5ヶ月後 、近況 | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

あっという間に8月になってました。

先週から曇りのおかげで気温が落ち着いてありがたい。

強すぎる日差しは本当に危険!

 

4月末から7月末まで3か月働きました。

朝6時から14時まで暑さを避けるために早朝から働くのはとても良かったです。

何せ昼以降は太陽が強すぎて日射を浴びた分、後から疲労が来ました。

 

私は本来は寒さに弱くて熱さは大丈夫だと思ってましたが、畑の中の炎天下は危険でした!当然真っ黒!

 

フランスのブドウ畑はどこもここのように異例の3週間の前倒し。

地球温暖化、今後の気候変動とワインはどうなるのかについて漠然と素人なりにも不安定さが予想できます。

そう考えると会社は義理弟が継ぐのは決して私、なによりMにとってリスク回避が出来て良いんだな、となんとも身勝手な納得をしています。

 

義理弟との気持ちの悪い平行線、やり場のない悲しみ。

主にこの二つを仕事で紛らわせていました。

 

実際には同じ敷地にいる義理弟を無視する事なんてできず、ストレスが溜まります。

ちなみに先週から彼はバカンスで不在で、ものすごく、夫が病気になる前以来初めて心からの安らぎ、娘との穏やかな時間を満喫してます。何とも、不健康な考え方ですね、、、

 

悲しみ、言葉にするとなんてシンプル。

でもとても辛くて難しい、本人にしか解り得ないもの。

もてあましてまだまだ、どうにも出来てません。

 

Mが歩きだしたり、成長したり、私たちが一緒にいた場所で何かする度に、

夫が居て、何か言うのが聞こえる、3人で会ったはずの幸せが一瞬見えるんです。

 

でも、彼の姿はすぐ砂の如く消えて「いないんだ、居たかっただろうに。」と悲しくなる。

私の寂しさ。

夫の無念。

Mの、本人は知る事はないだろう本来注がれていたはずの大きな愛情、心から笑い合える両親、沢山の経験の喪失。

私一人では到底夫の存在を穴埋めなんてできない。できないんです。

勿論、精いっぱい頑張るつもりです。

きっとどんなシチュエーションでも幸せになる方法ってあるでしょう。

 

ただ、夫と共にあるはずだった幸せの、あったはずのフツウで素朴で当たり前の未来がなくなって、私はまだ悲しいです。

 

癌になって、痛い、便秘、食べられない、歩けない、娘を腕に抱けない、不安、大好きな仕事ができない、きっと他にも色々。

なんで彼は苦しまなくちゃいけなかったんだろう。

最後の日々の姿、最後の呼吸、思い出さない日はありません。

 

でも、日常は変わらない。

朝が来て、日中があって夜が来て寝る。そしてまた朝が来る。

 

私にとって世界の終わりでも、娘にとっては成長するための新しい一日であり、人々にとってはそれぞれの日常。

Bonjour(こんにちは)」と言われれば「Bonjour!」と笑顔で返します。

対人として当たり前のことを普通にする。冗談を言う事もあれば笑いもします。

 

自分の中にいつも二重の状態があります。

きっと世界中に、こういう、でもそれぞれの気持ちの方々がいらっしゃるんだろうな。

人間て、すごいなぁ。でも動物ってもっとすごいなぁ、なんてよくわからない事を思います。

 

一つだけ、止めてほしい、そして自分も他の方に言わないよう気を付けようと思うのは

「世の中にはもっと不幸(悲しい、悲劇的、etc)な人がいる。という慰めどころか気持ちをより落ち込ませるものはない発言です

そりゃ、そうだと思います。

だからと言って、じゃあこの悲しみがなくなるのか、軽くか薄くなるのか?

ならない。

愛してたものを無くして、悲しい、それを理解できませんか??説明が必要ですか?

どうもこういう発言をする方がいます。

という愚痴は以上にします。

 

さて、

来週28日に夫の葬儀の式をします。

というのも、いわゆる葬式(制限人数10人)はしたのですがコロナで外出制限期間だったことで教会で親戚友人を呼ぶことが出来ない状態でした。

なので教会で式をします。このブログでは葬式と区別する意味でセレモニーとします。

これは、親せき及び地元の人々の為です。外出禁止、業者のバカンスなど諸々の要素の為に約5か月間の期間を経てやります。おおよそ2~300人ほど来ると思われます。

正直、時間が開けばあくほど気が重いものだと感じます。

 

セレモニーは私にとっては初体験です。

どうなる事やら。

 

あと、義理の母と自然に「やろうね。」という事で癌の研究の為の募金をこのセレモニーでします。

本当に、一分でも苦しみが、1人でも悲しみが、なくなってほしいです。

世界中の医療研究者の1日の何らかの足しにでもなれば。

 

最後に、

色々あるなかで、

つい先日、このブログでやり取りさせて頂いた方を訪問させて頂きました。

私と同じように愛するものを癌で失い、かつご自身も今癌で頑張ってらっしゃる、とても聡明で、信じられないくらい優しい方。

表現のしようがないくらい貴重な時間でした。

実際お会いして、癌についての具体的な事は多くは語らなくても、

伝わる、感じ合う事ってなんて

大事なんでしょう。

 

 

改めて、

今までもコメント下さった皆様、どれだけ救わてたことか、感謝しています。本当にありがとうございます。

 

また、私が読ませて頂いたブログの皆様、伝わってませんが

勇気だったり、共感だったり、なんとも言えない思いだったり、助けられています。

 

今、御自身またはご家族で戦ってらっしゃる方、

祈ってます、何か良くなるようにと。