極付幡随長兵衛は、秀逸な黙阿弥の台詞により、場面場面、ひとりひとりの心情が心に沁みる。

1600年関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年江戸幕府を開き、1605年から江戸城の大改修が始まる。1615年大阪夏の陣で豊臣氏は滅亡。1616年家康死去。

秀忠、家光により江戸幕府の幕藩体制がしかれ、江戸の町も急速に整えられていく。土木、建築、あらゆる分野に人手が多量に必要になり、労働力を差配したのが「口入れ屋」。

一方、多量の武士が浪人となった。また戦に備えて武芸頼みで生きてきた武士たちの不満も募り、徒党を組んで、町人に嫌がらせ、悪質なものでは辻斬り、市井の人々からは怖れられ、嫌われる旗本奴という集団が生まれる。

これに対して、市井の人々を、弱いものを守ってくれたのが町奴。その筆頭が幡随院長兵衛だった。

時代の急速な変化に対応できず、もう必要のなくなった武勇だけをまだ頼りとし、苛立つ水野ら旗本奴。彼らもまた死に場所を求め彷徨っていたのかもしれない。水野は長兵衛の件ではお咎めなし、のち切腹を命じられた。

徳川のために血を流した彼ら。幕府はみてみぬふり。新しい体制に必要な人材は取り入れられ、こうした武勇頼みの旗本奴ますます遠ざけられ、憤懣やるかたなし。

幕府が無視しているあばれ旗本の犠牲になるのは江戸の町民。旗本奴から町民を守ってきた長兵衛。旗本奴たちは長兵衛に恨みを持つようになっていった。

序幕 村山座の場面はその具体例。
村山座舞台で上演されているのは、元禄期以前の江戸歌舞伎。いまや貴重な場面。
村山座一座、

慢容上人 = 片岡松之助(4代目)

坂田公平 = 片岡市蔵(6代目)

伊予守頼義 = 市川齊入(2代目)

渡辺綱九郎 = 市村家橘(17代目)

御台 柏の前・玉朗/小姓・芝喜松/ など


慢容上人の片岡松之助、小狡い、憎らしげな顔をしてのお芝居が面白かった。公平の市蔵がまたいい!斎入の品のよさ。斎入さんとはこの間道ですれ違いましたがやはりお品のよい紳士でした♡