大河ドラマ『麒麟がくる』の戦国男子5の2:松永久秀と幻の名刀不動國行 | シネマの万華鏡

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「裏信長大河」にふさわしい戦国の梟雄・松永久秀

今映画に行けないため、2回連続大河の話になってしまってスミマセン。

今回の大河が始まるまで大河ブログを書こうなんてこれっぽっちも考えてなかったんですが、第一回からのまさかの松永久秀&三渕藤英登場!!この素敵に裏信長ものチックなメンツの揃え方に勝手に盛り上がってしまって、気がついたら毎週大河ブログがとまらなくなってました。

実は大好きなんです、松永弾正久秀。謀略家、戦国の梟雄、黒い噂も多々ありますが、この人にはヒールならではの魅力がありますよね。 

 

吉田鋼太郎版久秀、私のイメージする松永久秀よりもすこーしライトかな。吉田久秀が上目遣いになると「はるたんドキドキというセリフがリフレインする『おっさんずラブ』後遺症に悩まされるのも玉に瑕(←これは私の問題です、はい) ついでに三好長慶リスペクトな面が前に出過ぎてちょっとスケールダウンした感も・・・でも、歴史は過去の出来事でありながら研究の進展によって刻々と動いていくので、「悪党みたいに言われてるけど意外といいヤツ」というのが今どきの松永久秀像なのかもしれないですね。

まあ、どちらにしろ松永久秀が光秀視点の裏信長ものにこの上なくハマる人物であることに変わりありません。

松永久秀のことは、ドラマが永禄の変前後まで進んでから記事にするつもりでしたが、序盤からやたらと出番が多いので待ちきれなくなってしまいました。今回は明智光秀と松永久秀を結ぶ或る刀のお話です。

 

数寄者でスキモノな趣味人の顔

松永久秀は三好長慶に可愛がられ、長慶の家臣として出世した人。生まれは1508年という説もあり、だとしたら三好長慶の死後彼が仕えることになる織田信長よりも二回り以上も年上、信長の父親の世代の人です。久秀の前半生は明智光秀以上に謎に包まれていて、四国か畿内の出身らしいということ、弟の長頼とともに三好長慶に仕えたこと以外、あまり多くは分かっていません。

ただ、長慶の祐筆という事務方から頭角を現し、三好家中でも屈指の実力者にのし上がった人だけあって、ただならない才覚の持ち主だったことはたしか。同時に多趣味多才の人でもあったようです。

 

トリビア的なところでは、医師の曲直瀬道三から性技指南書『黄素妙論』を伝授され、そちらの道も究めていたとか。前回の『麒麟がくる』で久秀と光秀が鉄砲鍛冶の伊平次を訪ねて遊郭へ行くシーンがあり、久秀が店の顔なじみ風だったのはそういう含みもあったのかもしれません。

その一方で、武野紹鴎に手ほどきをうけた茶人でもあり、自ら築城した多聞山城で洒落た茶会を催していたことが今に残る茶会記に記されています。財力に物を言わせて茶の湯の名物も多数買い集めていたようですね。

 

信長を喜ばせた久秀の贈り物

永禄の変後三好三人衆と決裂し、早くから信長上洛の協力者になっていた松永久秀と息子久通は、織田政権の畿内での水先案内人の1人として重要な役目を果たし、信長に重用されます。

しかし一方で、二度も信長に背いているんですよね。

二度背けるということは一度は赦されたということ・・・それ自体、裏切者は苛烈に処断した信長には異例のことで、信長は久秀父子の油断のならない一面も含めて、ひとかどの連中と認めていたのかもしれません。逆に、松永父子は信長の処遇に強い不満を抱えていながら、結局武力では信長に太刀打ちできず、最終的に信長に許しを乞うています。

こういう場面で詫びを入れる際に久秀が使ったのが彼の名品コレクション。その一つとして天正二年(1574年)に信長に差し出されたのが天下の名刀として名高い不動國行でした。

鎌倉時代の名工来國行の作、不動明王の彫刻が施されていたことからこの銘が名付けられたと言われています。

 

この名刀を成り上がりの久秀が一体どこで手に入れたのか? 広く伝えられるところでは、永禄の変のどさくさに紛れて分捕ったものとされています。つまり、彼の前の所有者は久秀が弑逆したとされる向井理将軍足利義輝!!

江戸時代に書かれた軍記物『足利季世記』には、永禄の変当日、御所に襲い掛かった三好三人衆と松永久秀の軍勢を迎え撃った将軍義輝が、多数の刀を床に刺し、次々に剣を取り替えながら戦う様子が綴られています。これを読むと、あたかも義輝が床に刺していた剣の1振りが不動國行だったようにも思えるのですが、これはあくまでも物語、永禄の変当日、松永久秀はその場にはいなかったという説もあって、おそらく今回の大河ではそちらの説をとるのでしょう。

 

ただ、だとすると『麒麟~』では不動國行は一体どんな経緯で久秀の手に渡るのか・・・これは今回楽しみにしているポイントの1つです。

え?そもそも不動國行なんて出てこないんじゃないかって?

