当地には億万長者も多いし、大貴族の友人もいれば、家政婦さんとも毎日接しているけれど、
幸福度っていうのは、「なにを持っているか」とはほぼ関係ないなと思う。
私、今年50歳になるし、自分では長生きさせてもらったなとつくづく思うんだけれど、それって、人生を学ぶため、真理を学ぶために生かされているのかなと思う昨今。だから、自分がジタバタして学んだこと、悟ったことは人類に(笑)還元したいと思っている。もちろん、他の方たちからも日々刺激をいただいたりヒントをいただいたりしている。
億万長者の成功者であっても、健康に不調があると富を享受できない。
また、1泊1000ユーロのスイートに泊まっても、それが日常だから特に感動もない。
私のランチメイトのおばさまは、お金はなくても毎日ほんとうに充実している様子が伝わってくる。声高に「私は幸せ!」なんて言ったりしないよ? 人に見せびらかしたり自慢したりする必要もないし。ただ、自分の人生に満足して感謝している様子が伝わってくる。1泊100ユーロの部屋に泊まっても、愉しんで愉しんで、ほんとうに嬉しそう。
健康でないから幸福度が低いかというと、おばさまは健康面で問題を抱えているし、必ずしも健康でないと幸せでないということでもないようだ。若くて美しいから幸せというのでもないようだ。はっきり言って、なんにんかの億万長者よりは夫のほうが満足しているように見える。
傍から見たら特に羨望の対象でないようなひとでも、本人の幸福感は誰にもどうにもできない。幸せを感じているひとを引きずり下ろすことはできない。本人が幸せだと思ったら幸せ。他者の承認は要らない。
幸福ばかりは、ひとによってどういう状態が幸福なのかは違ってくるけれど、だからこそ、
自分は なにに幸福を感じるか、立ち止まって考えてみるのもいいかもしれない。
私は モノは要らないの。経験のほうが欲しいかな。美味しい物を家族や友人と享受したり。高価なお洋服やハイエンドのブランド物と私の幸福はほとんど関係がないみたい。でも、子どもが欲しがればできる範囲で買ってやるし、買ってやれることは幸せだと思う。