◆ついに「マニア限定」というエログロ作品の殻が破られた?◆
現在公開中の韓国映画、パク・チャヌク監督。
舞台は1939年、日本統治時代の朝鮮半島。
貧しい少女スッキ(キム・テリ)が、日本人の華族上月氏(チョ・ジヌン)の屋敷に、令嬢秀子(キム・ミニ)の下女として奉公することになります。
上月は秀子の叔母の夫で、両親も叔母も他界し天涯孤独の秀子の親代わりを務めていますが、それは表面上のこと。
実は秀子が両親から受け継いだ莫大な財産を狙って、秀子との結婚を目論んでいます。
外出さえ許されない秀子にとって、古書(艶本)の蒐集・販売も手掛ける上月が定期的に開く朗読会で朗読をすることが、唯一外界の人間と接する機会。
しかし、彼女は何故か、朗読会を「とても疲れる」と言い、嫌っています。
その朗読会に現れる愛好家の1人・藤原伯爵(ハ・ジョンウ)も秀子の財産を狙う一人。
実は伯爵とは真っ赤な嘘で、プロの詐欺師。なんと、下女のスッキも彼の手先です。
秀子を手練手管で陥落させようとする「藤原伯爵」、詐欺の片棒を担ぐつもりで心ならずも秀子に惹かれていくスッキ、上月の謎の朗読会―――
騙し騙される登場人物たち。観客もまた、予想を裏切り続ける巧みな展開に翻弄される145分です。
さすがは韓国映画!振り切ってますねえ。
もう、ど~っぷり、エログロ。
エログロ作品って、芸術映画やサブカル系でごく狭い層をターゲットにした作品ならたくさんありますが、この作品は大胆不敵にも「エログロかつ大衆受けするエンタメ路線」。
18禁レベルにまでエロに深く踏み込んでいながら幅広いターゲットを狙うライトなテイストを死守、しかもそれが成功してるという・・・
まさに笑いと涙とエロとグロ!
あまりに濃厚な性描写に賛否両論!となるかと思いきや、世界で絶賛とか。
女性同性愛ものが男性にウケるのは今に始まったことではありませんが、この作品の場合、なんとアメリカの女性映画ジャーナリスト同盟の外国語映画賞を受賞するなど、女性にも支持されている辺り、あなどれません。
勿論、それには理由がある・・・いや、よく出来た映画です。
◆男にはエロスを、女にはカタルシスを、そして性的マイノリティーには純愛へのエールを◆
若く美しい秀子とスッキの大胆な濡れ場は、男性には当然垂涎もの。
しかし女性にはどうか・・・と思いきや、このストーリー、しっかり女性目線で描かれてるんですよね。
ストーリー展開そのものもそうだし、「女性は無理やりレイプされると(性的に)感じる」と言う上月の常識が、男の都合のいい勘違いであることを暴くシーンなんか、胸がすく!
