いま、ネットでチュートリアルとかいくらでも出てくるし、デジタルアシスタント的なものに質問すれば、たいていの答えは得られたりする。

 

私もさすがにパンデミックの - 特にロックダウンの頃には東京の友人とZOOMやLINEで喋って救われたときもあったし、国によってはオンラインの授業がかなりうまく行ったり長く続いたりしていたように聞いている。

 

昔は国際電話なんて、そんなに気軽にできなかった。声が聞こえるだけよりは顔まで見れるほうが100倍も1000倍もいい。

 

それでも、学校だとか教室だとか、人が集い、バーチャルや二次元でない、触れられるような人間との交流というのはなかなかなくならないんじゃないかと思っている。まあ、ひとつには私が昔人間だからというのも大きいかな。

 

私に恋焦がれているひとがいるとして - ZOOMなどでチャットだけしてというのはどれだけ物足りないものかと思う。えーと、娘が外国や遠くの都市に移住したとして、テキストのやり取りだけでもできないよりはずっといい。声が聞けるならありがたい。顔が見れるなら御の字だ。- でもやっぱり物足りないと言うのか、きっと会いたくて恋しく思うだろうと思う。これは私が昔人間(以下略)。

 

仏教でも、面授 という表現があって、仏道が正伝されるのは面授によってだとされているようだ。まあ、お釈迦様の時代にはZOOMなかったしね(笑)。対面でないと伝わらないものも多いということなんだろう。雰囲気やオーラ、いまの言葉ならバイブとか熱とか。”複数人で教えにふれ、みんなで話し” - 切磋琢磨ですよね。

 

 

以下は面授の説明について、引用させていただいております。

 

https://core.ac.uk/download/pdf/231051023.pdf

 

この一年間で、今までリモートとは無縁だった人たちもリモートを活用する生活が身についてきました。

リモートを使う生活がゼロになることは、ないでしょう。

そのうえで、法(教え)は、面授で(面と向かって話して)こそ伝わっていくところもあります。

実際に同じ場に身を置き、複数人で教えにふれ、みんなで話し、我がこととして考え受けとめる。

リモートと面授の場が共に成り立つ道を、これからは模索していかなければならないことと想います。