『天気の子』 天気を変える覚悟はあるか?(2回目観賞後大幅加筆) | シネマの万華鏡

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新海誠新作祭り絶賛開催中!な日本列島

『天気の子』いよいよ公開されましたね。

テレビをつければ映画のCM+コラボCMが流れる流れる! 一体一日何回くらい流してるんでしょうか? CM量だけ見たら選挙レベルの国民行事状態になってます。

どちらかというと天邪鬼でこういう推し推しの状況は苦手な私ですが、今回は早くも二度観てきました。

 

何故今回この作品に関心を持ったかというと、実は最初、主人公とヒロインの名前森嶋帆高・天野陽菜や、ヒロインに弟がいるという本作の設定を見て、直感的に日本神話がモチーフの話?と思ったんです。

苗字はアマノ、「100%の晴れ女」で弟がいるヒロインはアマテラスを思わせる(弟はスサノヲ)し、主人公の苗字は森と島の国・日本を連想させませんか? ほかにも、登場人物の1人の名前「須賀」は、スサノヲを祀る須賀神社につながるし。『もののけ姫』好きで神話や伝承を絡めた話にめっぽう弱い私としては、これは見逃せないなと。

でも、その予想は残念ながら全くの的外れでしたね。待ちきれず初日に観に行って「ありゃ・・・」となったものの、友人と一緒に観る約束もしてたので、2回行くことになったというわけなんです。

物凄く面白かったから2回観たわけじゃないですが、下に書くようにいろんな観方が用意されてる作品なので2度観ても退屈はしませんでした。

ただ、以下の感想は結構辛口になっていると思います。ごめんなさい。

 

ZELDA的あらすじ(ネタバレ)

家出して東京にやってきた高校1年生の森嶋帆高(声:醍醐虎太朗)。さっそく新宿の繁華街で仕事を探し始めるが、家出少年を雇うところはなく、結局唯一の知り合いであるオカルト雑誌のライター・須賀(声:小栗旬)を頼ることに。

天候不順で雨が降り続く中、須賀の事務所の雑用を手伝って過ごしていたある日、帆高は、露頭に迷っていた時にハンバーガーをくれた少女陽菜(声:森七菜)と再会する。両親を亡くした陽菜は小学生の弟・凪と2人暮らしで、金に困り、風俗店で働き始めるところだったが、帆高は強引に陽菜を思いとどまらせる。

しかし、金をどう工面するかが問題。陽菜に天気を晴れにするという不思議な能力があることを知った帆高は、陽菜と天気を晴れにする商売を始め、評判を呼んで次々に注文が来る。

ところが、後になってその能力には大きな代償があることを知り――

 

若さゆえの暴走、自己矛盾

最近の気象の変化からヒントを得たという本作。降り続く雨が物語の顛末に大きく絡んでくるあたり、まさに異様に雨が多いこの夏のために誂えたかのような作品です。

今年の天候までは製作開始時にはさすがに予想できないはずなのに・・・さすが新海誠、ただならない引きの強さですね。

 

でも、たとえ彗星が地球に激突しようとも、異常気象が続こうとも、恋する想いこそが世界の中心にある!!という恋愛絶対主義に帰結するのが新海作品。これはもはや新海作品のゆるぎない特色と言っていいと思います。

わけても今作は、世界を敵に回しても守り抜きたい愛の物語。若さゆえに突き抜けていく主人公の一途な想いは、どこか危うさに溢れている一方で、危ういだけに疾走感も凄い。そして、予告にも登場するが少年の危うさを一層際立たせています。

 

劇中、帆高がネットカフェでインスタントラーメンを作るシーンで、カップのふたの重石がわりに使っているペーパーバック(多分、そこにたまたまあったもの?)のタイトルが"The Catcher in the Rye”、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』なこと、気づかれたでしょうか?

