『デヴィッド・リンチ アート・ライフ』 デヴィッド・リンチは甘くない(笑) | シネマの万華鏡

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リンチのアイデアの源泉である「過去」はどこまで明かされるのか

キックスターターというアメリカ企業が主催するクラウド・ファンディングで資金調達し、製作された作品。

監督の1人ジョン・グエンは、2007年にリンチの『インランド・エンパイア』のメイキングを追ったドキュメンタリー映画『リンチ』(日本未公開)も製作しているようです。リンチ自身はあくまでもキャストであって製作には一切関わっていないようですね。

本作では、デヴィッド・リンチが長編デビュー作『イレイザーヘッド』製作までの彼の半生を語ります。

 

オープニングは、『イレイザーへッド』冒頭を思わせる列車の走行音から。

この入り方でリンチ・ファンは瞬時に心を掴まれるんじゃないでしょうか。

そしてアトリエで作業するリンチの姿から、彼のモノローグへ。

「或る種のアイデアを追求しようとする時、そのアイデアを彩るのは過去だ」

予告にもあるこのリンチの言葉に、一層期待感を煽られます。

みんな大好きなデヴィッド・リンチのミステリアスな作品。そして、きっとみんなが知りたい、彼のインスピレーションの源泉。

もしやこの作品はその答えをほんの一部でも明かしてくれるのでは・・・とつい前のめりにさせるものがあるんです。

 

しかし結論から言うと、答えは「ノー」。

またしてもデヴィッド・リンチにしてやられた!という苦笑いしかありません。

怒りではなく苦笑いになるのは、彼の魅力、あるいは彼の人をけむに巻くトリッキーな論法自体に憎めないものを感じるからでしょうか。

 

インタビューは一切なし

このドキュメンタリーの基本スタイルは、リンチ自身のモノローグで語られる彼の少年時代・青年時代のエピソードに合わせて、当時の彼の心理にリンクしていると思われるリンチのアートをピックアップし、ドラマティックなカメラワークで映し出していく、というもの。

その他、家族や友人の写真、当時家族が写したホームビデオ(仲睦まじい両親と可愛い子供たち、理想的なアメリカン・ファミリー!)も使用されています。

また、エピソードのあいまに、孫(と思ったら娘でしたか!だいぶ経ってからの補足)を傍らで遊ばせながらアトリエで作品製作に没頭する現在のリンチの映像も。

アーティストであると同時にいいパパンでもあるリンチの一面が窺えます。

 

回想シーンの映像は記憶のフラッシュバック的な印象を与える、短いカットのパッチワーク。それがとてもオシャレで、デヴィッド・リンチのドキュメンタリーにふさわしい洗練された雰囲気です。

リンチのアートにしても、抽象的で理解しにくい種類の作品に彼の若き日のエピソードを添えるだけで、作品に血が通い始める・・・そういう効果はたしかにあって、映画以外は知らなかったリンチの世界に少し親近感が湧いたという意味で、観る価値があったと思います。

 

じゃあ一体何の文句が?という話ですが。

う~ん、デヴィッド・リンチの映画作品のルーツを彼の少年期・幼年期の体験に求めるドキュメンタリーを期待していた私にとっては、全く期待したものが得られなかったんですよね。

製作者側がデヴィッド・リンチに遠慮のカタマリになってしまっていて、全く斬り込めていない感じ。

なんせ関係者インタビューは皆無な上、リンチに対しても彼の一方的なモノローグのみで、インタビューなし。

全面的にリンチ主導の印象です。

 

デヴィッド・リンチの「3つの人生」とは?

しかも、さすがデヴィッド・リンチ、ガードが固い。

構えているそぶりは見せないのに、隙のない語り口です。

極め付けは、「今も昔も自分には3つの人生がある」という発言。

すなわち、

1つは友達と遊び回る人生

2つ目は基本となる人生(なんとなくですが、善良な市民としての地に足が付いた生活)

3つ目はアトリエの中の人生

だと。

そして、それぞれの人生での付き合いは他へ持ち込まないのだと。

これ、なかなかすごい論法じゃないでしょうか。下で説明するように、この理論を使えば彼はさまざまな人生の矛盾を何も説明する必要がなくなるんです。

 

 

例えば『イレイザーヘッド』のネタになった当時の彼の結婚生活について、「結婚して家族を持つことは素晴らしい」と彼はポジティブな面しか語りません。

でも、『イレイザーヘッド』が描いているのは、結婚のネガティブな側面。主人公ヘンリーの消しゴムヘアは、彼が当時のデヴィッド・リンチの分身であることを仄めかしている・・・

素晴らしい結婚生活が何故、セックスもしてないのに子供が生まれ、しかも新生児を置いて妻が去り、赤ん坊の夜泣きに悩まされる日々の映画を生み出すのか・・・この明らかなギャップに、観ている側は戸惑わざるをえません。

 

ところが、リンチ言うところの「3つの人生」理論を持ち込めば、そこに矛盾はないことに。

というのは、「結婚はすばらしい」とは、彼の「基本となる人生」での感覚であり、『イレイザーヘッド』を作った「アトリエの中の人生」では、結婚のネガティブな側面がアートを生んだ・・・それぞれ別の世界での感覚であって、ズレがあるのは当然なんです。

 

生まれ育った環境にしても、仲睦まじく教育熱心な素晴らしい両親の下で、幸せなに育ったというリンチ。

健全で明るい環境というインプットからあのダークなアウトプットを生み出すデヴィッド・リンチ本体の屈折ぶりに関しては、依然ブラックボックスのまま。

 

よく考えてみれば、リンチがもし自分をさらけ出すことがあるとしたら、それは自分自身でプロデュースしたフィルムでしかありえない気もします。

そもそも期待したこと自体が間違っているのかも・・・

 

 

ただ、本作で最大の収穫だったのも、やはり「3つの世界」という思考回路ですね。

自分の人生をいくつかの世界に区切って考えるという発想は、デヴィッド・リンチに固有のものではないのかもしれませんが、彼のように「それぞれの世界での付き合いを他の世界には持ち込まない」というところまで徹底している人はそう多くはないのでは?

 

そういう、心にいくつかのセパレートな世界を持っている感覚が、『ツイン・ピークス』の赤い部屋や、『ロスト・ハイウェイ』・『マルホランド・ドライブ』のような別人の人生を生きるアイデアにつながっているのかもしれません。

 

それにしてもこの理屈、いろいろ使える気がしませんか?

例えば女優と浮気して奥さんに詰め寄られたとしても、

「あれはアトリエ(スタジオ)の中の僕がしたことだから。基本の人生=家庭には関係ないよ。」

と言えば許されるんでしょうか(笑)

 

・・・というわけで、デヴィッド・リンチも彼の映画も、依然ミステリアスなまま。

この勝負、デヴィッド・リンチの独り勝ちという感じです。