで、子宮口3、4cmまでは陣痛を我慢していたのですが、さすがに我慢しなくても良い強い痛みに変わってきたので、断念して無痛(硬膜外麻酔)を注入。
→元から無痛分娩の予定にも関わらず、いざ麻酔科にお願いした時に「もう少しだけ我慢しても良いんじゃない?」と何も痛みを感じていない他人事の旦那に言われてキレる
実際に麻酔を入れてから30分程度でじんわりと麻酔が効いてきて、無痛を入れた後の下半身の感覚ははっきりあるものの不思議と痛みだけ取り除いた感覚。先程のもう経験したくないような陣痛の痛みだけが不思議と無くなり、お喋りしたり昼寝ができる余裕ができたので3時間程度無痛を楽しむ。
▼1回目のアクシデント発生(夕方頃)
無痛の余韻に浸っていたのに何故か少しずつまた陣痛を感じ始めたので、追加分の麻酔ボタンを押し続けるも効果無しで主人や助産師さん、産婦人科医に訴える。この時の子宮口は7cm程度。担当の助産師がチェックしても問題なしで私が大げさに当初は見えたものの、後からベテランの麻酔科医にダブルチェックしてもらうと、右肩のチューブの接触部分が外れていて麻酔が体内に入っていないことが判明助産婦の確認ミスで麻酔科医から注意。
→急遽早く効く方の麻酔を肩から入れた後に衛生面の理由から万が一のことを考えて再度局所麻酔を打ち、硬膜外麻酔を入れ直す羽目に
▼2度目のアクシデント発生(夜7時半頃)
6時過ぎに入れてもらった2回目の硬膜外麻酔が効いてきたのでまた安堵に浸って昼の麻酔科医のシフトが終わり夜のシフトの麻酔科医と交代時間にまた少しずつどんどん強く激しくなる痛みを感じ始める。今度こそ先程の確認ミスだったチューブなどを確認するも全て問題なし。麻酔の量も増やしてもらうも全く変わらず2度目の麻酔が効かない原因不明。結局子宮口全開手前(8〜9cm)のまま病院中に聞こえる声で叫びながら麻酔科医と子宮口全開になるまで激痛に耐える。この時点で高心拍になり、肝心な痛み止め効かない麻酔が大量に投与されてガタガタと体の震えが止まらなくなる。
→ここでまた旦那が交代した麻酔科医を呼ぶのを躊躇する。理由は麻酔の効果が5分後に現れるまで激痛で泣き叫ぶ私を待たせようとして逆ギレ。
▼3度目のアクシデント発生(夜8時頃)
まだ赤ちゃんは下まで降りてきていないものの、産婦人科医が子宮口を指で触ったら10cmまで開くということなので(長い髪の毛も指で触れる)麻酔が効かない中でいきむことに。しかしそれでも出てこなくて陣痛で高心拍、高熱が発生、耳も遠くなって終いには目も見えなくなり、意識が朦朧になるオキシトシンを投入して心拍を落ち着かせ、投薬で解熱させるも、麻酔の量は増やしても痛みを暖和させることはできなかった。
ここで産婦人科医から何度か帝王切開を提案されるも、これまで膣分娩のために時間とお金と労力かけて頑張ってきたマタニティピラティスや整体、鍼灸、スイミング、会陰マッサージ、スクワット、毎日2万歩の散歩、ラズベリーリーフティー、体重管理などここまで頑張っていたのに帝王切開で全て台無しになるなんてそれがあまりにも許しがたかったので陣痛で苦しむ中、先生は今すぐ帝王切開を提案するも、私は膣分娩が離し難くてあと2〜3時間の延長を先生と交渉
(帝王切開になるんだったら陣痛も子宮口全開まで我慢する必要もなく最初からやっていたのに)
しかし、ここで突然産婦人科医からなんと児頭骨盤不均衡で狭骨盤のため赤ちゃんが骨盤にひっかかって出てこられないことが診断されて急遽帝王切開になる(通常は子宮口全開から1時間で出産するものの、私の場合は2〜3時間かかっても出てこないのでこの時は本当に母体の生命が危険だったらしい)。
→医者曰く、もし100年以上前の麻酔が普及していない時代だったら、今回の場合私と子供母子共に命を落としていたとのこと
▼4度目のアクシデント発生(夜9時頃)
分娩室から帝王切開する手術室へ運ばれる途中、フロアの凸凹の度に陣痛に更に響き激痛で移動中も叫びまくる。
帝王切開する手術室に着き、各科の専門医たちが集結する。すぐに硬膜外麻酔を大量に投与されるも相変わらず麻酔が効かず、ピンセットや注射の針で突く痛みもすべて感じ、大量投与した麻酔のせいで体のガタガタも止まらない。それどころか麻酔が効いていないのにメスでお腹を切ろうとしている行為の方が私的には怖かったし、麻酔無しでお腹を切るんだったら分娩室へ戻って無理にしてでもいきんで出産したかった。
結局母体が危険に晒されているということでガスで全身麻酔を投与。それからしばらく意識はあったものの、そこからすぐ意識は無くなって起きた時には帝王切開の痛みが「陣痛で痛い!!!」とまだ叫んでいて、実はこの時出産から一時間以上私だけ一人隔離された状態で赤ちゃんと旦那に会わせてもらえず説明も無く(英語が通じずフラ語のみ)、麻酔から覚めて空っぽのお腹に気づいて状況が飲み込めなかった時は「私の赤ちゃんはどこ」とパニック状態でした
なので赤ちゃんに会わせてもらえないどころか、一番楽しみにしていた最初の赤ちゃんの誕生を迎えてあげることと赤ちゃんとの初の対面、待ちに待ったカンガルーケアや授乳を一時間以上逃して母親として最初に我が子にしてやれなかったことが身体的な痛みの苦しみを味わったことよりも悔しかったです。
度重なるアクシデントはありましたが、何はともあれ待望の赤ちゃんが無事だったのは不幸中の幸いでした