『ライ麦畑~』は、学校を退学になり家出した少年の物語。汚い大人の世界を嫌い、無垢でありたいと思いつつも、彼自身もまた大人の汚さと子供の無垢さの間で揺れる矛盾に満ちた存在・・・そんな主人公の彷徨を描いた作品です。

主人公の境遇といい、どこかこの作品と重なってる。つまり、この本はさりげなく本作のテーマを仄めかしていると見ていいんじゃないでしょうか。

本作の中で主人公が繰り広げる大人たちへのレジスタンスは、ヒロイン・陽菜へのひたむきな想いと重なる形で描かれています。まさに、愛のための抵抗なんですよね。

 

実は銃によって人工的に作り出された「危うさ」

ただ、銃というものものしい小道具が危うさを際立たせているものの、それが帆高の内面の危うさそのものなのかというと・・・冷静に考えてみると疑問符しか付きません。

帆高は基本的に素直で協調性があるタイプ。大人とも上手くやるし、自分より年下の凪を「(恋愛経験の)先輩」と呼んでるあたりも柔軟。無理やり連れ戻された島での卒業式にしても、彼は全く違和感なく学校に溶け込んでいた・・・そもそも家出するようなタイプには全く見えないんです。

といって、何かやりたいことがあって家を出た風でもない。家で虐待されていたような気配もない。

帆高の最初の「反抗」である家出自体がリアリティーが薄いんですよね。

 

陽菜に天気の巫女を勧めたのも、それがどういう代償を伴うのか全く知らずに、ただ陽菜のために稼げる仕事を見つけてやっただけ。世界を動かそうとか神に挑戦しようという考えは全くなかったわけです。軽い気持ちだった。

大人たちとのただならない軋轢は、家出という帆高らしくない行動と銃を拾った偶然によって作り出されたもので、彼の内側から突き上げてくる社会への怒りは全く感じません。

これ、この作品の物凄く弱い部分だと思うんです。

陽菜の貧困を生み出した世の中への怒りとか、そういう内側からの強い大人社会への反発があって、それに突き動かされての暴走なら、もっとズキズキしたんじゃないかと。きっと、前のめりになって帆高を応援したくなったと思うんです。

 

一方の大人たちも、帆高の行く手を阻む障壁として立ちはだかるはずなのに、妙に物分かりが良い大人ばかりで拍子抜け。国家権力の象徴であるはずの刑事たちだって、最初から人間らしさのほうが強調されてる。逆に、彼らみたいな人情味のある刑事が、何故土壇場では帆高に理解を示さないのか不思議なくらい。

さらに、帆高たちがやってしまった「世界の形を変える」という取り返しのつかないことに対しても、「なに、もともとそうだったんだから」と最初から許す態度しか描かれていません。

本当は、あんなに雨が続いて住んでた家が水没したら、どうしようもないことだと分かっていても怒り狂う人、実際に人生自体が狂った人もいるはずですけどね。

神様もあっさり陽菜を解放してくれたし・・・

 

帆高の内面から湧き上がる怒りも弱ければ、周囲との葛藤も形だけ。走って、銃振り回して終わりです。

帆高は一体何故家に帰りたくないのか? 陽菜はあと1年辛抱すれば普通に働けて弟と暮らせるのに、何故1年だけ我慢できないのか?

帆高と陽菜の個対個の関係だけがフォーカスされていて、2人のバックグラウンドは完全に捨象されてるのがこの作品の特徴で、なんらかのポリシーがあってそうなっているんでしょうが、彼らの裡にある怒りに光を当てるにはそれを生み出したバックグラウンドがすごく大事なのでは?

少なくとも私はもう少し心理的掘り下げがないと彼らの気持ちに入りこめません。

 

天気を変えることの命がけの重さが響かない

 

もうひとつ、私にとって致命的に思えたのは、「天気の巫女は人柱」という事実の重さが響いてこないこと。

雨乞いのため、あるいは雨を上がらせるために天に祈り、そのために人の命すら捧げるという行為は、かつて実際に行われていたことです。

天気は農作物の豊凶を左右する。つまり多くの人の生死にかかわる問題で、それはそのまま国の存亡にもかかわること・・・だから、命がけの祈りだったんですよね。祈りを捧げる人物も、天気を動かすことに成功しなければ命が危なかったのかもしれません。