男性には最高のエロスを、女性にはカタルシスを味わわせてくれる作り・・・しかもLGBT映画という点で性的マイノリティーもしっかり意識。
全方位的にぬかりないコンセプトに、脱帽せざるをえません。
◆お嬢さまと手袋、入浴と棒付き飴・・・◆
加えて、この作品、細部まで非常に凝っているんです。
分けても小物の絡め方が絶妙。
例えば、ご令嬢と言えば・・・なアイテム・手袋。
秀子のクローゼットには様々な色の手袋がズラリ・・・それが彼女の衣裳持ちぶりを見せつけるだけでなく、演出の上でもとても効いてるんです。
秀子が自分の首を絞めるシーン(何故そんなことを?そこは映画でご確認を)で彼女が嵌めているのは、黒い革の手袋。
その手は秀子の手でありながら、秀子の手ではなく、邪悪な何者かの手・・・独自の意思を持っているかのような「黒い手」が緊迫感を絶妙に盛り上げています。
そして、スッキが秀子の入浴を手伝いながら、棒付きの飴を秀子に与えるシーン。
この作品の中で「飴」あるいは「舐める」という行為には、とてもエロティックな含みが。
スッキが秀子に対して同性愛的感情を抱いていることもこの入浴シーンで明かされるし、その後も飴は性的なシーンで登場します。
キャンディをセクシーな演出に使う創作ものはよくあるけれど、入浴中、つまり全裸で飴を舐めるなんて、ちょっと直截的すぎない?とも思うんですが、女中奉公をする以前は子守りもしていたスッキの生い立ちを考えると、違和感なく受け容れられてしまいます。
う~ん、伏線の敷き方もパーフェクトですね。
◆桜の樹の下には・・・◆
上月家の庭園に日本から取り寄せた大きな桜の木を配したのも、心憎い演出。
日本人にとって桜は特別な花です。
夜、満開の桜の巨木が光を放って佇んでいる様には、美しさと同時に妖気さえ感じます。
その昔「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と梶井基次郎は書き、その根拠を「美しすぎるから」と説明した・・・でも、本当、根拠はそれだけで十分じゃないでしょうか。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
(梶井基次郎『桜の樹の下には』より抜粋)
本作は日本人が大好きな、このセオリーもお見通し。
この作品の中で、桜の木は首吊りの場所。そこにぶら下がるのは、美しい女の死体です。
そしてお嬢さま・秀子の帽子―――帽子もまた、手袋と同じくご令嬢にふさわしいアイテムですね―――の箱には、首吊りのロープが忍ばされています。
これだけでも、観たくなるでしょう? 本作の魅力、まだ続きますよ。
◆結界―――エログロの神域を守る蛇◆
さらに、「朗読会」が催される広間の不可思議な構造にも、触れずに終わるわけにはいきません。
どこか寺院の本堂に似ているのに、この部屋、本堂になぞらえれば拝殿の中央に入り口がある形なんですよねえ。
そして、入り口から少し廊下を進んだところに数段の階段があり、その階段を下りたところに、開放的な畳敷きの広間がある。
この作り、どこかで・・・ああ、劇場だ。畳敷きの広間が舞台なんだ・・・と気づくのは随分お話が進んでからのことです。
しかし、この部屋を語るにあたって一番忘れてはいけないのが、入り口を護る蛇(の像)。
部屋に足を踏み入れようとしたスッキは、「その蛇より先には足を踏み入れてはならない」と上月に止められます。
つまりこの部屋は、或る種の神域・結界なんですよ。
さて何故そこが神域なのか―――それも観てのお楽しみ。
まあ何しろ、ワクワクさせてくれる仕掛けはこれでもかというほど仕込まれています。
◆全てがフェイクにまみれた中、たった一つの真実とは?◆
東京オリンピック開催に向けて、今世界から注目を浴びている日本。
日本を舞台にした外国映画も続々・・・という中で、美しい着物や艶本など、外国人にとってエキゾチックな魅力に溢れた日本文化をたっぷり盛り込んでいるという点にも、本作の嗅覚の鋭さを感じます。
ただし、上月も藤原伯爵もニセモノの日本人、上月のコレクションの艶本もニセモノ、というところで上手く正統派日本映画との正面対決をかわしているし、怪し気な人間が跳梁跋扈する不気味なテイストも、不穏な時代背景と相俟って、独特の味わいを醸し出していますよね。
そして、全てがニセモノ・偽りである中、物語をたった一つの真実へと収束させていく手法がまた素晴らしい。
そう、あなたが真実だと信じたいことこそが真実・・・この期待を裏切らないところがまたね。。。
私の好きな、捻じれに捻じれたエログロ路線とは方向性が違う作品でしたが、ここまで振り切った攻めの姿勢はとにかく凄いなと。
韓国映画のアグレッシブなパワーに終始圧倒されっぱなしでした。
(お嬢様、それは手袋をする人種)
(画像はIMDb・公式twitterに掲載されているものです。)