「レッドタートル ある島の物語」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット作ジブリ映画 | シネマの万華鏡

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◆これまでのジブリ映画とは全く違うテイストが新鮮◆

 

現在公開中のジブリ映画。

作画・脚本ともオランダ出身(活動拠点はイギリス)のアニメ作家マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットの作品で、スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫プロデュースのもとに日仏合作で制作されたそうです。

予告編を観て映像の静寂な美しさに一目惚れ。

公開を楽しみにしていました。

 

物語の舞台になっているのは、どこか南の海に浮かぶ小さな無人島。

船が難破したのか、その浜辺に一人の男が打ち上げられます。

男はどうにか島を脱出しようと、自力で船を作り、海に漕ぎ出しますが、沖へ出たところで謎の生物に船を壊されてしまいます。

何度繰り返しても、同じことが起き、島を出ることが叶わない―――腹を立てた男は、船を壊しに現れるのが赤い大きなカメであることを突き止め、カメが島に上がってきたところを襲って、カメを殺そうとします。

しかし、いざ瀕死のカメを目の当たりにすると哀れになり、カメを助けるために介抱し始める男。

すると驚いたことにカメは美しい赤毛の女性の姿になって―――

 

カメの精と人間の男の間に芽生えた不思議な絆と、2人を包む自然を描いた物語。

これまでのジブリ映画とは全く違うテイストの絵柄が新鮮。

全編を通じてセリフなしという新しい試みに挑んだ作品でもあります。

 

◆命を見つめた物語◆

 

言葉を排除した映画を言葉で語るなんて、なんとも無粋に思えてしまいます。

でも、言葉以外に伝える手段がない・・・うまく言葉にできるでしょうか?

 

これ、無人島に流れ着いた男の話ではあるんですが、そこから想像するようなサバイバルものでは決してないんですよね。

一人の男の半生を描きながら、見終わってみると、個としての彼の人生を描こうとした物語でさえない・・・もっと普遍的で、もっと大きな、生まれては消えていく命と、悠久の自然の物語。

日本版ポスターの、

「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」

というコピーが、この作品の余韻にピタリとハマる・・・砂に水が沁み込むように、すんなりと心に響きました。

 

たった一人の男(とその家族)を描きながら、それを全ての人間の物語として見せる工夫は、この作品の中にいくつも仕込まれています。

例えば男には名前がなく、特定の国の言葉を話さないこと。

そして、人物を自然の風景の中に小さく描き、アップを極力使わないこと。

人間から「個」の匂いを消し、自然の一部・相対的な存在として見せていきます。

 

(主役は自然、あるいはそこに流れる悠久の時。人間はその一部にすぎないことを意識した描き方。)

 

一人の主人公の行動や心理を追う物語ではなく、悠久の自然の中で流れていく時間を追い、そこで人間が命を全うし、消えていくさまを、自然の音に耳をすましながら見つめる80分

それがなんとも心地よく、この世の無常さを突き付けられつつも、ささやかな命を生きることに意味を感じ、愛に救われる。

その救いの灯りが観終わった後にもずっと種火になって残っていくような・・・何かとても豊穣な体験をしたような気持ちになりました。

 

◆自然との共存◆

 

 

恐らく・・・ですが、カメが化身した女性は、自然界に存在する或る種の神ではないでしょうか。

赤い海ガメなんて、人間の知る限りこの世には存在しない・・・「赤い」ということ自体が、彼女が特別な存在であることを暗示しているように思えます。

そう考えると、彼女と男は男女のつがいであると同時に、人間と自然との共存関係の象徴でもあるのでしょう。

そしてまた彼女は、(場合によっては誰にも知られないまま)生まれては消えていく生命の目撃者である悠久の時間そのものでもあるのかもしれません。

 

2人の関係は、初めは「敵対」。

しかし、男が彼に脅威を与え続けるカメを赦し、カメもまた一時は自分を殺そうとした男を赦したことで、奇跡が始まります。

赤毛の女の姿になったカメと男が、幻想的な色彩に満ちた水中世界で対峙し、踊るようにお互いの周りを泳ぎ回る様子は、言葉はなくとも男女の恋の駆け引きそのもの。

2人の描くしなやかな動線が、それ自体が言葉で、音楽でもあるかのよう。

とてもリズミカルで美しい恋の表現に魅せられます。

 

◆スケール感と陰影に限界?◆

 

これはとても良作!と感じた反面、個人的に物足りなく感じたのが、本作の中で最も重要な要素であるはずの海が、なんとも平板に見えること。

空の高さは存分に感じるんですが、水平線までの吸い込まれるような遥かさをまるで感じない。

小さな画像で眺めれば文句なしに美しい絵なのに、大スクリーンの上で自然の大きさを表現するには、立体感に欠ける画風が妨げになっているような気がします。

 

もう一つ、月夜のシーンがあまりにも精彩を欠く気がしたのは私だけでしょうか。

日本のアニメでは月夜がとても幻想的で陰影に満ちた絵に描かれるのに対して、本作のそれは単調で平板な無彩色の世界という印象。

スクリーンがとても暗く、月の光に照らされた世界ならではの煌めきや、夜に潜む魔の気配がまるで感じ取れません。

それはそれで「作風」というものなんでしょうけれども・・・個人的には致命的な欠落のように感じてしまいました。

 

人物の描き方はむしろこれまでのジブリ映画よりも今の時代に合っている気がする―――スイカの種を2粒並べただけのような眼も可愛い―――し、全てのシーンで構図そのものがアートと言えるほど美しい作品だけに、スケール感を必要とするシーンでの風景の立体感のなさ・月明りの表現のインパクトの弱さが残念でなりません。

 

◆ジブリ・ブランドは一代限りで終了?◆

 

それにしても、同じアニメ作品・同じ東宝配給の「君の名は。」が空前のロングラン・ヒット中だけに、この作品の低調ぶりが際立ちます。

商業的な成功のみを志向した作品ではないとは言え、ジブリブランドの凋落という印象は拭えません。

個人的には商業性よりも芸術性を志向した作品は大歓迎ですが、ただ、それにしては今作の完成度は過去に高評価を得たジブリ作品に比べてかなり中途半端に思えたことが少し気になります。

 

ジブリが製作部門を休止し、「君の名は。」の新海誠がポスト宮崎駿と騒がれている今、このままジブリ・ブランド自体が過去のものになるのか、それとも独自の立ち位置を確保してブランド力を保ち続けるのか―――アニメ映画界からも目が離せなくなってきました。

 

 

2016年7月の鈴木敏夫インタビューはこちら

 

(画像はIMDbに掲載されているものです。)