勿論、神に命を捧げるのは身分の低い者で、「人柱」は身分社会の人命軽視と表裏一体の行為でもあった。或る意味で、「人柱」は人間社会の闇の歴史なんです。

そういう「人柱」の暗く重い意味を思うと、本作の中で陽菜がやっていた、花火大会やフリマの集客のためにちょっと晴れ間を作るという行為と、それとひきかえに「人柱」として命を取られるという代償とは、はっきり言って全然釣り合ってない気がしてなりません。

え?そんなことのために命を取られるの?と。それ知ってたら最初からやらなかったはずなのに、最初にルールを示してくれなかった神こそが一番罪が重いんじゃないかとさえ思ってしまいます。

 

天候不順をもとに戻すために大人たちが陽菜を人柱にしようとして、それに帆高が敢然と立ち向かって陽菜を守るというストーリーなら、集団のために個人を犠牲にするという発想への反逆がストレートに伝わるし、今、そういう方向性に向かおうとしている時代の流れの中で強いメッセージにもなったと思うんですが。

 

現実の社会ではいまや異常気象は政治の問題にも直結しているということが、この作品では意識されていないように見えることも気になります。

本作の中で大人たちが言うように、「天気が異常かどうかは気象観測が始まって以降の記録の範囲での話で、大昔どうだったのかは誰も知らないこと」、「東京の下町は江戸時代までは海だったわけで、天気が変わった、それによって地形が変わった、なんてことは騒ぐほどのことじゃない」という意見も、たしかにもっともです。

ただ、一方でそれは、公害が地球温暖化を進め、それが異常気象をもたらしているという研究を否定する意見でもあります。

アメリカ映画『魂のゆくえ』では、温暖化の元凶とされている巨大企業が、温暖化対策で企業活動を制限されないように政治家を動かしているという状況が描かれていました。実際トランプ大統領は地球温暖化を認めず、温暖化対策に協力しない構えです。

ピュアで一途な少年の大人社会への反抗を描いたはずの『天気の子』が、温暖化否定方向というのがなんとも・・・

天気って物凄く大きな問題だし、物凄くデリケートなテーマなんですよね。この作品にはそういう問題を扱っているという覚悟が全く感じられませんでした。

アニメはいまや世界に発信される日本文化、その影響力は測り知れないのに。

 

水の表現が凄い

 

もっとも、映像は素晴らしく美しい。『君の名は。』から引き続きのRADWIMPSの曲もいい。

音楽に関しては、ここぞというポイントに逐一曲を盛り込みすぎなのと、歌詞が映画の内容を説明しすぎていて、個人的にちょっとノイズに感じたんですけど、『愛にできることはまだあるかい』も『グランドエスケープ』も、歌詞・曲ともに神がかっていて、感情を搦めとる圧倒的なパワーを持った曲です。

そんなRADWIMPSの新曲が5曲も入ってるので曲を聴くだけでも飽きないし、劇中に紛れ込んだ『君の名は。』の登場人物を探すも良し、特別出演しているソフトバンクCMの白戸家のお父さんを探すも良し、舞台になっている新宿の聖地を見つけるもよし、もちろん絵も綺麗・・・いろんな形で何度目でも楽しめる要素が盛り込まれています。

多分何度観ても飽きないんじゃないでしょうか。

 

映像で今回特に驚いたのは、雨や雲の表現の細やかさと写実性。

雨の粒が空中から落ちてくる瞬間を捉えた映像や、水たまりに雨粒が落ちてウォータークラウンが浮かび上がる瞬間など、もはやアートと呼べる域です。水って美しい。

上空から眺めた雲の形状も美しかったですね。

ポスタービジュアルにもあった積乱雲の猛々しい威容、雲の中をスカイダイビングさながらに両手をつないで飛ぶ帆高と陽菜・・・あのシーンは2人の強い絆をビジュアルに感じました。

 

笑えるポイントもたくさんある中で、私の笑いどころは、可愛い子猫だった雨が、ひさしぶりに再会したら貫禄たっぷりのLLサイズになってたところ。映画館でも笑いが起きてました。

この映画の中で一番「あるある」な絵だったかも。

 

 

 

備考:上映館359館