1.の「知ーらない」に通じるのかな。
例の看護科の教授であるクライアント様に教わった考え方。
ある国際学会で主催者の日本人の方が私の方を至近距離で チラッチラッと見ながら、
「あー、誰かボクの発表(和文英訳)通訳してくれないかなあ?」って3回くらいおっしゃった(笑)
うーんと、準備しないとできないし(いや、やれと言われたらやるけど8割訳出できたらいい方? あ、背景やテーマなどは何年もやって割と熟知していたので)。これを言っちゃあお終いだけれども、中身がない発表だったので、二人で演題で立ち尽くしていたと思う。
私のクライアントに、「・・・てなことおっしゃっていますけど、今年はともかく来年から私が通訳をしたら、その分費用折半などで先生のご負担を減らしていただけますか?」と訊いてみた。
答えは、「直接頼まれた訳でも交渉された訳でもないんでしょう? 無視してればいいのよ」と。
それこそ「知ーらない」の世界。
うーん、相手が患者さんならいざ知らず、健康体で自分が庇護する相手でもないひとにいちいち忖度して気を遣っていたらキリがないですよ、ということだったんだろう。そういうお仕事だし(キリがないし、ヘタなことをすると好意に付け込まれる)。どこかで割り切ることができなかったひとは10年、20年続いていないでしょう。
私は日本人だし女だし昭和のヒトだし長女だし、思い出した、元女子寮寮長にして秘書やアシスタント職長かったし、言い出したらキリがないけれど、相手の事情を自分の事情に優先させるのは違うということを徐々に学んだ。
家庭生活でもちょっと応用している。
家族の問題 ≠ 私の問題。
多少気を遣って切り盛りするときもあるけれど、基本は「自分の問題は自分で解決してください。助けが必要だったり思うところがあったら、自分から声を上げてください」だ。
ちょっとだけ生きるのがラクになったよ。