うう さん
コメントをした人のURLhttp://ameblo.jp/sango-coral/

コメントのタイトル: それって
コメント本文:

言われる通り「達成感の欠如」だったんじゃないですか?あたしが仕事をする前に感じていたのは「達成感の欠如」だったんだとこの記事を読んで思いました。子育てや家事って仕事に比べると「達成感」がないですもの。もちろん、他のプラスの感情はありますが、達成感はあまりない。だって、家事は「毎日同じ状態にしておく」ことがメインの目的でしょ?掃除も洗濯もそう。一番クリエイティブな感じがする料理にしても、お店で出せばそれが売上とか客の入りというような目に見える成功や失敗になるけれど、家では家族のお腹を減らさないように維持する面が強くなる。そういう中にも達成感を見いだせる人はいると思うのですが、仕事の場合は家族みたいに「今日はあんまりおいしくないけどおかあさんがせっかく作ってくれたからOKだよ!」みたいな甘いことはない代わりに、評価された時の達成感、「やってやったぜ」みたいな陶酔はあるように思います。

でもマダムには罪悪感はなかった、というのは、やはりやり過ぎたと思うほどに子育てをしたからだと思います。これは母性神話として利用されるかもしれないと思いつつも感じる「産んだ以上は自分がベストだと思うことをしてやりたい」という感情に従い、それを実行したからだと思うのです。あたしもこの子にはベストを尽くしたいと思っていましたけれど、時間的に接する時間が少なくなったとか、「ごまかしなぁ」とか「余裕なかったな」と感じた時、罪悪感が湧いてきたりしました。それは自分の「達成感」を優先させてしまったかな、と。でも今、振り返ってみて後悔がないのは、この「罪悪感」のために少ない時間を濃く過ごす努力もしたことに対する満足感と、この「達成感」のおかげで笑顔でいられたとう効用もあったと認められるからだと思うのです。要は「その時ベストだと思うことをできる限りやった」と思えるから。これはマダムの子育てにも通じるんだろうと思います。

 

それと気が付いたことがもうひとつ。あたしは何が怖いって後で後悔することほど怖いものはなくて、迷った時に「えい!やってみよう」と思うのはそれに背中を押されていることが多いのです。あの時期感じていたのは罪悪感だけではなく「後悔したくない」という気持ちだったのかもしれません。手を抜く、ごまかすことで後で後悔するかもしれないという恐怖が「だめだ!こんなことじゃ!」という気持ちにつながったような気もします

 

コメントをした人: みやび さん

コメントのタイトル: またまたいい考察ですねー
コメント本文:
マダム、ううさま、毎回内容が濃いです!
わたくしは、「達成感の欠如」と「罪悪感」って割と結びついてると思います。例えば子育てには罪悪感がなくっても、達成感の欠如による「自分」に対しての罪悪感。マダム、これから適応障害がでてきませんでしたか?

これって、わたくしもすごーくわかります。おまけにこれ、順調に行ってたとしても、人生のステージごとにででてきたりします。だから、誰でも悩めるんじゃないかと。そして、ベストをつくす。なるべく自分の欲に忠実になりながら。。。

なんか、最近の記事でわたくしもかなり気が楽になってきました!

 

マダム:

いや

 

>達成感の欠如による「自分」に対しての罪悪感

 

たぶん私は違うと思います。達成できない自分に対して、苛立ったり、不甲斐ないとは思いましたが、罪悪感は覚えませんでした。私が罪悪感を覚えるのは違うシチュエーションで、です。

 

そこで罪悪感を覚えるひとは、たぶん育ちがいいんじゃないでしょうか? いろいろ親にしてもらって、その投資を返せないと思っていたり。ただの思いつきですが。

 

たぶんこれが昂じると、罪悪感になって、おそらくウツに繋がるのかも知れませんが・・・。

 

罪悪感って他人に対して覚えるものではないでしょうか?

私はどんなに至らなくても、成功していなくても、self-made woman なので。

私の失敗も成功も、みんな私のものです。手柄も罪とがも私(だけ)のものです。

 

中村うさぎさんの場合も、「罪悪感」は世間に対して持っていらっしゃるんじゃないでしょうか。「許されたい」とか、「許す神」とかたくさん出てきますし・・・。

 

私は、世間には許してもらわなくてもいい、と思うんですよ。正直な気持ち。