4月に母が亡くなりました。享年96歳。
以前食事が自力で食べられなくなった時、胃ろうにするしないで大騒ぎしているうちに回復して、その時に母に確認しました。
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母の弟が脳梗塞で胃ろうにして20年、意識は回復しないまま、身体は丈夫だったらしく少し太って生きています。
その家族の大変さを長年見ていたため、母は胃ろうしなくて良いと言いました。
そして食事ができなくなってから、点滴だけでどんどん痩せていき、10日後に亡くなりました。
我々子供たちはその間に覚悟ができていて、取り乱さずに母の死を受け入れることができました。
お見舞いに行った時、息をするのが苦しそうだったこと、点滴のためか腕がパンパンに腫れて痛々しかったこと、意識はあるけれど目が開けられず(瞼を開ける力がない)私が手で開けては
みんなで来てるよーーーー
と話し、その度に
オーーーオーーー
と声を出していたこと(話はできない)、
すごく痩せてしまって顔が変わってしまっていたこと
などなど、息をするのにゼエゼエ言っているのが痛々しく、
背中や肩をマッサージしながら、苦しかったら頑張らなくていいよ。と心の中で思ったのでした。
父は20年前に亡くなったのですが、食道がんで、心臓と動脈の近くにあったため手術ができず、
お医者さんによると
ある日癌が動脈にいった時大量出血して亡くなります。
ただし大量出血すると眠くなり、本人は苦しむことは少ないです。
とのことで、それがいつ来るかはわからないものの、覚悟はできていました。
その時私が
「お父さんが亡くなるとその時点で銀行の預金が下ろせなくなるそうだから、今のうちに必要な分お母さんの方に移しておいたほうがいいよ。」
と言ったのですが
「そんなのお父さんがもう死んじゃうみたいじゃない!」
と嫌がり(近いうちにそうなるんだけどね)と思いながらも口出しをしなかったのですが、お金を一切出せなくなって大変でした。
電気ガス、母の生活費、病院の支払い、商売上の支払い、葬式など全部弟が立て替えました。
その反省もあり、母が食べられなくなってから10日の間に、弟は葬儀社を周り、色々準備と心構えができたそうです。
葬儀は、商売もやめていたし母の同級生や友人もほとんど鬼籍でしたので、家族葬にして静かに送ろうということにしました。
うちの大暴れ時代の双子たちも、東京からくるのは大変だろうから、私だけでいいよ
と弟が言ってくれたのですが、子供達おばあちゃんが大好きでしたし、もう4歳になっているから、人間の死というものをわかってもらうためにも頑張って連れて行こうということになりました。
続く…