今週中にはなんとか事態を動かしたかったのですが、

力及ばずで何も出来ないまま2週めの週末を迎えることになりました。

 

そんななか、21日にメールを送信したっきり返事がなかった父から

今朝メールが返ってきました。

曰く、パソコンを開いていなかった為返信が遅れたそうです。

 

(※注:父はスマホを持っていません)

 

何度も書いた通り、母はもう完全に典型的な過干渉なうえ思い込みも激しいので

恐らく何回話し合いをしても何も変わらないと思うのですが、

(表面上反省したような言葉を発しても、全く何も事態を改善出来ないと思う)

まだ父は「変わり者」だというだけで若干の取り付くシマはあるので、

  • 母抜きで父とふたりきりで
  • 自宅だと完全に分が悪いので他所で

話し合いの場を持ちたい・・・と、メールを投げていました。

 

それに対して、明日と明後日の父の空き時間が返事できました。

とりあえず明後日25日日曜日の午後、父と話し合いの場を持とうと思います。

たぶんまだ、これで決着できるとは思っていませんが、

とりあえず今の「最悪な状態」からは変われるかもしれません。

 

頑張って来ます。

 

・・・という話。

結論から言うと、なんとか確保できましたが。

 

 

今朝起きて、ここ最近いつものようにボロ安宿のフロントへ

宿泊延長のお願いに行ったところ、

 

「申し訳ありません、今日はもう満室で承れません。」

 

とのお返事が。

田舎とはいえ一応ここは観光都市なので、覚悟はしていましたが

まさか本当に満室でドミトリーを断られる日が来ようとは。

(そもそも市内在住なのに宿泊施設を使っている時点でおかしいのですが。)

 

そんな訳で雨がざんざか降るなか今日寝られる場所を失くしたのですが

とにかく急いで、この1週間ほどお世話になった安宿を退出せねばならず

慌てて荷物を纏めて宿を飛び出してきました。

 

そのまま就労移行支援事業所へ行き、作業するフリをしながら

今日の宿泊場所を探そうかと思っていたのですが、人生そう甘くはありません。

今日は特別にいつもの作業ではなく、カウンセリングの一環として

マインドマップ作成をすることになり、午前中はがっつりと

自己と向き合っていました。

 

で、昼休みにでも、スタッフさんに今日の宿泊場所の相談をしようと

思ったのですが、皆さん、本来のお仕事に忙殺されているうえに

他の利用者さんのお喋り(大概が親父ギャグ)に付き合わされ

大変そうだったのでお声すら掛けられず。

 

結局、事業所を出て近くの喫茶店に自前のMacを持ち込み、

昼食がてら自力で宿探しをすることになりました。

 

正直あまり安宿に期待はしておらず、最悪*000円以内だったら

ビジネスホテルでも妥協しようだとか、それでも見つからなかったら

シャワー付きのネットカフェでもいいやと思っていたのですが、

意外にも市街地のど真ん中で、先月開業したばかりだという

ドミトリー形式の安宿を見つけました。

しかもオープン記念で、今ならかなりお安く泊まれるとのことで、

実は今日まで泊まっていた安宿よりも割安だったのでびっくりして。

 

果たして「急の連泊」が出来るのかどうかだけが心配なのですが、

とりあえず1泊の予約を速攻入れて、受理されたところです。

 

もう本当に、捨てる神あれば拾う神ありだと感激しました。

 

両親との確執が未だ着地点すら見えず、連絡すら取れないところで、

頼れるところがあるのは本当に有難いことです。

また今日の宿は、宿泊業のほかにコワーキングスペースもあるとのことで

もしかしたら将来独立して仕事するようになれたときに

非常に役立つ場所になるかもしれない・・・という期待もしています。

 

とりあえず定時まで作業をしたところで、(たぶん雨は止まないでしょうが)

宿まで行って来ます!

