クリント・イーストウッド監督『15時17分、パリ行き』 三ばか大将、ヒーローになる! | シネマの万華鏡

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パリ行き列車内銃乱射事件、当事者が演じる再現ドキュメンタリー

クリント・イーストウッドの映画は公開されれば必ず話題になるので、何となく観ることになります(笑) スタバで新しい味のフラペチーノが出ると、試してみなきゃいけない気になるのと似た感覚。

 

このところ実在の人物を扱った作品が続きますね。

『J.エドガー』・『アメリカン・スナイパー』あたりの毀誉褒貶の激しい人物を扱った作品では、かなりモヤモヤさせられました。

こういう作品、ただ記事にするにしても、自分のスタンスを問われる気がします。映画の面白さ云々だけじゃ終われない。

3年前に書いた『アメリカン・スナイパー』の記事、なんか日和ってて恥ずかしい滝汗 そのうち観直して記事も書き直したいと思いつつ、今日に至っています(汗)

 

もっとも、ここ2作はシンプルに「多くの人命を救ったアメリカの英雄譚」。

今回は、2015年8月21日にアムステルダム発の高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件で、犯人を取り押さえ被害を最小限に防いだアメリカ人青年3人(スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス)を題材にしています。

休暇を利用してヨーロッパ旅行を楽しんでいた3人は小学校からの幼馴染み。たまたま事件が起きた15時17分発パリ行きに乘っていました。

 

本作の目玉は、なんとこの3人を本人が演じ、ほかにも実際にテロの際列車に乗り合わせていた人を出演させるという、斬新な試み。

ん~それって必要なの?と思ったのは私だけではないと思うんですが、この作品では本人が演じているからこそできる趣向が取り入れられていて、なるほど!と。

 

イーストウッドの伝記映画の中では素直に楽しめる作品じゃないかと・・・戦争や国家権力が絡まないのがいい。

スペンサーとアレクは軍人ですが、事件当時彼らは休暇中で、犯人を取り押さえたのは彼らが人間としての善意で行ったこと。テロが多発する世界で、人間捨てたもんじゃないという希望をもたらしてくれたニュースの映画化ですから。

 

事件当日に向かって人生を辿っていく面白さ

現実の事件を題材にしている点は、デトロイト暴動のアルジェ・モーテル事件を中心に描いた『デトロイト』(1月公開)と同じ。

ただ、当日の顛末に多くの時間を割き、登場人物たちの背景については殆ど描かなかった『デトロイト』と違って、この映画では事件当日に至るまでの3人の半生にスポットを当てています。

 

何故、彼らは「その日」を迎えることになったのか?の一点に向かって3人の人生を追っていく中で、本人たちが全く意識していなかった「その日を迎える運命」への分岐がいくつも見えて来る。

こういう眺め方をすると、人生ってあみだくじみたいですね。

 

事件当日を迎えるまでの旅行中の様子もたっぷり。

自撮り棒で「インスタ映え」する写真を撮ったり、女の子に声をかけたり・・・テロ事件への道のりを描くならそんな描写要らないわけですが、彼らの人柄にはどことなく魅力があって、観ていて飽きません。

黒人のアンソニーなんて、俳優としても通用しそう・・・映像の中でも魅力が伝わる彼らだからこそ、「本人でいこう」というジャッジになったのかもしれないですね。

 

(一般人にしてはスクリーン映えするアンソニー・サドラー)

 

落ちこぼれ3人組の確変

一体、このテロ事件を語るのに、3人の少年時代にまでさかのぼる必要があったのか?

そこは意見が分かれるところかもしれません。
ただ、個人的には、この作品を観て、3人の友情も彼らをあの日あの行動に導いた大きなファクターなのでは?という気がしていて、そういう意味では彼らの関係を深追いしたのは視点としては間違っていないのでは・・・と思うんです。

学校では3人とも見事に問題児。
スペンサーとアレクは教師に多動性障害と見做され、アンソニーに至っては完全に教師に見放された存在。
教師いわく、「彼らを放っておけば、いつか周囲にケガ人が出る」。
学校の評価では、3人はテロから人命を救う側ではなく、むしろテロリストの側になりかねないタイプの子供と見做されていたんじゃないでしょうか。

成長したスペンサーは、戦争ごっこ好きが高じて米軍に入隊したものの、視力障害や指示通りに動くのが苦手なことが災いして、希望の部署にはつけず。
アレクにしても、州兵として派兵されたアフガニスタンで失態をおかすなど、似たりよったり。
彼らの人生にはドロップアウトへの分岐点ならいくらでもあったように見えます。
というより、スペンサーに関して言えば、半分はドロップアウトしかけていたかも・・・

でも、彼は不思議と腐らなかったし、もし彼が一見危なっかしい銃マニアや戦争好きでなければ、もし指示されたことをこなすのが上手いだけの優等生だったら、テロリストに立ち向かえなかったかもしれない。
人生の意外な逆転劇。
この作品はこの事件のそういう痛快な一面も描いています。
これが全くの天然の素材というのが凄い。まさに「事実は小説より奇なり」ですね。
 

英雄譚として描く必要はあったのか?

ラストは、フランスから贈られた勲章の授与式と、地元サクラメントが帰国した彼らを熱烈に迎えたパレードの模様。彼らを乗せたトレーラーには、「サクラメントの英雄」という文字が。

ここで終わる構成自体、彼らの「英雄になった青年たち」・「アメリカの誇り」という一面が強調されているように見えます。

そう言えば、『アメリカン・スナイパー』も、盛大な軍葬のシーンで終わる構成になっていましたね。あの作品も、主人公クリス・カイルの「国の英雄」という印象が強く残りました。

 

今作の3人がフランス・アメリカから名誉ある勲章を与えられたのは当然のことだと思うんですが、映画で勲章授与をどう位置づけるかはまた別の話。

彼らは自然体の善意で行動したのに、「落ちこぼれだった3人がいいことをして勲章をもらい、故郷に錦を飾りました、めでたしめでたし」なサクセス・ストーリーに見えてしまうのが、個人的には映画としてつまらなく感じてしまった・・・そういう切り口は報道番組で十分なんじゃないかと。

そんなわけで、いつも何かとモヤッとするイーストウッド作品、今回もご多聞に漏れずモヤモヤで終わってしまったのでした滝汗チャンチャン