Takoさん、こんにちはー。

 

本文に入る前に。

 

直メ、DMにはお返事していません!

 

私がNYに住んでいたのは、90年暮れから97年の暮れまでなので、この頃、私も憤慨して、「イエローキャブを考える会」に入ってアンケート調査などしましたよ(笑)。当時はまだ電話帳が一般的だったので、会として無作為抽出して割り当てられた10名ほどに電話して質問しました。回答率は悪かったけど(;'∀')

 

それでね、多少なりともこれが元ネタかなと自分で思うのは・・・。

 

「タクシー・ダンサー」とか「dime-a-dance girl」。でも、彼女たちが売春に従事していたのってレアケースらしいし、だいたい、

 

イエロー・キャブは無料じゃないよ!

 

 

 

タクシーダンスの人気が高まると同時に、ニューヨークやその他の地域の道徳改革者たちの監視の目が厳しくなり、一部のダンスホールは不道徳の巣窟とみなされるようになった。ほとんどの店はきちんと経営された立派な場所だったが、そうでない店もあった。評判の悪いホールでは、ダンサーとして働く治療中のチャリティーガールを見かけることも珍しくなかった。トリート行為は、かなりの数のホールで、そしてもっと立派な場所でも行われていたが[23]、売春に及ぶことはほとんどなかった。おごったり、「プレゼント」を受け取ったりするタクシー・ダンサーは、通常、その行為と売春とを峻別していたが、両者の間には微妙な境界線があることが多かった。定期的に、一部の怪しげなホールでは、淫らな「クローズ」ダンスも行われていた。多くの改革派からスキャンダラスで猥褻なダンスとみなされたこの種のダンスは、当局のもうひとつの懸念事項だった。やがてタクシー・ダンスホールの改革は勢いを増し、免許制度や警察の監督強化につながり、最終的にはいくつかのダンスホールが淫らな行為を理由に閉鎖された[24]。すべての発端となったサンフランシスコでは、1921年に警察委員会がタクシー・ダンサーとしての女性の雇用を禁止する裁定を下し、以後サンフランシスコでのタクシー・ダンスは永久に違法となった。