 

週末からこちら動きが全然なかったのでブログも更新出来なかったのですが、

今日になってかなり状況が変わってきました。

 

金曜日(このブログを立てる数時間前)、市役所のケースワーカーさんに

かかりつけの医師からアドヴァイスを貰う・・・というよりも

今後何かあった時の為に「普段からこまめにSOSを出しておく」意味で

今回の事件の報告をすることを強く勧められました。

 

が。クリニックが盆休みで19日(月)まで休診していた為、

週末は全く身動きが取れませんでした。

火曜日からは通常診療だったのですが、朝一番で電話したものの

30分以上話中で繋がらなかったうえ当日中の診察を断られました。

 

とりあえず平日に通っている就労移行支援事業所には行けていましたが、

職業訓練はほぼ出来ずにカウンセリングを受けるかベッドで寝るかの毎日。

このままでは就職活動に影響が出るどころか、健康にまで影響が出つつあり

正直ひどい焦りを感じつつありました。

 

そんななか、今日午前のクリニック予約が取れたので

藁にもすがる思いで行ってきました。

医師からは

「母とは間違いなく会話にならない。弟夫婦も無理解という意味で避けるべき。

とりあえず無難なところで、父親に『別居をする為の資金援助』をお願いする

交渉をするしかないかな。」

と言われました。

 

・・・それが出来ていれば、とっくにやっているのですが。

 

診察終了後事業所へ行き、今日も面談を受けました。

その場で指摘されたのは、

「貴方にとって『働く』とは、ただの親から離れる為の手段でしかなく、

『働いて自立すること』より『親から自立すること』のほうがウェイトが重い。」

「自立しようとしてもがいているけれども、結局親の呪いにかかったまま。」

「このままでは資金面より健康面で倒れる可能性が非常に高く、

『本末転倒』にしかならない。

また、事業所としても『就労移行支援』という本来の支援が出来なくなる。」

などということでした。全くその通りで、耳が痛いです。

 

とはいえ、ここで私がちょっとでも頭を下げようものなら、

100%無条件降伏と受け取られ、今後一生親から独立する事が出来なくなります。

弟嫁から言い放たれた「お姉さん障害者のくせに何ワガママ言ってるんですか?」

という言葉に、私以外の障害者の方すら屈しなければならない気もします。

かといって、既に70年以上『その性格で』生きてきた両親が

簡単に性格を変えるはずがあるわけもなく

(「お母さんが悪かったから」と言いながら反省しなかった事のなんと多いことか)

打開策は結局見つかりませんでした。

 

とりあえずこの数日間の課題として、

  • 「両親に屈するのか」「とことん戦うのか」を選ぶ。
  • とにかく寝る。体調を整える。
  • 弟夫婦のことは一旦存在自体を忘れる。所詮赤の他人でしかない。

などを言い渡されました。また、今の生活(ユースホステル暮らし)を、

長くても今週中には切り上げるよう、強く強く勧められました。

もし自宅には帰らない道を進んだとしても、せめてウィークリーマンションなどで

暮らさないと体調は(精神的にも)悪くなる一方だと。

 

とりあえず、私の主張していることが『只のワガママ』でないことだけは、

理解してくれる方々がいてくださって感謝しています。

 

その他、今日の進捗を福祉施設の相談支援員さん(第三者の立場で担当)にも

お伝えしてますが、まだ現時点でお返事は戴いていません。

また、今日は市役所には行きませんでした。

 

相変わらず母の出方が全く判らないところではあるのですが、

父から「連絡下さい」との短いメールが届きました。

父はこのご時世にスマホは勿論ガラケーすら持っていない人なので、

わざわざメールを打つ為だけにパソコンを引っ張り出してきて

打ってきたと思われます。

これの返信も悩めるところなのですが、今夜中にしたいと思います。

 

金が尽きるか、命が尽きるか、勝利を勝ち取るのか。

どれが一番先に来るのかは全く判りませんが、たぶん

そう遠くないうちに決着をつけなければならないと思っています。

 

8月12日の夜、我が家で何が起こったのかをお話ししたいと思います。

 

