ホワイトカラーでもなく、ブルーカラーでもなく、「ピンクカラー」と呼ばれる職種がいくつかあるようです。

っていうか、女性が多く就いている仕事は「ピンクな仕事」と呼ばれることがある。

 

ピンクというのは、いまは流行らないにしてもやっぱり「女の子色」で、伝統的には産院などで男の子には水色、女の子にはピンクの産着を着せたりしていました。ちなみに、特に「セックスワーク」という意味合いはないはずです。

 

サービス業全般と、あとは秘書的,アシスタント的な事務職 - これもいま言っちゃいけないのかもしれないけど、OLさんなど。他には(小学校の)先生や司書、看護師などが代表的でしょうか。

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Pink-collar_worker

 

で、意識が高い系のアメリカ人女性などは、そういう仕事をあまりよしとしなかったりするひともいるようです。あ、男性もそうかな。ちょっと揶揄したり侮蔑的な意味合いもゼロではないですよね。

 
で、私のロールモデルが看護系の大学教授だというと、反論する白人男性もけっこういる。
 
日本の悲劇くらいの勢いで。
 
私は長年、「私にはなにかあるはずだ」、「私はその辺の男の子よりは勉強もできる」、「私はできるということを証明しなくちゃ」と思って努力してきたけれど、ある時期からもうどうでもよくなった。自分が仕事ができようができまいが、自分の食い扶持を稼げれば十分ではないかと思うようにシフトしてきた。自分の費用と子どもの費用が出せればたくさんだ。
 
当の先生方に、「(それだけ優秀だったら)ドクターになろうとは思わなかったのですか?」と訊いたこともある。失礼と言えば失礼な質問なんだけれど、私のライフワークや、人間としての在り方にもかかわってくる質問で、いい加減な気持ちからではない。
 
そうすると、鶏口となるも牛後となるなかれ的な返事がかえってきた。私よりさらに10歳くらい上の世代なのだからまた状況もいまとはぜんぜん違っていたとも思う。男社会で男と闘って道を切り拓く以外のことでエネルギーを使いたかった・・・という趣旨のこともおっしゃっていたと思う。
 
翻って、私の読者の方には脳外科医もいらっしゃればプロジェクトマネジャーもいらっしゃり、世界的に第一線で活躍していらっしゃる方たちも珍しくなくて、いいことだと思う。
 
ただ、私個人に限って言えば、「女だってなんだってできる」ということを証明するために人生を使いたくなかったかな。私の適性は理系ではなく、ひとを使う仕事もやったことはあるけれど、特にこだわりはない。翻訳やバイリンガルセクレタリー的なことには適性があったと思う。大臣アテンドもかなり合っていたと思う。でも、毎日やらなくてもいいとも思う^^
 
日本にももっと女性のエンジニアや管理職を、というのは分からないでもない。けど、私が見知った中でいちばん感銘を受けた日本人女性は、ピンクカラーの職業に就いていらしたんだ。とても静かな知性。とんでもない知性と能力を持っていらしても、うっかりしていると気付かないよ。見せびらかさないから。
 
「女性だからピンクだとされる仕事に就くと外聞が悪い」みたいに感じるなら、それは本末転倒だと私は思う。