アンネフランクの家に行ってきました | マディと一緒に

マディと一緒に

14歳になったマディの歯の治療の様子。
これから始まるオランダでの生活を綴っていきたいと思います。

アンネフランクの家に行ってきました

9:30スタートの解説付きを申し込んでいます

トラム5番に乗ってRozengrachtで下車

そこから徒歩で10分足らず

家を出てから30分で着きます



アンネフランクの家は

西教会の直ぐ側にありました



アンネフランクの家


入り口の様子

やはり、コロナ対策でかなり入場制限

されている感じ

9:30に私達は右側の入り口から入って

小さな部屋に案内されました

一緒に解説を受ける人数は15名くらでした。

英語での解説だったので

私には難しかったけれど

なんとな〜く分かったって感じキョロキョロ

30分くらいの解説を聞いて

いざ中へ

ここで、音声が流れてくるスピーカー?

スマホくらいの大きさ)

日本語設定出来るものを

貸してもらえました(無料)ニヤリ

部屋ごとにある端末にかざすと

部屋の案内がアナウンスされます

当時の写真や残っている文献の展示の解説

なぜ隠れ家に住むことになったのか

などの話を聞きながら

いよいよ、隠れ家に通じる本棚の前にやってきま

したびっくり




アンネ一家がナチスに連行されてから

全ての家具は撤去され

唯一残ったものは、この本棚だけ

この先は本当に狭くて

このスペースの中に、2年間、

外には一歩も出れず

8人が暮らしていたとは…

しかも階下で働いている人たちに

気付かれないようにと

細心の注意を払ってショボーン



アンネが使っていた日記帳ニコニコ

少女らしい可愛い色合いに

当時の彼女の思いを感じますおねがい


出口



今の正面はこんな感じ


当時の写真  真ん中の建物


裏側から


青い部分がオフィス

黄緑色の部分が隠れ家


横から見た模型



前に流れる運河


ショップで購入したもの

文庫本は€17もしたから

迷ったけど、買ってよかったニコニコ

この本によると

私の中学生の時に読んでいたのは

アンネの父オットー・フランク

(8人のうちただひとり生還出来た)

が編集したものと分かった

1980年、彼の死去後、アンネの自筆原稿は

遺言により、

オランダ国立戦時資料研究所に

遺贈された

その後調査を開始して

増補新訂版を繰り返し

2001年、研究所編による

<研究版『アンネの日記』完全版(第五版)>

が発表された

私の買った本は、2003年4月10日 第一刷

となっている

600ページに渡る長編だけど

じっくり読んでみようと思うニヤリ


隠れ家を出てから

戦争が終わって生き残った人の

証言映像が流れていました

その中で

オットー・フランクの

「私は娘とは良好な関係で、

よく理解していると思っていた

しかし、日記を読んでみて

実は何にも分かっていなかったんだと

気付かされた

世の中のほとんどの親がそうではないの

でしょうか」

という言葉が

とても印象的に残りましたおねがい