その前に、なぜここまで家族との関係が悪化していたのか、概略を。

5月の末に、些細なことから母と喧嘩になり、口をきかなくなりました。

最初は数日経ったら期限を直すつもりだったのですが、

逆上した母が勝手に部屋に入ってきたり、

ベッドで寝ている私が声を発するまで布団を剥がしたり身体を小突いてきたりと

ペット以下の扱いを受けるようになった為、

(因みに同時期に口内炎の切除手術を受けたのですが、手術当日

無理やり私の口をこじ開け手術跡を見て高笑いしたこともありました。)

いつもお世話になっている支援相談員さんや就労移行支援事業所に

相談をしました。

 

そこで事業所の職員さんが

「じゃあお母さんと直接お話して、過干渉を控えるように伝えましょう」

とおっしゃってくれたので、お任せすることになりました。

 

が。施設に呼ばれた母は1時間の面談中一切職員さんの話を聞かず

少し前に亡くなった大叔母の話など自分のことばかり話しまくったそうです。

職員さんは何度も(少なくとも10回以上は)過干渉を辞めるよう

アドバイスをしたそうなのですが、面談が終わり自宅に帰ってきた彼女は

まず真っ先に私の部屋へ(無断で)押しかけ

 

「お母さん、これから何すればいい?」

 

・・・その話を、面談に同席していたスタッフさんにしたところ、

大きく肩を落として

「あの方はたぶん何を言っても無駄でしょうね。」

と無力そうに呟きました。

 

 

そこから3ヶ月、家庭内で完全に生活を別にしていたのですが、

その事態を憂慮した弟が仲を取り持つ形で、家族会議を行うことになりました。

 

まずは当たり障りのない話から、障害者手帳を申請・取得したこと、

障害厚生年金の申請を進めるものの書類集めで難航していること、

就職活動を進めているけれどもなかなか上手くいっていないことなど

近況を話し、そして仲を修復する具体的な話に入りました。

 

しかしここで、両親と私の条件が折合わなくなります。

あくまで「家族としていつも一緒に何でも話し合ってやっていこう」という父と

(意訳:お前は我々の所有物だから好きな時に好きなように遊ばせろ)

もうすっかり疲弊しているので基本的に別々の生活を送りつつ

医療費等の援助だけはして欲しいと希望を出した私の間で

とにかく一歩も歩み寄れない状態になりました。

 

そこで、私がどれだけ母に失望しているかを、

5月に母が施設に行ったものの話を全然聞いていなかった話題で訴えました。

すると母が、

 

「何で?施設に行った時は職員さんからシステムの話しか聞かなかったし、

お母さんは『判りました。』って一言しか言っていないよ?

それの何処がいけないの?」

 

と、あたかも事実を改竄したかのようなことを真顔で言い出しました。

すると父も弟夫婦も母のその訴えを完全に信じてしまい、

「お前はそんな、赤の他人の言う事ばかり信じて、お母さんを悲しませるのか?」

「幾ら福祉のプロとはいえ、所詮顧客の前ではヘラヘラと良いことしか

口先で話さないだろ?それともお前は施設の信者か?」

などと怒り出し、更に話し合いが纏まらなくなってきました。

 

挙げ句の果てに、それまで落ち着いて(と思っていた)話していた弟が

いきなり

「・・・だからてめーはいつまで経っても役立たずのニートなんだよ!!」

と怒鳴り出しました。

私は大きな声が苦手なので、突然のことで動揺するのを抑えつつ、

この場にいてももう話は纏まらないから自室に帰ると告げたところ、

「あぁいいよ!どうせてめー金ねーから、数日も経たないうちに

泣いて詫びいれてくるだろーけどな、ハハハハハ!!」

と暴言を吐いてきたので、もういたたまれなくなりリビングを出ました。

 

