「戦場のメリークリスマス」(英語版:Merry Christmas, Mr. Lawrence) | シネマの万華鏡

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戦場のメリークリスマス [DVD]/紀伊國屋書店


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◆原作者はミスター・ローレンス◆

いわゆる戦メリ。

(1983年・大島渚監督・日本/イギリス/オーストラリア/ニュージーランド合作映画)


太平洋戦争下の1942年、ジャワ島の日本軍捕虜収容所が、この物語の舞台です。

日本軍のヨノイ大尉(坂本龍一)とハラ軍曹(ビート(北野)たけし)、イギリス兵捕虜のローレンス中佐(トム・コンティ)とセリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)らの、日本兵と捕虜の人間模様を通じて、同性愛という切り口から戦争の矛盾が描かれています。


この作品に原作(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト「影の獄にて」・「種子と蒔く者」)があったことは、今回初めて知りました。

しかも、原作者はイギリス人で、作品に登場するローレンスだと知って、二度びっくり。

必ずしも実話とは限りませんが、原作者のローレンス・ヴァン・デル・ポストが、実際に日本軍の捕虜収容所で過ごした経験に基づいて書いた作品のようです。


映画はかなり原作に忠実で、ラストシーンの有名なセリフ、

「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」

も、原作のまま。

しかも、この作品には、戦争中日本人を支配していた特異な精神論と、捕虜への残虐な仕打ちが赤裸々に描かれている一方で、そういう狂った一面と表裏一体のところにある、当時の日本人の純真で清冽な一面も描かれています

そして、敵か味方か、勝者か敗者かしか存在しない戦争という二元論の世界では黙殺されてしまった、日本兵とイギリス兵の愛と友情も。

日本軍の捕虜だった人物が、当時の日本人の残虐さだけではなく、彼らが持っていた美しい一面についても触れ、愛に溢れた物語を書いたという事実に、驚かずにはいられません。


ただ、ローレンスの目線で書かれている原作に対して、映画はもう少し日本人のハラやヨノイの目線を加えた内容になっています。

特にハラに関しては、ローレンスには理解できなかった彼の心情を大島渚なりの解釈で補った部分もある気がしますし、ハラからローレンスへのメッセージを、戦争犯罪人として死んでいった全ての人たちが、この世の愛する人たちに伝えたかったであろうメッセージとして敷衍させた(ように見える)のも、映画独自の演出です。


◆恋するキャプテン・ヨノイ


捕虜収容所を受け持つ部隊の隊長・ヨノイ大尉は、美しくカリスマ性を持った捕虜・セリアズ少佐に、傍目にも明らかに恋をします。(映画の中では、ヨノイもセリアズもホモセクシャルであることが宣言されています。(※1))

恋するヨノイは、切ないほどに初心で、まるで初めて恋を知った少年のよう。

日頃から自らが強い武人であることを部下や捕虜たちにことさらに誇示しているヨノイは、実は見せかけとは逆の人間なのかもしれません。

イギリス人と話す時にはシェークスピアを引用してみせる辺りにも、本質は文学青年である彼の素顔が顔を覗かせています。


少年のように初心なヨノイ


ヨノイは、自分の中で敵と味方という絶対の秩序が壊されていくことに戸惑い、その戸惑いがさらに彼を捕虜たちへの苛烈な処遇に駆り立てているようです。

セリアズは、そんなヨノイの秩序を、根底から壊そうとします。

セリアズのヨノイへのキスは、敵か味方かという国家や組織の論理ではなく、愛を物差しにして物を考えろ、というプロポーズ。

しかし、戦争の論理に、愛は無残にも殺されます。戦場で愛は生きられないのです。



捕虜も日本兵も集合した中で・・・

もっとも、セリアズの行為は、イギリス人流のハラキリ(=日本兵が誇りとしている潔く美しい死に方)なのかもしれません。

弟を裏切った過去を悔いて苦しんできた彼は、愛と正義の人として死にたかった・・・彼もまた、ヨノイやハラと同じように、死に場所を求めていたんじゃないかと。


◆ハラのローレンスに対する感情は「愛」◆

セリアズとヨノイの物語は、セリアズの英雄的な行為や、2人のビジュアル的な美しさと相俟って、この作品の主軸になっているように見えます。

とにかく、デヴィッド・ボウイが登場するだけで、画面が華やぐのが凄い。やはり圧倒的な存在感です。



セリアズはまさしく戦場の花

しかし、実はハラとローレンスの物語も、少なくとも映画では、同性愛として描かれています(※2)。

ただしローレンスはストレート(※3)なので、ハラの片思いとして。

この2組の日本兵とイギリス人捕虜の関係はパラレルで進行していくわけですが、ストーリーの全体像から言えば、ハラとローレンスのほうがむしろメインです。

ヨノイ-セリアズと違ってビジュアル系じゃないだけに(笑)、この2人の間にそんな想像はしたくない、友情で十分話が成り立つじゃないか、と言われそうですが、大島渚としては、同性愛ということにこだわりがあったんじゃないかと思います。(それに多分、そのほうが原作に忠実でもある気がします。)


同じく大島渚監督の「御法度」 が、新選組の近藤と土方の関係が同性愛的な排他性を持っていたことを仄めかしているように、生死を共にするほどの男の友情とホモセクシャルな愛とは極めて近い側面があり、その境目は曖昧だというのが、大島渚の見方なのかもしれません。


◆「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」に込められた想い◆


映画の中で、「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」(※4)と教えられてきたハラが、ローレンスに、