そ、そうかもしれませんね、たしかに(汗)・・・う~ん、私としてはぜひ出してほしいところなんですが。というのは、この名刀は短い期間ながら明智光秀も所有していたものなんです。将軍義輝と光秀、また久秀と光秀の間に『麒麟~』が描くような交流があったとしたら、不動國行が光秀の手に渡った経緯が俄然深い意味を帯びてくる気がして。

 

信長の死後、光秀の手に

松永久秀は天正五年(1577年)、信長の石山本願寺攻めに加わっていた最中に突如戦線を離脱して大和に帰り、信貴山城に立てこもります。これが2度目にして最後の信長への反逆。

信長は烈火のごとく怒るかと思いきや、久秀が所有する名茶器・平蜘蛛の茶釜を差し出せば赦すと伝えます。

「ふん、年寄りのつむじ曲がりが出おったか」

と苦笑いする信長の顔が浮かぶようです。ところが、今度ばかりは信長の言葉に応じようとしない久秀。結局京へ人質に送っていた2人の孫を殺された上に、信貴山城を攻め落とされ、自刃します。

この時久秀は死にぎわが見苦しくないよう灸をすえた後自刃、同時に爆薬を仕掛け、自らの遺骸と平蜘蛛の茶釜を爆発で吹き飛ばし、信長には渡さなかった・・・という凄まじいながらもどこか清々しさが吹き抜けるような逸話が伝わっています。

この話、私は大好きで、武者絵の達人・月岡芳年もそんな久秀の死にざまの美学に共鳴して下のような久秀像を描いたのではないかと思うのですが、この話は現在では後世の創作と切り捨てられているようです。

平蜘蛛の茶釜はどうなったのか、その行方は杳として知れず。

 

(月岡芳年が描いたのは、まさに自刃しようとする松永久秀)

 

この、久秀の最期となった信貴山城攻めには、信長の命で明智光秀も加わっていたことが『信長公記』に記されています。史実の光秀と久秀はともかく、『麒麟がくる』の光秀と久秀の関係ならば、久秀を攻める光秀の心境は・・・彼は信長に背いた久秀の思いにも共感していたでしょうし、さんざん信長にへつらったものの最後は自分の生き方を貫いた久秀の死を目撃したことは、5年後の本能寺の変に向かうひとつの道標にもなったのではないでしょうか。

 

本能寺で信長を弑逆した後、光秀が安土城に向かい、不動國行はじめ信長の財宝を坂本城に持ち帰ったのは、ごくあたりまえに眺めれば戦時に誰もが行う略奪にしか見えませんが、彼が義輝や久秀と親交があったとしたら、この行動の意味も全く違ったものに見えてきます。

光秀は、久秀が信長に奪われた誇りを取り戻した。義輝に対しても、平和な世を築けなかった彼の遺志を継ぐ存在になりたい、という思いがあった・・・この大河の人間関係を前提にすれば、そういう解釈もできる気がします。

 

信長の悲報を聞いて毛利攻めから鮮やかなスピードで取って返した秀吉に光秀は山崎で敗れ、居城の坂本城に戻ることはありませんでした。

やがて坂本城には勢いに乗った秀吉の軍勢が押し寄せて落城。ただ、落城の寸前に、坂本城を守っていた明智秀満(今回の大河では光秀のいとこ、間宮祥太朗演)が安土城から光秀が持ち込んだ財宝を秀吉方(堀秀政)に渡したため、不動國行は戦火をまぬがれ、秀吉の手に渡るのです。

 

光秀の思いを代弁したものであろう秀満のこの行為自体、光秀が目指していたものを伝えているようにも思えます。光秀は信長の富や権力をかすめ取ろうとしたわけではなく、もっと広い視野で物事を眺められる人間だった。彼には彼の理想があったのではないか?とも見えてくるんですよね。

だから光秀は、自分が行動を起こせば誰もが決起に賛同してくれると信じていたのかも・・・ただ、光秀があてにしていた人々の大多数は光秀の誘いには乗らなかった。それが現実でした。

戦国武将たちは、光秀よりももっともっと現実的な力関係の中で、上下左右に忖度しながら、日々をしのいでいた。近視眼的にひたすら現実の中の力のバランスだけを見極めようとする姿勢は、昔も今も権力者の周辺の人々の常なのかもしれません。

 

不動國行で信長の遺志を継ぐ者であることを誇示した秀吉

さて、秀吉の手にわたった不動國行は、その後も歴史の表舞台で活躍します。

私は秀吉という人は天性の演出家だと思っているんですが、さすがは秀吉、この名刀のオーラも、余すところなく活用しています。

天正十年(1582年)秋、秀吉が信長の遺児たちを差し置いて京都大徳寺で華々しく催した信長の葬儀の日のこと。『天正記』によれば、この日、秀吉は自らが武力で信長の仇をとったことを誇示するかのように信長の遺品・不動國行を捧げ持ち、葬送の列の中心にいたと言います。

 

その後、小牧長久手の戦いが織田信雄-徳川家康方の優勢のうちに休戦となった後、秀吉は家康との講和を取り結ぶため、不動國行を家康に贈ったとか。こうして不動國行は戦国三英傑の間を受け継がれていきます。

足利義輝・松永久秀・織田信長・明智光秀と、4人の所有者が立て続けに非業の死を遂げた不吉な刀のようですが、秀吉以降は憑き物が落ちたようにジンクスが鎮まった・・・多くの人が戦いに斃れた末に、ついに麒麟が現れる世の中が到来したということでしょうか。

 

 

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やっと松永久秀のことを書けてスッキリ!! これで気が済みました。読んでくださった方もあきれておられる方も、いらしていただけてありがとうございます。

これからは大河記事は当分番組レビューに専念しますヒヨコ