そのまま錯乱状態で支援相談員さんに電話を入れましたが、

夜遅かったので繋がらず、一睡もできずに夜を過ごしました。

翌朝相談員さんから電話がかかってきたので昨夜の話をしたところ、

「とにかく今そこにいるのは精神的に危険だから、今すぐ家を出なさい。」

と言われた為、とりあえずの荷物を持ってすぐ家を出ました。

 

で、その足で、いつも通っている就労移行支援事業所に行き、

複数名のスタッフさんと相談したり、睡眠を取らせて貰ったりしました。

 

スタッフさんには色々と打開策を探して戴いたのですが、

すべての手段がどうしても「同居家族の許諾を得て行う」ことになる

現在の行政の手続きがネックになり、実現が難しそうでした。

 

例として、

1. 一時的な生活保護を申請し、就職するまでの生活費を補助して貰う

→まず両親に支援要請がいき、どう考えても拒否されるので難しい。

 

2. DV被害者を対象としたシェルターへの入居

→現在住んでいる市には数日間の短期入居施設しかなく、

 根本的な解決にならないうえ両親を逆上させかねない。

 (しかも入居にかかる手続きが面倒で数週間かかる)

 

3. 公的な組織からの借金

→両親が世間一般の平均値よりも収入が多い為、まず許可が下りない。

 仮に下りたとしても、これも同居家族の許諾が必要。

 

などを紹介して貰ったのですが、どれも実現に程遠い状態でした。

 

次に市役所の障害福祉課へ行き、居住地域担当のケースワーカーさんと

面会してきました。

そこでも状況を説明し、打開策を乞うたのですが、

上に挙げたような手段しか出てこず、結局どうにもならずでした。

個人的にはケースワーカーさんに自宅へ行って貰い

両親と話して貰うことも希望したのですが、

それは上記の「お母さん何すればいい?」と同じことを繰り返すだけなのと

両親を逆上させ私に返ってくるだけなので勧められないとして却下されました。

 

「ところでご家族から、就労移行支援事業所に電話とか来てないんですか?」

とケースワーカーさんに問われたのですが、来ていないと告げると、

「それもおかしいですね、普通お子さんが家に帰って来なかったら、

勤務先やら学校やらに問い合わせるものですよね?

恐らくご両親的にそんなに大ごとだと思っていないか、

あなたの決意を軽く見られているかのどちらかですね。」

と言われました。それはまさにその通りだと思っています。

 

そのほか最終手段として、かかりつけ医に相談した上で、

措置入院をする(よう、診断書を書いて貰う)ことも勧められたのですが、

流石にそれは事が大きくなり過ぎているようで、今はピンときていません。

もしそこまで心身ともに削れていたら確かにそんな期間も必要かもしれませんが、

今のところは年金申請や就職活動を早く進めたいので

「何もできない時期」が出来ることが若干ネックになっています。

 

どちらにせよ、かかりつけ医に相談したいところではあるのですが、

お盆期間で休診していて、20日からしか開いていない為何も出来ない状態です。

 

 

そんなこんなで家を逃げ出して4日。

ネカフェやユースホステルで寝泊まりするものの悪夢にうなされほぼ寝られず、

昼間通っている就労移行支援事業所で寝たり吐いたりトイレに篭ったりして

ほぼ職業訓練も出来ない状況が続いています。

所持金が少ない為、格安宿泊施設の利用にも限度があり、

20日に病院へ電話を入れるまで果たして身体が保つのかが不安です。

 

幸か不幸か、まだ私は「死にたい」という境地には達していないので、

なんとか頑張りたいのですが、そんな心も折れてしまいそうです。

どうか、これを読まれた方がいい案を提供してくださることを夢見て、

この記事はこのくらいにしたいと思います。

 

現在私が激しく消耗している「家族の過干渉」「言葉の暴力」について、

もう少し詳しくお話しします。

 

特にその傾向が強いのが、母です。

 

私が他人である・・・ということを、頑として認めようとしません。

母から産まれたので、ある意味母の一部であるのはどうしようもない事実ですが、

自分の意見=娘の意見であると信じて疑わない節があります。

 

