今もこの行事ってあるのだろうか。翌年小学校に上がる子どもが、小学校の運動会に招待されて出場する「旗拾い」という行事があった。横並びに並ばされた子どもが一斉に走り出し、中間点の地面に置いた日の丸を拾って、旗を片手にラストスパート、ゴールまで一気に駆け抜ける競争だ。当時母は何を思ったか、この日私に取っておきのお洒落をさせた。革靴なんてものを履かせて、一張羅のパンタロン、いつものベレー帽もかぶっていたかもしれない。格好からしてちょっと違っていた。「よーい!」「パン!」ピストルが鳴った。横並びに並んだ子どもたちが一斉に走り始めた。男女混合のかけっこで、先を競う子どもたちはぶつかり合ったりしながら一心不乱に走った。私もその仲間になる予定で走り出したのだが、ふと冷めた。「危ない」と思ったのだ。硬い砂地のグラウンドは革靴では滑りそうだったし、ぶつかったり転びそうになったりしながら、我先にと走るのは「危ない」と思ったのだ。横一直線に置かれた旗は、先頭集団によって真ん中部分が持ち去られた。でも! 視界を広げて見ると、急がなくても旗はいくらでもあったのだ。速度を緩めた私は、皆が持ち去った後に残った端っこの旗を拾い、ゆっくり(悠々?)走ってゴールした。この時母は恥ずかしいと思ったらしい。せっかくお洒落をさせて出かけたのに、ビリだったからだ。この時の記憶は今も私の心にある。急がなくても、競争しなくても、一心不乱に敷かれたレールで走らなくても、残っているのだ、自分の分は。この出来事は、その後の私の人生を暗示していたように思う。人生を列車の旅に例えると、私は発車直前に飛び乗ってラッキー!というタイプではなく、満員電車のなかをじっと堪えて乗っているタイプでもなく、むしろ乗り遅れたり、途中下車したり、そもそも始めから乗らなかったりして人生は回っている。不思議だねー。でもね、あるんだな。自分の分って。