何不自由なく愛情をいっぱいに受けて育つと依存症にかかりにくいのか、先天的な要素はどれくらいあるのか、私には分からないのですが・・・。以下、素人の考察というのか、感想です。

 

どんなに恵まれて育っても生きているだけでいろんなことがあるし、成長の過程でちょっとヘビーな、自分では抱えきれない問題にぶつかることもあるでしょう。

 

そうでもそうじゃなくても、依存の問題。

 

欠落感や辛さ、生きづらさから逃げる手段として、「食べ物」というのは依存されがちですよね。そんなに高価でもないし、簡単に手に入る。また、過食ということでなくても、10代やハタチそこそこの若い人って、コントロールできるものが他にあまりなかったりする。自分の体(重)くらいだったりする。

 

他には、性愛にはけ口や逃げ口を見い出すひとというのはいつの時代にもいた。女性の方が多いかなとは思いますが。で、世の中にはセッ クス依存症もあるし、恋愛依存症(関係性の依存症かな?)もあるんでしょうが、女性の場合は特にごっちゃになりがちではないかと。「私はセッ クス1本槍の依存症です!」という方は少数派かと。

 

私は、母との間に抱えていた葛藤から、「人が作ってくれたものしか食べられない時期があった」と書きました。愛情のすりかえとか、(母から得られなかった)ひとの温かさやぬくもりを食べ物に求めていたのかもしれない。

 

性愛のほうも、依存はしていたかもしれない。食べ物同様安価というのか、女性が性愛に依存して溺れても、通常はお金はさらにかからない。仕事に行けなくなっちゃうレベルだと、生活が破たんするでしょうが。私の場合、どん底に落ちても highly functioning (高機能)だったと思います。ベッドから出られないくらい落ち込んだことはないかな・・・。

 

それでですね、夫と出会う前、23歳~24歳くらいのときに付き合っていた男性(たち)に、いくらかは心の穴のようなものを埋めてもらったようなかすかな記憶があります。「ああ、お母さんに愛されなくても、大事にしてもらえなくても、愛してくれて大事にしてくれるひとはいるんだな」、的な? これを推奨しちゃうと危ういので、強調はしたくないけれど。なにせ、当時付き合っていた男性たちとは、セッ クスしてましたしね。そっちがメインじゃなかったとしても。

 

その後は、夫に愛されて、愛されて、愛されたかな。ちなみに先日カウンセラーにそのことを訊かれて、「いまでもすごく愛されてい(ると感じ)ます」と答えたところでした。

 

なんだろうね、いいひとと付き合っていたのかな。私を搾取したり利用したりしない・・・? 

 

渡西後はアル中(いまアル中って言わないのは知ってるけど)になりたかったんだけれど、お酒が体質に合わなくて止めた。その後、恋愛に依存していたのは、10数年前の記事に書かれています。ちなみに当地、お酒は安いですね。あと、私は想像もしたことなかったけれど、クスリ関係の依存も多いですよね、合法、違法を問わず。私は未経験ですが。

 

本当の本当は、自分の心の穴や欠落感は、自分で満たすしかないんだろうけれど、それ以前に練習じゃないけれど、下準備でもないな、でも他人に満たしてもらうフェーズがあってもいいのかなと、個人的には思っています m(__)m

 

間違っていたらごめん。

 

満たして、満たしてって迫るんじゃなくて、結果的に満たされていました、的な。難しいかな。