主なところでは自分の価値観を私に強要したり(というか同じだと思い込んでいる)

例えば「自分の好物=娘も絶対好きな筈」と思い込んでいます。

 

また、プライベートを全く尊重して貰えません。

自室のドアはいつもノックせずにいきなり開けて入ってくるし、

隠している手術跡を、勝手に包帯を解いて覗き込んだりします。

逆に自分の入浴中も浴室のドアは常に全開状態なのですが、

(そしてそれを私にも強要したりするのですが)

「家族だからそんなこと当たり前」

というのがいつもの常套句でfす。

 

そして一番苦しいのが、気軽に発せられる暴言の数々です。

「バカ」「ブス」「デブ」「穀潰し」「能無し」「クソババア」

「下手な歌を気軽に歌うんじゃない」「不味い料理を作るな」

「折角かわいく産んでやったのに期待を裏切った親不孝者」

これらはごく一部です。

普段日常的に、これらの言葉を10分に1回は聴いて育ってきました。

 

母曰く、

「赤の他人ならそう思っても絶対言えないことを、

折角家族なんだから忠告してあげている」

とのことですが、既にその範疇を超え苦痛でしか無くなっています。

 

 

とりあえず母の話はこのくらいにして、次は父です。

 

母ほど危害を加えてくる訳ではありませんが、この人も生来の変わり者で

(面と向かっては言えませんが、恐らく父もなんらかの発達障害を

持っている可能性が高いです。)

自分が正しいと思ったことは、誰に指摘されても絶対に曲げることはありません。

 

そんな父はどうやら子供の頃から家族で苦労したらしく、

「家族というのは一つ屋根の下でお互い助け合って生きるべきだ」

という強い信念を持ち、何かが間違った家族愛を実践し悦に入っています。

 

どうやら父の価値観の中では、40歳を超えた娘が自立するということは

親不孝にあたるらしく、一生、両親の庇護のもとで生きろと強要してきます。

 

一番端的なのが、車の運転についてです。

私は自動車免許証を持っていますが、車の運転を両親から止められています。

理由は「お前は性格的に運転に向いていないから」という、納得のいかない物です。

また「母が何処へだって送って行くし迎えにも行くのに、何が不満なんだ?」

とまで言われます。

私は送り迎えが欲しいのではなく、自分で気軽に出かけたいだけなのに、です。

 

また、かつて(5月に両親と生活を別々にするまで)は、

毎朝朝食時に「今日は何時から何処其処に行って誰々さんと会って、

それから何時に何処其処へ行って誰々さんと会って」ということをすべて報告し

許可を取る必要がありました。

逆にいうと、両親の許しが得られない予定はこなすことが出来ません。

別にやましいことをしたい訳ではありませんが、これでは隠し事が出来ません。

 

 

最後に、歳の近い弟とその妻である義妹について。

今は更生していますが元ヤンキーで、中高時代は私への暴力が激しかった人です。

あまりにも暴行が酷すぎて、当時の記憶がほとんど残っていないほどです。

確か、高校入学あたりからは別々に(全寮制の高校へ入学)育てられた筈です。

そんな弟も年齢を重ねて大人になったのかと思っていたのですが、

それがうわべだけだったということを12日夜の家族会議で思い知りました。

義妹はのんびりしたマイペースな人ですが、

何処かアクのようなものがある性格だと思っていたのですが、

やはり12日夜に、私を疎ましく思っていたことを暴露しました。

 

 

私は別に、自分の家族が特殊であると自覚せずに生きてきたのですが、

年々ここで生きることが苦痛になり、調べて行く中で「毒親」という言葉を

知るに至りました。

まだ目立った暴力を振るわれた訳ではありませんが、人権や人格を否定されるなど

うちの家族が毒親である要素は満たしていると確信しています。

 

 

次の投稿では、トラブルの元になった8月12日夜の家族会議の

詳細についてお話しします。