「おまえが(捕虜になったことを恥じて)死ねば、俺はおまえをもっと好きになる」

と言う場面があります。

これは半分は本音で、半分はウソです。

ハラが、捕虜として生き続けるイギリス人たちを「残念な民族」だと思っているのはホント。ただ、実際にローレンスが冤罪で処刑されそうになると、ハラは上官に背くという危険を冒してもローレンスを助けるんです。

ハラの中で、戦争の秩序が崩れ、個人としての彼の意思が芽生えた瞬間。

したたかに酒に酔ったハラは、ローレンスを釈放するのは今日がクリスマスだからだと説明し、

「今夜、わたし、ファーデル・クリスマス(サンタクロースの意味)」

と、ふざけて笑うんですね。

これも、半分ウソ。本当の気持ちは、はにかみ屋の日本人である彼には言えません。

でも、そんな言葉では、勿論ローレンスには彼の本心は伝わらない。ハラが酒に酔わなければならなかった理由も、彼には分からないんです。

ローレンスはただ、

「あなたもやっぱり人間だ」

と、ハラに感謝し、ハラも、何も説明せず、ただ、はしゃいだ様子で、

「メリークリスマス」

を繰り返すだけ。

それまでは、上官におもねり弱者を徹底的にいびる人品卑しい人間(※6)のように見えていたハラの、意外なまでの純真さが、切ない場面です。



ローレンスに、処刑の前に会いたいと伝えたハラ

戦後、1946年を迎えたラストの数分間は、戦争犯罪人として翌日には処刑されるというハラが、面会に来たローレンスに別れを告げる場面。

2人は、あのクリスマスの日を思い出して笑い合います。

そして、立ち去ろうとしたローレンスの背中に、ハラが投げかけた言葉が、

「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」

です。この言葉を言うハラの笑顔のアップをもって、この作品は幕を閉じます。


中盤のクリスマスの場面が教えてくれるように、これは、ハラにとって、与える愛の言葉です。

ハラにはない未来を生きていくローレンスへの、幸せを祈る気持ち、そして、彼なりの”I love you."でもあったのでしょう。

何故、愛と断言するかというと、もし彼の感情が友情ならば、戦争が終わった今、それをストレートに言葉にできたはずだと思うからです。


この場面でアップになったたけしの顔は、ハラという一人の男の顔から、戦争犯罪人として死んでいった人たちの顔になります。

「メリー・クリスマス」は、彼らの多くが、この世に残す愛する人たちに伝えたかった言葉、彼らが幸せな時代を生きられるよう願った祈りの言葉でもあるんじゃないでしょうか。


17歳で志願した時に既に「私人」としてのハラは死んでいて、その後のハラは、ただ命の捨て場所を見つけるために生きてきた人間。

あのクリスマスの日の行為は、ハラが戦場で唯一、個人の意思として集団の論理に背いた行いだったのかもしれません。

彼はあの日、個人の意思で愛を実践する喜びを知った・・・些細な理由でいとも簡単に日本刀で人の首を斬るハラ、戦後も反省など全く見せないハラ・・・ヒューマニストでも何でもない、むしろ行為だけ見ればその真逆のハラが心に宿した愛だけに、心を打たれます。

同時に、ハラの死に際の美しさにも。

あのラストシーンには、国粋主義者のハラの中にはからずも芽吹いたキリスト教的な愛の精神(多分ハラはキリスト教については「メリークリスマス」以外何も知らないのですが)、そして何よりも、潔く美しい死にこだわる日本人の美意識が込められている気がします。


◆たけしの素朴な顔がイイ◆


ハラの役は、当初勝新太郎が演じるはずだったとか。

緒方拳も候補に挙がっていたというウワサも(※5)。

そういう戦メリも観てみたかった気がしますが、個人的には、ラストシーンでアップになるたけしの顔が、決して俳優顔ではなく、戦時中どこにでもいたような、素朴で日本人らしい顔なのがイイと思うんです。

あの顔だからこそ、ハラの言葉が、彼と同じように戦争犯罪人として死んでいった人たちの声を代弁しているように見えるし、そこがこの作品の感動をより大きく膨らませているんじゃなかと。


豪華キャスティングであるにもかかわらず限りなくB級映画的で、日本側俳優陣の演技力はまあ(汗)・・・よく言われる通り、音楽に救われた作品かもしれません。

ただ、個人的には、音楽とテーマの鋭さ、そしてラストシーンの圧倒的なインパクトは、過去に私が観た日本映画の中では突出していると思います。

これから先も忘れ去られることなく、多くの人に観てほしい映画です。

原作も、この作品を知らずに過ごした年月を後悔するほど素晴らしい!

機会があれば原作のほうも記事にしたいと思います。

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(※1)「彼(ヨノイ)も同じ穴の貉だな」というセリアズのセリフ。

(※2)はっきりと表現されているわけではありませんが、ハラがローレンスに言う「そうか、やっぱりイギリス人は全員オカマなのか」「サムライはオカマなど怖くはない!」などのセリフに、彼の本心が匂わされている気がします。それと、下に書いた通り、ラストシーンのハラの態度。

(※3)死を覚悟したローレンスが女性の思い出を語る場面があります。

(※4)この言葉は昭和16年に公表された「戦陣訓」の一節ですが、この思想自体はそれ以前からあったようです。

(※5)相互読者登録させていただいている映画先輩の記事 より。

(※6)原作では、ハラはなすべきと信じたことだけをしているという信念を持っていたという、驚くべき表現がなされています。彼は彼の軍人としての(きわめて狂った)物差しに忠実という意味で公正無私な男で、たけしが演じる俗っぽいハラとは印象が違っています。

(画像は映画DVDより抜粋したものです。使用に問題がある場合にはご連絡いただければ速やかに削除します。)